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2019年6月10日月曜日

連理の翼 アクラ王4

 半島の尾根越えを行ったオウス一軍は、未明にアクラ王の拠点の一つを急襲した。
 それは児島に接近したときにオウスらを襲ったヒエダが管理する地であり、彼らにしてみれば背後から不意打ちを食らった形であった。島の西側に沿って並ぶ山々は、自然の盾であり、そこを穿って攻めてくる敵は、まったく想定されていなかった。
 オウスらの大和の船が、東の穴戸から抜けていったということも油断を誘う大きな要因になっていた。

 オウスは自ら先陣を切り、拠点へ攻め込んでいった。
 吉備武彦はオウスの大和の皇子としての立場を慮り、いさめた。が、形だけうなずくオウスの本音がどこにあるのか、うすうすわかっていた。
 心のどこかで、この皇子の本性を見たいという、熱い期待のようなものさえ感じていて、そのため駆け出す皇子を制止することができなかった。

 オウスはまるで、剣の舞を踊っているようだった。

 その姿は血にまみれながら、まるで優美なほどだった。
 人を斬り、手にかけるという行為は、とことん残虐なものだ。

 しかし、オウスのそれは、意味不明の「様式美」のようなものを備えていた。
 すべてが理にかなっており、その理を体現するためには、身体能力のすべてを発揮し、なおかつ、当たり前に見えている視野以外の、それこそ背後や遠くの闇の中にさえ届く「眼」を持っていなければならないはずだった。

 オウスはほとんど超常的な五感以上のものを持ち、自分を害する攻撃が、どこからどう向けられてくるか、すべて予知していて、その予知に従って超絶的なスピードで動く五体を駆使していた……ように見えた。
 襲いかかる剣も矢も、オウスには事前にすべての軌道が見えているように思えた。
 そのように考えないと、あり得ない状況がいくつもあった。
 普通なら幾度も死んでいるのに、オウスはそのすべてを紙一重でかわし続け、最大効率の太刀さばきで敵を打ち倒していった。

 スサノヲ――
 
 古より伝わる荒ぶる神の名がよぎった。
 スサノヲの再来だ、と。

 吉備武彦の感じた印象は、間違っていなかった。
 オウスは戦いの局面において、自分がなくなっていた。「無」になっていた。
 それはあれこれ、思考で考える状態ではなかったということだ。
 
 そのような状態であればこそ、敵の意志はすべてキャッチしていた。
 だから、自分がなにをすべきか、どう動くべきか、考えずわかっていた。

 さらに――
 武彦が想像だにできない特殊な感覚が、オウスにはあった。

 この自分が無になって動くとき、オウスは必ず特殊な時間感覚に陥った。
 それは、すべてがスローモーションになり、自分だけが他者とは違う時間の中で動くことができる、という感覚だった。

 他人にはどれほど紙一重に見えても、オウスには余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)でかわせる攻撃ばかりだった。
 むしろ、余裕があるからこそ、紙一重まで待てる。
 そのタイミングにこそ、相手を屠(ほふ)るもっとも適切な間合いが生まれるということを、彼は本能的に理解していた。

 その超常的な感覚による動きこそが、武彦に「舞のようのである」と感じさせる要因だった。
 すべてに無駄がなく、
 すべてがなめらかで、

 そして、その結果――

 オウスの殺した相手は、もっとも多くなった。
 しかも、彼らの多くは、ほとんど一撃の太刀で命を奪われていた。
 血で濡れ、切れ味が悪くなれば、時に敵の剣を奪って使い、時に敵に衣類で血糊を拭くことさえオウスはできたし、それがかなわぬときは突いた。
 もしくは、頭蓋を打ち砕いた。
 甲冑を身につけているものは、正確に首を切った。

 そうして、朝日が昇る頃には、ヒエダの治める拠点は壊滅した。
 ヒエダは戦いの途中で逃走したようだった。

「死体を片付けろ」
 オウスは命じた。「腹が減ったな――。誰ぞ、朝餉の用意を」

 累々たる屍の上、オウスは何事もなかったかのようだった。

 武彦は、この時、失禁した。
 戦いのさなかでさえ、そのような醜態は、ついぞ見せたことがない一国の主だった。
 
 ――恐ろしい。
 と思うと同時に、悟った。

 この国の未来は、この御方によって決まる、と。
 


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2019年5月3日金曜日

連理の翼 アクラ王3

 龍神からは剣呑な気配は伝わってこなかった。
 むしろ、どこか面白がっているように感じられた。

 ――そなたの母親は、濃い巫女の血筋だったのだろうな。
 龍神から伝わってくるメッセージは、言葉に変換するなら、そのような内容だった。言語として伝わってくるのではなく、ひとかたまりの情報としてオウスの胸に入ってくる。
 それをオウスが、自分なりに理解しようとすると、そのような内容に感じられる。そのメッセージの中には、オウスへの興味も含まれているように思われるのだ。
「い……いかにも。我が母は巫女の血筋と聞く」
 そう言葉で返す必要はなかったかも知れない。
 オウスが今抱いている、龍神への畏怖、おののき、そしてそうした巨大な心霊的存在に対しても、どこかでヤマトの皇子としてのプライドが立ち上がり、見苦しいところは見せまいと、なんとか平静さを保とうとしていて、それらが入り交じって、結局彼をしゃべらせているだけなのだが、そんなことはすでに伝わっているのだ。

 ――ヤマトの皇子か。ずいぶんと自負するところがあるようだが、まあ、好きにやってみるが良い。
 龍神はそう告げると、磐座に頤(おとがい)を乗せたまま、目を閉じたように思えた。もはや関心を失ったかのように。
 その広大な意識の中には、この山野に住まう無数の命が存在し、オウスらはそこへ紛れ込んで来た異分子に過ぎず、それとは別個に存在している一部の勢力――すなわちアクラ王一派――もまた、オウスと同様に、龍神には意識はされてはいるが、特別な関心を寄せる存在でもなかった。
 龍神にとっては、自らの依拠とするこの地に住む、自らとのつながりを求め、維持する民たちのほうが、よほど関心が濃かった。

 オウスは、愕然とした。
 龍神に意識がリンクされることで、龍神から自分たちがどう見られているかということが、なんとなくわかったからだった。
 それは、たとえば、人間が地上のさまざまなアリとかミミズとか、あるいは魚や鶏、獣といった生物を見ているようなものだった。場合によっては限りなく関心が薄く、ただそこにそうして生きているという認識しかないものもあれば、生活の中で密接に関わる生き物として、時には狩ったり、時には駆除したりする場合もある……。
 龍神にとっては、オウスは菟とか鹿とか、そのようなものだった。
 それはいたく彼のプライドを傷つけたが、その一方で根深い衝撃を与えた。

 大和の大王、オシロワケの皇子。
 そういう肩書きが、生まれながらに彼にはあった。

 が、オウスはそれ以上に、自分が特別な存在であるという、なにか根拠のない強い確信のようなものを持っていた。そして、赫赫(かくかく)たる戦果を挙げることで、それを証明してきた。
 しかし、そのようなオウスが自らの勲章としてきたものは、龍神の目にはまったく無価値であり、関心を寄せる対象にすらなっていなかった!

