― the field for the study of astrology and original novels ―
作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として
心の泉から溢れ出るものを書き綴っています
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やっちまった……
_| ̄|○ ズドーン
今朝、そろそろ起きる時間かな~と思いつつ、ベッドでまだふにふにしていたところ。
とある受講生の方からのLINE。
「朝勉しようとしたら、3日の上級クラスが更新されていないのですが」
と――。
いっぺんで目が覚めた
11期上級クラスは3の付く日に更新。
12期初級クラスは7の付く日に更新。
どちらも月3回。
3の付く日、正確にはその前日の2日に、完璧に用意し、
ちゃあんと時刻指定で更新されるようにセットし、
これでOK!
心安らかに眠りについた……はずだった……
だったのですが、なんと!
間違えて初級のほうを昨日更新してしまった
やらかしたー
この出来事は長い講座の中でも
二度目……
やらかさないように注意してたんだけどなー。
もう今日は、ジョギングも投げ捨て、必死
お昼過ぎには用意できました。
あー、焦った。
ホンマ、上級クラスの皆様、ごめんなさい。
時々、すぽーんと抜けてしまう射手座なのである。
(*´人`*) ゴメ~ンネ
自分を明け渡すから幸せ
そういえば。
一昨日、kira*kiraさんのところで身体の調整をしてもらったのですが、
そのときにも彼女から
「せんせーって、誤解されるよね」と。
(彼女はブログでは「ゼファー先生」とかお堅く書いていますが、LINEや会話はかならず「せんせー」です。そのくらいがちょうどいい。あまり「先生」呼ばわりされるのは、気持ちのいいもんじゃない)
何を誤解されるのかというと、
・すごくきっちり真面目にやっている
・そのために頭を使っている
みたいなニュアンスの誤解だという。
確かにそうなんですよね。
「頭使ってないのにね」
「直感型なのにね」
というのが、彼女の言い分。
ある面、すごく失礼(笑)
「頭使ってない」とか(笑)
でも、これ前にも言われたのですが、大学で講義したアフターで調整してもらったときも、
「頭使っとらんわ!」
「頭がぜんぜん疲れとらん!」
と言われたことがあります。
その時も、
「使ってないですよ」
「その時々の教室の空気を感じて、生徒たちに対応して喋ってますから」
「だいたい、その時に言葉が降りてくるんで」
みたいな話をしました。つまり、彼女のいうとおりなのです。
講義なんかでも基本的に脱線しないように話の流れを考えたり、それに沿った準備はします。
でも、細かいことなんか周到にプランニングするのは、自分には無理です。
てか、面白くないんですよ。
何もかも計画するとか、とくに細かいところまで準備をする、とか。
それやったら、もう何も面白くない。
小説や脚本も同じで、基本的なプロットは考えますが、最近になればなるほど、細かいことを考えていません。
私が商業作家としてダメだったのは、ある意味、デビュー後に〝ちゃんとしよう〟としたからかも知れません。
つまり、頭を使おうとした。
もっと〝言霊〟に身を委ねたら良かったのかも知れません。
大きなものに委ねて、自然に生み出される。
その〝通路〟になることこそが楽しい。
自分(エゴ)がないのに楽しい。
この楽しみに、今、たぶん多くの人が気づき始めているような気がします。
自分が頭で考えることなんか、
たかが知れています。
「個」の限界がすぐに来ますし、「個の限界」を広げるためには、すごく苦しい作業をしなければなりません。頭では。
あ、そういうプロセスを辿る方もいますし、小説なんかでも細かいところまで詰めて書くという方がいて、その手法を否定しているわけではありません。
それもまた、人としての能力にチャレンジする、貴いものです。
私のような存在には、それだと、
楽しくない
というだけの感想です。
脚本や小説を書いているときに、何かが降りてきて自動手記のような状態になることがあります。
もう、自分の脳であれこれ考えなくても、自然に話ができていく、登場人物たちが生き生きと動いて語る……
あの不思議な感覚を、私は高校生くらいの時に初めて体感しました。
その感覚を表現する言葉があるとしたら
〝法悦〟
というのが近いかも。
すごく嬉しいし、満足感も強いし、
甘美なのです。
浸れるのです。
ただ理性を失っているわけでもない。
理性を持つ自分はいるのですが、ちょっと引いたところで観察しているだけで、「ほうほう」「なるほど」「へえ~、こうなるのか」「ここでそれを言う?」「いや、そうだよな、すげー」とか、感動しているのです。
理性を持つ自分がどこかにいるからこそ、
自分のエゴではとうてい生み出せないものが、
天の恩寵のように自分の掌に溢れ出てきている……
と感じるのです。
「自分」が主体でないのに、です。
というよりも、おそらく「自分」が主体じゃないからこそ、なのです。
これは、おそらく
人は自分のためにだけに生きると幸せになりにくい
から。
こういう喜びを、そこかしこに感じ始めている方が、たぶん
今たくさん芽吹いてきて
もちろん過去にもいらっしゃり
これから大きな花を咲かそうとしている。
汚泥の上に無数に開く蓮の花々のように。
その花々が集まる場所で。
自分のこだわりを捨て
自分を明け渡し
大きなものを
自然
取り巻く世界
人々
たった今の瞬間
そこと繋がって生きれば
悪いようにはならない
むしろ喜びと共に生きて行ける
かな?
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