 それが彼の矜持を奮い立たせた。

 オウスはようやく立ち上がり、そして龍神と相対した。むろん相手はすでにこちらに関心を失いつつあると知って、なおだ。
「教えていただきたいことがある」
 何かを問いかけねば、と思ったのだ。

 ――なにか。
 面倒くさそうに龍神は、反応だけは示した。
 次の瞬間、オウスは自身、思ってもみなかったことをしゃべり出していた。
「この地は、誰のものか」
 すぐさま返ってきたのは……

 人間的な表現をとるならば、「嘲笑」というようなものだった。
 ――なにを馬鹿なことを。
 龍神はそういっているように思えた。

「どういうことか、お教え願いたい」
 さらにプライドを傷つけられながら、オウスは、しかし、人知を越えた霊的存在に対し、拭い去ることのできない畏怖を抱き、尋ねた。

 ――ならば、逆に問おう。そなたの身体にも、シラミやダニがさばろうが。では、そなたは自分の身体の一部を、そのシラミやダニのものとするか?
「しない」
 ――それと同様なこと。この地は、誰のものでもない。このまあるい地こそが、まことの主(あるじ)ぞ。

 瞬間、オウスの脳裏に、美しい青い珠のようなイメージがよぎった。

 ――それを感じるか。そのような知恵や洞察も、すでに消え去ったかと思われたが……
 龍神は、ふと再びオウスへの関心を呼び起こされたかのようだった。

「つまり、それは……この地のまことの主は、そなたのような神ということなのか」
 その問いに、とたんに龍神は「がっかり」というメッセージを発し、またオウスへの関心を薄れさせそうだった。

「待ってほしい! 私は確認したいのだ」
 ――なにを?
「この吉備の児島を、もともとは自分たちのものだったという者がいる。ここだけではない。ほかの地にも、そのようにいう者たちがいる。それは本当なのか」
 ――それを聞いてどうする。
「私はそやつらを討たねばならぬ。父王の命ゆえ。父王はこの国の支配者だ。この児島やほかの地は、父王のものなのか、それとも……」
 ――くだらぬ問いだ。

 龍神から気配が押し寄せてきたが、それはさらに深い失望感があるように思えた。

 ――そなたらが住まう土地は、何万年、何十万年、何百万年という時がある。その時の過程の中で、どれほど多くの部族や種族が、その地を行き過ぎてきたと思うのか。
 ――そなたらはある季節に、この地にとどまり、去って行く。それはセミのようなものだ。セミは長く地の中に滞在し、夏の一時期に、そなたらの目にとまり、命の謳歌を響かせ、そなたらの目にははかなくこの世を去るように見えよう。
 ――セミが止まる木を、我が物と称するなら、笑止であろうが。

 衝撃的だった。
 オウスは絶句し、先ほどまでのとは別種の汗を流した。
「つまり……父王は間違っていると……?」

 ――少なくとも、そなたらは新参者といえよう。児島に限らず、この島国には1万年を超える民の歴史がある。
 ――そこへ、そなたらの父祖は入り込んできたに過ぎない。まあ、長い目で見れば『帰還した』とも言えるのだが……この母なる国へ。
 ――この地がもともと自分たちのものであったという者どももまた、同じと言えよう。我らの目には、そなたやそなたの父も、古来、ここに住む者たちも、さほど変わりはない。
 ――しかし、その土地には、その土地にふさわしい、なじみやすい霊統がある。それぞれの地には、固有の特色があるからだ。
 ――その土地になじんでしまえば、異国の者もその霊統になってしまうこともある。
 ――大地こそが主であり、その地にふさわしい者を呼び寄せる。あるいは、その地になじむ者こそ、その霊統を継ぐとも言えよう。

「この地を継ぐ霊統?」
 ――この吉備の児島は、スサノヲとその縁ある霊統の地。そなたが目指すユガの地は、その霊統が封印された地。そなたが見てきた大三島も同じ。いや、出雲も大和も、この島国はなべて、大いなる母神とその愛し子の霊統の流れの中にある。

「スサノヲ……」
 ――そなたもまた、スサノヲにいくばくかの繋がりを持つ身。
 ――地に繋がれた牡鹿よ。ヤマトという国に繋がれた者よ。そなたの行いは見ておこう。
 ――そなたなら翼を得て、白鳥となれるかも知れぬ。
 ――なれど、おのが翼は一枚と知れ。翼は一対でなければ飛べぬ。

 いきなりだった。
 ものすごい突風が巻き起こり、オウスの顔を木の葉や粉塵が打った。
 思わず閉じた目を開いたとき、すでに龍神の姿はそこになかった。

 ただ、濃密で冴え冴えとした霊気だけが、磐座の周囲にとどまっていた。

「皇子様、皇子様」
 背後から声が聞こえた。吉備武彦の姿が、満月の光の中に浮かび上がった。
「いかがなされました」
 オウスは汗を拭った。そして、「いや、何事もない」と平静に応えた。
 しかし、身裡には異様な混乱が生じていた。驚きなのか、恐れなのか。

 龍神から受け取ったメッセージは、まだなにも整理されてはおらず、少年の身には余りすぎるカオスとなって広がるだけだった。



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2017年7月11日火曜日

連理の翼6 第2章 アクラ王 1



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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
 狭い内海は穏やかに見えた。
 中天に昇り詰めつつある月の輝きをきらきらと映し、いくつもの小島を周囲にシルエットとして浮かび上がらせている。ちょうどこちらと向こうにかかっている光の橋のように見えた。
 向こう側にある大きな黒い塊が、吉備の児島である。

 オウスは高台に佇み、腕組みをしていた。全身に感じる緩やかな潮風が心地よかった。
 背後にかすかな人の気配を感じて振り返ると、イチフカヤが近づいてくるところだった。彼女はびくっと立ち止まった。
「見違えたぞ」と、オウスは言った。「そうして吉備の娘らしい衣装を身に着けていると」
 満月に近い月の光は、視力に優れたオウスに彼女のいでたちを確認させるのに十分だった。この時代の衣装の生地の多くは麻で作られていた。貫頭衣であることが多い。それは多くの地域で共通していたが、やはりその地域ならではの細かな意匠の違いがある。彼女は今、貫頭衣の上からもう一枚、薄い肩掛けをしていて、それを両手で胸の前でかき合わせるようにしていた。
 イチフカヤはもともと、どちらかというとはっきりとした意志の強そうな顔立ちをしていたが、その衣装と月の光が、今は熊襲の娘らしく見せなかった。
 その瞳の輝き以外は。
 いや、その瞳も揺れていた。
「あ……明日、行くの」言葉につかえながら、彼女は言った。
「ああ。もう十分に準備は整った。あとは天気次第だ」
「大丈夫なの。あの児島を支配しているアクラ王って、すごく手ごわいと……」
「武媛に聞いたのか」
「いえ、武媛様からではなく、なんとなくほかの人から耳に入ってきて」
「もともと児島は、海の民のものだった。それがこの吉備の勢力の中に組み入れられたのだが、なかなか和せぬ時も過去にはあったようだ。筑紫にいたナツソという巫女……もともとは児島に祖先があるらしいが、それが筑紫に追われたのも、そういうゴタゴタの挙句のようだ。まあ、これは吉備武彦から聞いた話だが」
「ナツソ様は昔からのこのワの国の巫女様」
「そのようだな」
「武媛様も」
「だから、安心であろう?」
 イチフカヤは沈黙した。
「熊襲も古き巫女も、もともとこの国に住まう者だ。大和はそれを力で従わせようとしている」

 それはオウスが、この旅に出る前には考えもしなかったことだった。
 父の熊襲討伐に参加した時点では、大和のことしか見えていなかった。大王たる父のマツリゴトにまつろわぬ者がいて、国に騒乱を引き起こしている、と。誅すべき悪しき者ども……それが熊襲であり、また国々を乱す辺境の部族だった。
 しかし、武彦から聞かされた歴史によれば、少しばかり事情が変わって見え始めたのだ。
 ――この海も島ももともとは我らのもの。それを泥棒猫のようにかすめ取っていったのは、貴様ら大和ではないか。
 ヒエダといった、アクラ王配下の男の言葉には、彼らがそう思うだけの理由があるのかもしれなかった。

「しかし」オウスは海を見て言った。「おれは父王の統治を乱す輩を許すつもりなど毛頭ない。アクラ王は児島を占拠し、航海する船を襲い、傍若無人なふるまいをしているという話だ。この内海の海路は、大和にとっても、ここに生きる人々にとっても生命線だ。害するものは滅ぼす」
「オウス……あなたは強い。きっとアクラ王を討ち倒せるでしょう」
 抑えられた言葉にオウスは今一度、イチフカヤを振り返った。
「ヤマトタケル……おまえの父が与えてくれた名を辱めぬように戦ってくるつもりだ」
 胸元でかき合わせているイチフカヤの両手が強く握りしめられた。それをオウスは目を細めて見た。
「おまえはもう自由だ。おまえを大和に連れて帰ることはできない。この地で吉備の民として生きるもよいだろう。武媛にお前のことはよくよく頼んである」
 オウスは歩き出し、イチフカヤのそばを通り過ぎていった。
 無防備な背を見せて。

 イチフカヤはその場に凝固していた。
 オウスが通り過ぎる一瞬だけ、ぶるっと体に震えが走ったようだった。だが、彼女は動けずにいた。
 振り返ると、月光に照らされたオウスの背中が次第に闇に溶けていくところだった。
 胸の前にあった固い手がほどけた。すると隠し持っていた短刀が、足元に落下した。
「あたしは……」
 彼女は地に伏した。月の光の中、彼女の頤(おとがい)から滴り落ちたものが足元の岩を濡らした。
「あたしは……」


 翌日、オウスらと吉備の連合軍は行動を起こした。
 陽が中天に昇るとともに、修復されたオウスらの大和の大型船は、吉備の穴海を東へ進んだ。吉備の穴海は、東の穴戸と西の穴戸がある。西の穴戸はアクラ王の勢力が海賊行為を行っており、吉備の勢力でさえ用心が必要だった。
 また後の時代には川の沖積作用や干拓によって地続きになることからもわかるように、西の穴戸付近は浅瀬が多く、岩礁も多く、大型船の航行には適していなかった。

神武天皇の東征神話も、この穴海の東側にある高島を拠点とし、そこから大和へ向かったという逸話が残されているが、その海路もまた東の穴戸からだったに違いない。
 大型船はその海路を取り、東の穴戸を抜けていった。
 対岸の児島の山頂からは、さかんに狼煙が上がっているのが見えた。むろんそれはアクラ王の配下の者が山々を通じて伝言を送っているのだ。
 オウスの船が東の穴戸から出ていった、と。

 しかし、オウスはその船には乗っていなかった。
 日没と夜の帳を待ち、オウスらは20ほどの小舟で西の穴戸に静かに向かった。吉備武彦らの案内を受け、月明かりだけを頼りに。
 大潮時の引き潮に乗り、小舟の群れは想像以上の速度で進み、児島の西岸にたどり着くことができた。
 総勢100名ほどが上陸したのは、カヨウと呼ばれる小さな港のはずれだった。
 さすがに張りつめていたものを吐き出し、武彦が漏らす。
「なんとか無事につきましたな、皇子様」
 月光の下、オウスは小さくうなずいただけだった。彼の少女のような白い面には、戦気が満ち満ちていた。武彦はそれを見て、戦慄のようなものを覚えた。
 力強い男を頼りとする女なら、みな虜にしてしまうような妖しい美がそこにあった。男であっても、何かぞくりとするような際立った魅力だった。
「武彦、地をよく知る者を先に立たせ、案内を。月の光があるうちに山を越えたい」
「は、はい――」
 この人は本物かもしれない――後に東征に付き従う武彦は、この時そのように感じたことを述懐するのだった。
 歩き出すオウスの背に引っ張られるように武彦は歩き出した。
 


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2017年6月4日日曜日

あれこれ考えずやってみる



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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ようやく。
ヤマトタケルの物語を再開することができました。

一度筆を止めてしまうと、そこを再開するのはなかなかに骨が折れました。

おまけにその間に、安彦良和さんの「ヤマトタケル」の4巻が刊行されたり……
(^_^;)

これがやっぱり面白くて、しかも、かなり被る部分があるんですね。

というのも、安彦さんの物語の下敷きにあるのは、原田常治氏の「古代日本正史」であり、なによりも小椋一葉氏の「天翔ける白鳥 ヤマトタケル」であり、じつはこの方々の神社伝承学研究の書の数々は、私も以前から読み漁ってきたもの。
つまり同じ情報をベースにしている。
そして現代的な解釈を施そうと意図している点でも同じ。

ヤマトタケルというのは古事記や日本書紀にその事績(半ば神話的なものと考える人が多い)が記されており、それを無視するわけにもいかない。
それだけでも類似したストーリーになるわけなのですが、こういう高名で実力のある方が劇画として現在描いているものを、私なんかが小説にする意味があんのかな?…とか(笑)

いろいろと自問自答しちゃったわけです。

ただ現在の私は、安彦氏とはちょっと違った古代史観を持っていて(特に邪馬台国に関するもの)、しかもこのヤマトタケルの物語は、前作の「ヤオヨロズ」の後を受けたストーリーなので、そこに独自性もある。
そしてヤマトタケルのキャラも違うし、描こうとするものもおそらく違う。
つまりテーマがおそらく違う…と思われるのです。

現在描いている瀬戸内、児島と吉備のストーリーも日本書紀の中に「吉備の穴海に行き、そこに悪い神がいたので討った」というただの一文があるだけのところを膨らませています。
ただ、これが後で大きな伏線となっていくはずなのですが、そういう意味では、かなりこれまでとは違ったヤマトタケルを描けるのではないか…とか、ちょっと野望を燃やすに至りました。

自分のやっていることに意味がないように思えて、それでもなにかやらずにおれず……それが後で大きな意味を持ってきた、ということは私の人生で幾度かありました。
占星術の研究がまさにそれでしたし、アメブロを書き続けたのも同じです。

アメブロなんか、「こんなことを書いていても、自分にとって何の得もないし、意味もないのではないか」と自問することばかりでした。
しかし、あのアメブロがあったからこそ今の自分がある。

物語を描いていてもそれは同じで、中に入り込んでいくと、なぜそのシーン、そのストーリーを描かされるのかわからないけど、手が動くという体験をよくします。
ですが、それはちゃんと意味があるし、それを描いたからこそ物語が面白くなったり、完成度が増したり、ということは創作活動上ありふれた出来事です。

案外、人生っていうのは、こういう一見無意味に見えることが積み重なって、大きな意味をなしていくのかもしれません。
だから、時にはあれこれ考えるのをやめるのもテかな、と。

で、あれこれ考えず、とにかく再開しちゃったわけです。

長い物語になります。
どうぞ、温かく見守ってやってくださいませ。


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2017年6月3日土曜日

連理の翼5 第1章の5



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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

本日より、ヤマトタケルの物語を再開いたします。
決して数多くはないと思うのですが、この物語を楽しみにしてくださっている皆様。
お待たせしました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「危ういところをお助けいただき、あらためて感謝申し上げます」
 オウスは、偉丈夫な男とその隣に座る少女を前に頭を下げた。
 吉備武彦とその娘、武媛であった。利発そうな大きな眼を、ずっとオウスに向けていた。
 古来よりの吉備の本拠地――阿曽の吉備武彦の屋敷にオウスら一行は保護されていた。児島の山中に拠点を置くアクラ王一党の攻撃による死地から、からがら救い出されたのだ。
「なに、あやつらとのいざこざは今に始まったことではございませぬ。たまたま皇子様の船をお助けできたというのは、まさに天の計らい、僥倖にございます」
 武彦の言葉に、あらっというようなまなざしを娘は向けた。それを受け、武彦は咳払いをする。
「敵の狼煙を見て船を出されたのですか。それにしてはご到着が早かったような」
 オウスはあの時の潮の流れが、吉備からは逆向きであったことに気づいていた。
「それにあのような場に、かような姫君をお連れになるというのも尋常でない」
 困ったように武彦は、娘に眼をやりながら続けた。
「じつは武媛が一人で船を出そうとしていたのです」
「一人で? あの大船を?」
 弟彦が驚き鸚鵡返しした。
「いや、小舟で出ようとしていたのです。従者たちが気づいて止めたのですが、どうしても行くと――『迎えに行く』といって聞かず……しかし、穴戸は今、娘が一人で渡れるような海ではありませぬ。そこでやむなく、私を含め、港を出たのです。そうしたら途中で奴らの狼煙に気づいた次第……」
「それでお助けくださったのですね」
 オウスは武媛に改めて眼を向けた。
「ならば、姫様にこそ深く御礼申さねばなりませぬ。――しかし、迎えに行く、とは?」
「強い光が現れるのを感じました。クロガネの強い輝きのような光でした。私はそれを迎えねばならぬと感じたのです」
 オウスは弟彦と顔を見合わせた。弟彦の表情にも困惑がある。
 はっはっは――と武彦は声を上げたが、何やらごまかすような笑い方だった。
「娘は巫女の血筋のようで、なにやら見えぬものが見えたり聞こえたりするらしいのですよ。――まったく、困ったもので」
「巫女――」
「大和姫様のような――」
 弟彦の言う大和姫は、オウスの父、オシロワケの妹であった。ミマキイリヒコ大王の娘、豊鍬入姫の跡を継ぎ、天照大神の御杖代となって、諸国を転々とその御霊を祭る土地を求め歩き、ようやく伊勢にその地を定めたという。大和姫も巫女として才覚を秘めた女性だという話だけはオウスも聞き及んでいた。
「わたしには大和姫様のようなお力はございません」
 まだオウスよりも年若いであろう少女は、しかし、神秘的な雰囲気をどこか漂わせていた。その眼がオウスから彼の背後に控える娘、イチフカヤに移るをのを気にせずにはおれなかった。
「何事か娘の霊力に感応するところがあったのでしょう。皇子様の亡くなられたお母上、イナミノワカイラツメ姫様は母方がこの吉備の血筋です」
 武彦の言葉に弟彦が膝を叩くように応じた。
「そういえばそうでしたな。聞いたことがございます。皇子様のお母様も巫女のお血筋だと」
「母が……」
 そんな話は初耳だった。
 オウスとオオウス、双子の兄弟の母は、もともと播磨の国の者だった。その美貌が大和にも知られるところとなり、オシロワケ大王は妻問いに播磨に来たといわれる。(妻問い=求婚)
 ワカイラツメは身を隠してかわそうとしたが、オシロワケに探し出され、城宮で強引に婚姻関係を結ばれてしまう。大和の大王の妻問いを断りぬくことなど、そもそも難しい話であり、それ以上にオシロワケの戦好き女好きは知れ渡っていた。
 そうして生まれたのがオウスとオオウスである。
 だが――

 ――もうお許しください!
 母のことを想起するとき、オウスの脳裏によみがえるのは母の悲痛な叫びだった。その叫びは、子供心に焼き付かれたようにいまだに痛烈なほどはっきりとしている。
 母は体が弱かった。にもかかわらず、余りある男の血気をもつオシロワケは、その精力で母の肉体を求め続けたのだ。
 母が急逝したのも、その行為のさなかであったことをオウスは知っている。
 5歳の時だった。
 城宮から運び出された母の亡骸を埋葬するため、兄弟も同行していた。印南川を渡ろうとしたとき、竜巻のような暴風がわき起こり、棺が誤って川へ落ちた。
 捜索されたが、母の遺体は見つからず――

 ただ母が使っていた遺品である櫛笥(くしげ)と朱の褶(ひれ)だけが見つかった。

 母の墓にはそれだけが埋葬されている。
 その後、兄弟は城宮から大和に連れていかれることになる……

「皇子様はそういう意味でも、我ら吉備のご姻戚にあられます。なんなりとお力にならせていただきます」
 武彦の言葉が、オウスの意識を現実に引き戻した。
「児島のアクラ王を討たねばならない。それが父よりの命だ」
「あの者どもには我らも手を焼いておりました。じつはすでに討伐の準備はこちらで進めておりましたところ。皇子様のお力添えをいただきますれば、かならずアクラ王を討つことができましょう」
「うむ。よろしく頼む。――それと」
 オウスは背後のイチフカヤをわずかに顧みた。
「この娘を預かってはもらえぬだろうか。仔細は話すことができぬのだが、大和には連れて帰れない」
「わかりました」
 武彦は硬い表情のまま応えた。
 すっと武媛が立ち上がった。そして、オウスのそばを通り抜け、腰を低くしてイチフカヤに手を差し伸べた。
「おいでください。わたしがご案内いたします」
 半ば怯えを映す眼をオウスの背に揺らがせたのち、イチフカヤは武媛の手を取って立ち上がった。



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2015年12月14日月曜日

連理の翼5 第1章の4


       4

「皇子様!」
 愕然として、弟彦が叫んだ。
 前方に船団が見えた。小舟ばかりで、あきらかにヒエダたちの仲間に思えた。

 西の穴戸から彼らは舟を漕ぎ出してくる。
 そして背後には、ヒエダたちが食い下がっている。

「もう少しで振り切れるのに……」
 弟彦が歯噛みした。

 狼煙の連絡だ、とオウスは思った。瀬戸内沿岸部には、過去の大乱期以来、狼煙台が整備されている。この時代、スピーディに情報を伝達するには、狼煙は最良の手段だった。
 穴海に控えていた者たちにも、侵入者の警告が伝達されたのだった。

 前方にも出現した敵に、大和の兵たちも一挙に不安が広がった。漕ぎ手の力にも躊躇が出る。
 それを見て、オウスは叫んだ。

「手を緩めるな! 船速は出ている! 一気に突き破るのだ!」
 皇子の活が、兵たちの顔を引き締めさせた。
 おお! と声が返ってくる。

 当時の吉備(岡山)
 児島は本州から離れた島であり、間には穴海が広がっていた。


 ほかの二隻にも指示が伝えられ、オウスの船団はむしろ速度を上げ、正面から新たな小舟の群れへ突っ込んでいった。
 小舟に接触、相手の船が横転する。

 降り注いでくる矢。
 オウスでさえ、その数を防ぎきれなかった。
 しかし、彼らはオウスらの船には接近してこなかった。距離をとり続けている。

 何かおかしい、と感じたそのときだった。

 びゅうん! という唸りをあげ、大きな矢が次々に飛来し始めた。
 近接した小島の高台からそれは射出されていた。
 弩(おおゆみ)であった。それは通常の弓とは異なり、長大な距離を飛来して、やがて正確さを増してきた。

 オウスらの船団は、知らず、その敵が潜む小島へ誘導されていたのだ。

 弩から放たれた矢が、左舷の漕ぎ手二名に必中し、一人は首を貫かれ一瞬で命を落とした。
 左の櫂二本が沈黙した。そのため船は左へカーブし始めた。

「まずいぞ!」
 弟彦が叫ぶ。
 
 穴戸は狭かった。のちの時代には地続きとなり小山となっていく島々がひしめいており、その間には極めて限定された水路しか存在していなかった。
 木材が悲鳴を上げる異音がして、オウスの船は岩礁に乗り上げていた。
 イチフカヤが悲鳴を上げ、転がる。
 
 オウスは彼女を抱きとめ、そして唸った。
 船は無論、止まっていた。後続の二隻も、弩の攻撃に遭い、失速しつつあった。同じように岩礁へ流されてくる。弩の射程からは外れたようで、小舟の軍勢が集まってきている。

 オウスは絶望的な状況であることを認識した。
 穴戸の賊など、取るに足らぬ勢力であると、侮っていたのだ。
 しかし、敵は近海の潮の流れも熟知し、海での戦いに長けていた。

 オウスは立ち往生する船の上に立ち、岩礁を見下ろした。
 それはすぐ近くの豆粒のような小島にもつながっているように思えた。そこへ向かって、波間に岩が透けて見える。
「あの島へ移れ!」
 オウスは叫び、自ら先に飛び降りた。
「イチフカヤ! 来い!」
 彼女は一瞬迷ったが、敵が近づいてくるのを見て、目を閉じて船から飛び降りた。
 オウスはそれを岩礁の上で受けたが、さすがに彼のまだ華奢な体では抱き留めきれず、二人は岩場の上で海水に濡れた。

 次々に兵が飛び降り、オウスに続いて岩場を飛び渡った。
 そうするうちにも敵は小舟で群がってくる。数では完全に圧倒されていた。

 ――ここまでか。
 豆粒のような小島には、かろうじて植物が繁茂していた。茂みの中へ飛び込んでいったものの、オウスはそのときには死を覚悟していた。
 同じ船から島にたどり着いたのは、もはや十人にも満たなかった。
 弟彦もすでに矢が尽きていた。

「あ、あれは……」
 オウスのそばで、イチフカヤが目を見張り、指さした。

 穴戸の北から別な船団が迫ってきていた。
 大和のものと同じ構造船であった。

「あれはもしや……」
 弟彦の声音に震えるような希望があった。
「吉備の……」

 まさしくそれは、友邦・吉備の船団であった。
 その先頭を切ってくる船に、吉備武彦(きびのたけひこ)が仁王立ちになっていた。
 そして、その隣に白い衣装を身にまとった少女がいた。

「武媛……あれがそうなのか」
 武彦は少女に問いかけた。

「はい、お父様……」
 答えた少女は、オウスと変わらぬ年ごろだった。
 その毅然とした眼は海上で繰り広げられる戦乱を見据え、さらにその奥にあるものを見通しているようだった。

「まったく困ったやつじゃ。こんな場にまで……」
「でも、わたしの申しましたとおりに現れたでしょう」
「隠れておれ」

 武彦の言葉に、少女は船の下の方へ降り、木の盾の間に身を潜めた。

「かかれ!」
 武彦の号令と共に、吉備の船団は穴戸の賊たちに急襲をかけた。

 すでにオウスらとの戦いに戦力を消耗しつつあったヒエダらは大いにひるんだ。吉備の船団とは幾度も小競り合いを繰り広げてきており、その実力も熟知していた。

「退くぞ!」
 早い段階でヒエダは戦況に見切りをつけ、部下たちをその場から離れさせた。
 武彦にしてみれば、そのような成り行きになるであろうことも、日ごろの経験からわかっていた。
 ヒエダらがいかにこの海で戦い慣れしているとはいえ、同じ海での練度の高い吉備の兵力と、真っ向から戦うのは無謀だったからだ。

 オウスはヒエダらの船団が離れ行くのを見、命を救われたと実感した。
 そしてゆっくりと近づいてくる吉備の船を仰いだ。

 その船首に、あの少女が現れていた。
 彼女はオウスのことを、じっと見つめていた。






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2015年10月31日土曜日

連理の翼4 第1章の3


       3

 吉備の児島。
 それはまるで巨大な壁だった。
 帆を上げたオウスの船団三隻は、そこへ近づいていた。
 
「この島の向こう側に穴海がございます。そしてその向こうに古来栄えてきた阿曽の国がございます」
 弟彦の説明を聞きながら、オウスの眼は近づいてくる児島の威容を映し出していた。平野は少なく、海岸近くまで山が迫ってきている。突き出した鼻のような半島が、近寄る者を威嚇するようだ。
「筑紫にまいりますときに、ご説明申し上げましたが、かのイワレヒコ様が大和に入られます前に逗留され、軍備を整えられた高島も、この児島の向こう側にございます。そこを拠点に、イワレヒコ様は大和に向かわれたのです」
「我らが始祖、大和初代の大王となったイワレヒコか」
「はい」
「理にかなっているな。こうして行き帰りに、吉備の児島を見れば。この島はまるで王都を守る盾だ。大きな盾が弧を描くように吉備の内陸を守っておるようだ」
 弟彦はオウスの言葉を聞き、目を大きくした。
「さすがのご慧眼。皇子様はよう見ておられます。まさにこの児島は、吉備を守る盾のように弧を描いて海に浮かんでおります。穴海の東西にある狭い穴戸。そこを守り抜くことで、阿曽や高島は安泰なのです」
「であろうな。イワレヒコ大王がこの奥の高島に拠点を設けられたのもうなずける……」
 オウスは話をしながら、漠然と胸にあった疑念が形となるのを感じた。
「弟彦」
「はい」
「イワレヒコ大王は筑紫の日向から大和に入った。その言い伝えはまことなのか?」
 弟彦はあまりにも意外な言葉を聞かされたといわんばかりの表情だった。
「むろんでございます。なぜそのようなことを?」
「それが真実ならば、イワレヒコ大王の故地は筑紫であろう」
「…………」
「なぜ、その筑紫とかように争い続けてきたのだ」
「それは……筑紫の中にも協力的な国もあれば、熊襲のようにまつろわぬ国もございますれば」
「しかし、今回の筑紫征伐では、父はイワレヒコの故郷である日向も攻めた。なぜだ? なぜそのようなことになってしまったのだ」
 弟彦は沈黙を守っていた。
「言いにくいことがあるようだな」
「いえ……昔のことゆえ、私もよく知りませぬ」

 弟彦は大和の王権に協力的な尾張の士族の出であった。現在の大和は、こうした近隣の多くの土地の士族たちの結びつきによって成り立っている。近江、北陸、尾張、丹後、但馬、そして吉備……。
 これらの地域の士族が大和に集権することになったいきさつは、オウスにしてもよく知らなかった。耳にしているのは曖昧模糊とした伝承だけである。きわめて漠然とだが、戦乱の続いた時代を経て、国を一つにまとめる機運が高まり、やがて大和にその中枢ができていったということだけは、彼も理解していた。
 そして、その始原の時に、大きな影響力を持つ巫女らがいたことも。

「皇子様!」
 弟彦が叫んだ。
 彼は児島から海へ突き出している半島の突先を指さしていた。
 その高台から煙が上がっていた。
「狼煙(のろし)か」
 オウスの眼にも険しさが生じる。
 その狼煙を受け、遠く離れた別の山でも狼煙が上がる。そうやって離れた地へ、次々に情報を伝達していくのだ。
「どうやら我らは警戒されているようです。これは……思ったより厄介なことになっているのかもしれませんな」
「穴戸だけのことでは済まないということか」
「はい。あのように児島の各所に見張り台を作っているということは……」
「児島全体が賊の手に落ちている……?」
「かもしれません」

 オウスらの懸念は的中していた。
 半島の付け根のあたりにある良港(現・下津井港)に向かっていた彼らの前方に、小ぶりながらすばしこそうな船が幾艘も出現したのだ。差し墨をした剽悍な戦士たちが乗り込んでいた。オウスらの船は20人ほどが乗船できる大型船であったため、小回りという点でははるかに劣り、たちまち取り囲まれた。
「ここは我らの海ぞ! 何者か?!」
 弓を携え、腰には剣を帯びた男が叫んでよこした。
「我らは大和の大王、オオタラシヒコオシロワケ様の使者。この船は大王の皇子、オウス様――またの名をヤマトタケル様――の船ぞ!」
 弟彦が返す。
「皇子様の船に無礼であろう! そなたらこそ何者?!」
 男たちの様子からは、むしろ嘲笑めいたものが感じられた。白い歯を見せ、話し合っている。「ヤマトタケルだとよ」「たいそうな御名じゃ」「知らねえな」――。
「我らはこの吉備の児島を支配するアクラ王に使える者。我はその一人、ヒエダよ!」
「アクラ王……?」
 弟彦の表情が曇った。
 いつの間にかそばに来ていたイチフカヤが、オウスの衣の端を握った。
「心配するな。お前は身を低くしておれ」
「大丈夫……?」
「心配するなと言っている」
 オウスは笑みを浮かべ、イチフカヤを押しやった。彼女はうなずきながら後ずさっていく。
 そしてオウスは自ら前に出て、弟彦の隣に立った。
「これは異なことを言う」
 オウスの声が潮風の中を渡った。
「いったい、どこの誰がアクラ王なる者に吉備の児島を与えた。児島は古来、阿曽と共に我ら大和と共存の道を歩んでまいった。このワの国の大王たる父オシロワケ以外、誰がその支配を得ようか」
 波に揺れる視野の中、小舟の男たちにざわめきが走った。
「お前がオウスの皇子か」
 ヒエダの問いに、オウスは「いかにも」と答えた。
 まだガキじゃねえか……と侮る声が聞こえた。その一方で戸惑うような空気も流れた。少年の態度が、あまりにも堂々としており、不敵とさえ映るものだったからだ。
「我らこそ、逆に問う。ワの大王だか何だか知らぬが、この海も島ももともとは我らのもの。それを泥棒猫のようにかすめ取っていったのは、貴様ら大和ではないか」
「大和を泥棒猫というか」
 オウスの顔に怒気がはらんだ。同時にその華奢な体躯にも、猛々しいものがみなぎっていく。
 それを見て、弟彦が後ろへ下がり、部下たちに「号令で全力で漕げ。西の穴戸から阿曽へ向かう」と鋭く指示を発した。
 その呼吸は、見事なものだった。オウスの信が厚い弟彦の面目躍如たる機敏さだった。
「我らの邪魔をするな。そのアクラ王とやら、わが前に来て、非礼を詫び、恭順を示すなら、温情も示してやろう。だが、児島の支配など傲慢な行いを看過するわけにはいかぬ」
「アクラ王様に詫びろだと」
「お前らも大和にたてつくなど愚かなことはやめ、児島を解放するのだ」
「貴様ら大和こそ傲慢なそのもの言い。もはや聞き飽きたわ!」
 ヒエダが「やれ!」と号令を発した。
「漕げぇええ!!」
 弟彦も号令を発し、オウスの横に飛び出してくる。そのときは彼は弓をすでに引き絞っていた。

 取り囲んでいた小舟から、次々に矢が射かけられた。
 オウスは飛来する矢を剣で払った。彼の太刀さばきは、その細い腕からは信じられぬほど速く、弟彦を狙った矢も叩き落した。
 オウスがそうしてくれることを信じている弟彦は、その盾を得ながら次々に矢を放った。
 彼の矢は海上を弧を描いて飛翔し、正確に敵兵を射抜いていった。
「相変わらずいい腕だ、弟彦」
「皇子様こそ!」
 二人の活躍に触発され、ほかの二隻の大和の兵たちも船上から次々に矢を放つ。

 大型船ゆえに、大和の船は速力が上がるのにはやや時間がかかる。何より帆の力もあるので、そこまでの時間させ稼げれば、敵の小舟を振り切ることは可能だった。
 だが、最後尾になった一隻は、寄せてくる敵の小舟から乗り移られ、混乱が生じた。
 それを見た弟彦は、ほかにも乗り移ろうとするヒエダの配下たちに矢を放ち、けん制した。
 最後尾の船もかろうじて、敵を叩き落すことに成功する。

 だが、敵の飛来する矢が、すでに多くの者を傷つけていた。
 船には左右八本の櫂の漕ぎ手がいるが、彼らの中にも負傷した者、あるいは亡くなった者まで出た。
 そのためオウスの船団の速力は今一つ上がらなかった。

 そして執拗に、ヒエダたちは追走してきた。 
 オウスの船は押し出されるように北上を続けた。

 その先には、吉備の西の穴戸が待ち受けていた。





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2015年10月17日土曜日

連理の翼3 第1章の2


          2


「吉備の児島でございますか」
 青空の下、多島海の美しい景色がどこまでも広がっていた。漕ぎ手たちの力強い櫂によって、船はぐいぐいと進んでいく。潮の流れの良さも手伝って、船のスピードは速かった。
 潮風を浴びながら、オウスは腹心といってよい従者の弟彦と話していた。
「それならば、妙案があります」
「というと?」
「海人(あま)たちの話によりますと、近頃、吉備の穴戸(あなと)に賊が出没するようです」
「吉備の穴戸?」
「はい。児島と阿曽の間に豊かな浅海がございます。吉備の中心・阿曽に入るためには、とても重要な穴海なのですが、ここを荒らす者がおるようです。この賊どもを討伐するという名目であれば、私たちだけが吉備に立ち寄ることもかないましょう」
「吉備は大和とも良い関係を築いておるな」
 少年は考えながら言った。
「はい。最友好国です。それを助けるためとあらば、大王もお許しになるでしょう。それに児島近海が荒れれば、このように瀬戸内を航行することもおぼつかなくなります」
「今宵は安芸であったな」
「はい」
「安芸に着いたら、そのように大王に進言してみよう」
 弟彦は髭面でにっと笑った。
「それがよろしいかと」
「なにを嬉しそうにしている」
「これでオウス様は、さらに名をお上げになる。ヤマトタケルとしての御名を。私はそれが嬉しいのでございます」
「ヤマトタケル――か。過ぎた名だ」
「そのようなことはございません。私は皇子様の器量にほれ込んでおります。いずれ大和はおろか、このワの国全土にその御名が轟きましょう」
「大和一の弓の名手である弟彦にそこまで言われれば悪い気はしないな」
 オウスはまんざらでもなく薄く笑った。
「ただ少々、心配があります」
 弟彦は顔色を曇らせて言った。
「心配?」
「皇子様はお優しすぎる」
 弟彦は声を落とし、オウスに少し近づいた。
「なぜ、あのような下賤な女に肩入れをなさるのですか?」
 オウスは首を回し、肩越しにイチフカヤを振り返った。わざと顔を汚し、兵の姿をさせている。オウスの警護役というような名目で身近に置いているのだ。一見しただけでは、女とはわからなかった。
「哀れであろう」
「大王の命に背いて、あの者を生かしたことが知れますと厄介なことになります。吉備に着いたら、あの者は遠ざけてくださいまし」
「わかっておる。何度も言うな」
「これは失礼いたしました」
 弟彦は身を低くして下がった。

 体の交わりを持ったためか、オウスはイチフカヤに対してはすでに冷淡ではいられなくなっていた。察している弟彦が懸念するところもそれであったろう。
 少年にとっては、彼女は初めての女だった。あれ以来、幾度かまぐわっていた。それこそ溺れるようにだ。
 だが、そのたびに胸が締め付けられるような、苦く重い感情がわだかまるのだった。それは定かならぬ感情の膨張であり、あまりの苦しさに叫びたくなるようなものであった。相手のイチフカヤも同じようだった。
 オウスにしてみれば、自分が殺した男の娘。
 イチフカヤにしてみれば、自らが背き裏切った父を殺した男。
 彼らの交わりは、愛情などではなかった。ただこのむごたらしい関係から目を背けるためのものでしかなかった。彼女にしてみれば、恐怖を忘れたいからというのもあったろう。
 救いを求められ、オウスはそれを与えた。男として。
 それだけのことなのだが、すでにイチフカヤは他人ではなくなっていた。
 だが、同時にいつまでもそばにおいておけるような存在ではないということも、オウスは痛いほど感じていた。


 安芸に到着後、オウスはオシロワケ大王に進言を行った。近習の者と共にする食事の席だった。
「吉備の穴戸にそのような賊が……」
 オシロワケ王は初耳のようだった。
「大王(おおきみ)」
 声を発したのは、末席に座す武内宿禰(たけのうちすくね)だった。まだ若く、オウスよりも一つ歳年上なだけだが、今回の筑紫討伐においても功績は大きかった。川上梟帥の砦に商人に扮した兵を送り込み、内部から切り崩す策を考案したのは、ほかならぬ彼であった。
「その話、私も聞き及んでおります」
「まことか、宿禰」
「じつは大和への帰路、懸念しておりました。よもや、大王のこの船団に戦いを吹っ掛けるような馬鹿な真似はすまいと思っておりましたが、穴戸の賊はこのあたりの潮の流れを熟知した海賊です。油断はできません。まして児島はこの東西の海路の要衝。もし児島がまつろわぬ者の手に落ちれば厄介なことになります」
「うむ」
 オシロワケは盃の酒を飲み干すと即断した。
「よかろう。オウス、おまえに吉備の穴戸の賊の討伐を命じる」
「はい」
 オウスが身を低くしたそのとき、オシロワケの隣にいたオオウスが口を開いた。
「大王――」
「なんだ、オオウス」
「ただ殺すことを繰り返せば、まつろわぬ者の反感は増えるばかり。でき得れば、言向け和す(ことむけやわす)ようお願い申し上げます」
 一瞬、その場は凍り付いたような静けさに包まれた。

「たわけがっ!!」
 建屋を揺るがすほどの怒号が発せられた。オシロワケは立ち上がり、顔面を真っ赤にしていた。眼は顔の外に飛び出しそうなほど見開かれている。
「言向け和すだと! 話し合いなど通用する相手だと思うてか!! おまえはその眼で筑紫で何を見てきおった!」
「大王、このままでは国は一つにはなりませぬ」
「なろうさ! この……この儂がっ!!」
 オシロワケはわが胸を叩いて豪語した。
「儂が残らず平らげ、一つにするのだ!! このワの王たる、大和の大王たる儂が!」
「力では一つになりませぬ!」
「まだ言うか! この腑抜けが!!」
 箍が外れたように、猛然とオシロワケはオオウスを足蹴にした。その苛烈さは、その場にいた者すべてを震え上がらせた。自らの後継者と指名する息子を、情け容赦なく蹴りつけ、罵声を浴びせ続けるのだ。
 オウスはただそれを見守るしかできなかった。体が呪縛されたように動かないのだ。
 幼き頃より刷り込まれてきた、絶対的支配者である父。
 その逆鱗に触れて発せられた怒りは、少年から普段の勇猛さを残らず吸い上げ、枯渇させた。
「なんのために若造の貴様らを筑紫に連れて行ったと思うかっ!! このワの国を統治することの厳しさを教えるためぞ!」
「大王!」
 家臣の一人、夏花がたまりかねたように進み出た。
「お、おやめください! ど、どうかっ!!」
 すでにオオウスは、口を切り、鼻血も流していた。腹も蹴り上げられたのだろう。苦しげに呻き、吐いた。
「ええい、どこぞ、連れて行け!」
 オシロワケは荒々しい波動をそこら中に振りまきながら、その場を離れかけた。そして、思い出したようにオウスを振り返った。
「よいかっ! 吉備の穴戸の賊、一人残らず皆殺しにせよ! おまえなら造作もなかろう」
 返事が出なかった。口腔がカラカラに乾き、言葉が詰まった。
 オウスは全身に冷感と萎えを感じながら、ただ頭を下げた。





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2015年9月28日月曜日

連理の翼2  第1章の1


       1

 熊襲の地から凱旋した大和の軍勢は、京(みやこ)において盛大な祝宴を催した。数年がかりの筑紫討伐が、川上梟帥(かわかみたける)を倒すことでついに達成されたからだ。
 京は先年、オオタラシヒコ(景行天皇)が筑紫攻略の拠点として定めた要地だった。瀬戸内をまっすぐに西に突き当たった平野の奥、遠賀川の上流域にもあたるそこは、交通の要衝だった。※現・福岡県みやこ町付近
 宴の席は戦勝の高揚とともに、ようやく故地に帰ることのできる兵たちの喜びが噴き上がるように沸き立ち、冬だというのに熱く感じられた。

「いや、まったく皇子(みこ)様はたいしたものだ!」
 手にした器の酒をこぼさんばかりに弟彦(おとひこ)が声高に賛美する。
「あの川上梟帥の弟に引っ張っていかれた時には、おれはもうだめだと思った。けど、皇子様はまったく慌てておられなんだ。それどころか隙を見て、迷うこともなく、弟の脇腹にこう――グサリだ!」
 オウスの雄姿を見ていなかった者たちがどよめく。それに気をよくして、さらに弟彦は熱弁をふるった。熊襲の豪傑、川上梟帥をオウスがいかにして殺めたかを。

 少年は黙ってそれを、焼き栗を食みながら聞いていた。あの現場に商人に扮して居合わせた弟彦が、あの時のことを語るのはこれが初めてではなかった。そして語るごとに話が少しずつ粉飾されていった。
 この分だと大和に帰るころには、どんな話になっているかわからない。自慢話はだれでも大きくしたがるものだが、弟彦は自分が付き従ったオウスの手柄を誰よりも喜んでいた。

「皇子様、どうぞ」
 声をかけられ、少年はそばに来ていた女を振り返った。
 年の頃は三十をいくらか越えているだろう。落ち着いた面差しの成熟した女が、そばに焼き魚を置くところだった。
「ありがとう。たしか、そなたは……」
「ナツソと申します」
 そうだったな、とオウスは思い出した。筑紫全土攻略の拠点として、この地を父王、オオタラシヒコが望んだとき、大和に恭順の意を示した女首長だ。古くからこの島国に住む部族は、女性を首長に据えることが多かった。巫女をマツリゴトの中心に置く風習があるためだ。

「たいそうなお働き。さぞかしお父様もお喜びでしょう。お祝い申し上げます」
 ナツソは伏し目がちに祝辞を述べた。
 その言葉を受け、自然とオウスの眼は高座にいるオオタラシヒコに向けられた。父は大声で笑い、酒を呷り、周囲の人間に言葉を投げつけていた。酒を運んできた娘を今もかき抱いている。
「……父は喜んでなどおらぬよ」
 伏せられていたナツソの眼が、驚いたように大きくなり、オウスを見た。
「なぜでしょう。この地に大和の皆さまがお越しになられたときも、皇子様のお働きは大きかったとお聞きしております」
「彦山の話か」※現・英彦山
 少年は手を延ばし、器を手に取った。そして、それをナツソの前に差し出し、「注いでくれ」と言った。
 慌ててナツソは、弟彦の前にあった酒の甕を取り、オウスの器を満たした。その手は震えていた。その震えは、怯えをことのほか表現していた。
 酒を呷るオウスの脳裏に、彦山の戦いのことが蘇っていた。

 累々たる死骸――。
 流れる血は、彦山の山あいの川に流れ込み、やがて夏の蒸せかえるような暑さの中、たちまち腐乱した死体の臭いが、長く谷あいを埋めた。
 その戦いでも、オウスは赫々たる戦果を示した。首級を上げたのはオウスではなかったが、それを実現できたのは、彼のずば抜けた戦闘能力が敵の砦の一角をこじ開けたからである。
 彦山にいた敵対勢力は、ことごとく惨殺され、その屍を山の至る所にさらした。

「ナツソ姫よ、一つ尋ねたい」
 オウスは彼女の酌した酒を口に運びながら言った。
「この筑紫におる者どもは、すべてそなたの同族か」
「あ、いえ――」
 ナツソは戸惑ったようだった。
「すべてではございませぬ。この筑紫は大陸や半島にも近く、ここしばらくは多くの者が渡来してございます。その中には大陸の北のほうから来た者、あるいは南のほうから来た者もございます」
「彦山のハナタリやミミタリは、そなたの同族ではなかったのか」
「いえ……」
 ナツソの顔色が曇った。
「もとをただせば、同族でございます」
「ならば、そなたは同族を売ったということになるな」
 オウスの言葉は冷ややかという以上の厳しさでナツソの胸を刺した。
「なぜ、父に協力した?」
「…………」
「同族を裏切ってまで、なぜわれら大和の者をここに受け入れた」
「…………」
「答えたくはないか」
 独り言のようにオウスは結論を下そうとした。が、ナツソは酒の甕を持ち上げた。今度は震えていなかった。
 彼女の酒を受けながら、オウスは彼女の声を聞いた。
「いつか一つに……。そのようになるのが、善きことと考えました」
「一つに?」
「このままこの国々が長く争い続け、バラバラのままではいけないと。いつか一つに――わたしたちはそのような遺志を継いでここにおります」
「遺志?」
「皇子様」
 ナツソははっきりと強い光を眼に集め、オウスを見つめた。
「お願いがございます」
「なんだ」
「皇子様はオオタラシヒコ大王の日嗣(ひつぎ)の皇子様のお一人とお伺いしております」
「日嗣の皇子は兄のオオウスだ。オオウスがいずれ父の跡を継ぐだろう」
 オウスは父王オオタラシヒコのそばで、まったく同じ少女のような顔をして座っていた。抗う女を抱きすくめ、困らせている父にどのような感情を抱いているのか、その顔にはまったく表れていなかった。
「いずれにせよ、オウスの皇子様はこの国の中心に立たれる方。どうか、お聞き届けください」
 必死なものを青ざめた面差しにみなぎらせ、ナツソは身を低くした。
「争わねばならぬは認め合わぬが故――。一つになるには、それぞれがバラバラでいなければなりませぬ。それをどうか、お分かりください」
「バラバラでいて一つ? そなたの言葉は謎かけのようだな」
 少年は苦笑した。
「そのためには、わたしはこの地で同族に殺められても仕方のないことと覚悟しております」
 ナツソの思いつめた声音と表情に、オウスは強く引き付けられた。
「やはり、そうなのか」
「と申されますと――?」
「同族を裏切った者は、やはりこの地では生きてゆけぬか……。教えてくれぬか。もし同族を裏切ったとなればどうなる? たとえば身内を売ったとすれば――? この地で生きていくことはもはやできぬか」
 本当はそのことが訊きたかったのだと、ナツソの胸にも伝わったようだった。彼女はしばらく目を泳がせていたが、すぐに腑に落ちたようだった。
「皇子様がもしそのような方をご存じなのでしたら、このまま筑紫に留まられるより、別な地で生きることを考えられたほうが良いでしょう」
「やはり、そうか……」
「お帰りの際、吉備に立ち寄られるとよいでしょう。吉備の児島には、私と祖先をお同じくする部族の巫女がおります。そこでご相談をなされては」
「うむ……。そうするとしよう」
 オウスは焼き栗をひとつかみすると、席を立った。驚いてナツソが見上げる。
「礼を言う。そなたも無事でな」
 少年は一人、宴席を離れた。
 冷え込んだ大気の中に、満月が浮かんでいるのが見えた。白い息を吐きながら、いくつかある庵の一つに向かった。そこは彼に与えられた寝所だった。竹を組み合わせて作った戸板を上げ、無造作に中に入っていくと、暗闇で息をのむような気配がした。
「おれだ――。心配するな」
 差し込んだ月明かりが、中にいる者の顔を照らした。

 イチフカヤであった。

 川上梟帥の娘でありながら、大和に味方して父を売った――。
 その場にいた梟帥の近習たちは、みな、殺したが、イチフカヤが手引きした商人たちが大和の兵士たちであったというのは、いつの間にか知られていた。混乱の中逃げおおせた者もいたのだろう。
「栗だ。食え」
 オウスは彼女の前にそれを置くために身をかがめた。自分の身を抱くようにしていたイチフカヤは、怯えた眼で彼を見つめたまま、身動き一つしなかった。
「さあ、食え。腹が減っておるだろう」
 オウスは彼女の手をつかみ、栗を握らせた。ようやく呪縛がほどけたように、娘は栗を口に運んだ。
「明日、弟彦が兵の服を持ってくる。それに着替えたら、お前はおれにずっとついていろ。ほかの者とは口をきくな」
「あ、あたし……どうなるの」
「大和への帰路、どこか安全なところで離してやる。もはや筑紫では暮らせまい」
「あたし……怖い。ど、どうしたらいいの」
 イチフカヤは震えていた。
「そなたは死んだことになっている。父が殺せと命じた。が、ここにいれば安心だ」
「本当に……? 本当に……?」
 彼女の眼には、恐怖がありありと浮かび、揺れていた。彼女はただ自分の死に怯えているのではなかった。実の父を死に至らしめる手伝いをした自分の罪に怯えているのだと、オウスには分かった。
 彼女の手がオウスの腕のあたりの袖を、命綱のようにつかんだ。
 その手を少年はつかみ返した。

 そのとき庵の外で人の気配がした。
「オウス」
 と、呼びかける声がした。
「そこにいるのか。父が呼んでいる」
 戸口が上げられ、顔をのぞかせたのはオオウスだった。
 そのときオウスは、娘の体を押し倒していた。
「おっと――これは」
 兄の戸惑いに満ちた声。
「すまん、オオウス。父にはうまいこと言っておいてくれ。いい娘を見つけた。お楽しみ中なんだ」
「わかった」
 オオウスは戸口を閉めた。

 闇の中で、少年は女の柔らかい起伏が、熱いほど自分の体の下で鼓動と呼吸を繰り返しているのを生々しく感じた。
 体の一部が、鋭く屹立してくる感覚を味わった。
 娘の呼吸も次第次第に荒くなっていく。

 彼女の手がオウスの背に回されるのと、彼が娘の唇を奪うのは同時だった。



2015年8月14日金曜日

ヤマトタケル 連理の翼1

プロローグ


 冬の澄んだ星空の下、篝火があちこちで燃え盛っている。
 その中で、酒宴が盛大に催されていた。

 鐘や太鼓が鳴り響き、その芯を笛の音が貫いていく。
 男たちは歓声をあげ、踊っている娘御らを囃し立てる。扇情的な踊りだ。

 それを見下ろす位置に、二人の兄弟が座していた。そばに女をはべらせ、猪肉を頬張り、酒を呑んでいた。彼らは見下ろす空間にいる男たちとは一線を画する、首長としての雰囲気を身にまとっていた。権力と自信と、そして猛々しい闘気のようなものが、ただ飲食をする姿にも滲んでいた。

「父様」
 女の声が投げられた。
 兄弟の一人、タケルの眼が動き、宴席の隅に佇む娘に向けられた。
「イチフカヤ。どこに行っておった」
 タケルの声に、娘は大きな声で応えた。
「クダラよりの商人が、父様の御前に献上したいものがあるとのこと。それを出迎えておりました」
 イチフカヤは体を開くようにし、背後に控えていた者たちを父の視野にアピールした。

 そこから前に進み出た者は身を低くして言った。
「クマソの地に栄えあるカワカミタケル様。
 ヤマトとの戦(いくさ)に明け暮れる今この時にあっても、悠々と新たな砦を築かれ、その威光をこのツクシはおろか、カラの半島にまで響かせるあなた様こそ、わたくしどもはやがてこのワの国を支配されるお力をお持ちの方と存じます。
 どうか何卒、われらの献上の品々とともに、この祝いの席に花を添えたくーー。それッ」

 男の合図で、背後に控えていた娘たちが風のように進み出た。
 クマソの女たちが踊っていた場所へ、美しく着飾った娘たちが踊り始める。父と娘の問答に途切れがちだった音楽も、またいっそう威勢良く響かせられる。
 そして献上の品々が、次々とカワカミタケルのもとへ運び込まれ、堆く(うずたかく)積み上げられた。
 いずれも大陸からの珍品ばかりだった。それを見た宴席の男たちは歓声を上げた。

「兄者! これは笑いが止まらぬのう!」
 高座より降りて行ったタケルの弟が、美しい絹の衣や鏡を手に取って振り返った。
 タケルは赤ら顔を満面の笑みで染め、一同に叫んだ。
「われらの力は大陸にまで響いておる! ヤマトの僻地におるやつらなど、何するほどもない! わられこそ、このツクシを支配する者よ! 良いか! ツクシこそが、そしてわれらクマソの地こそがワの国よ!」
 おお! と男たちの怒号が轟いた。

「おい、おまえ」
 タケルの弟が、踊っている娘の肩に手をかけた。
「色白で美しい。俺のところに来て酌をしろ」
 そう言われ、その娘は引っ張られるように高座に連れられた。
 弟が席に座ったその瞬間、その踊り子の眼には青白い炎のようなものがきらめいた。

 ぎゃあ、という悲鳴が弟から発せられた。
 彼はわき腹に短刀を突き入れられていた。まん丸に見開いた目玉が、外に飛び出しそうだった。その眼は自分が連れてきた踊り子に向けられていた。
 その娘が、彼のわき腹にさらに束をもというほどの力で、短刀を突き入れてきた。
 人語にならぬ喚きと、喉の奥で血のうがいをするような音を立て、弟はその場に崩れ落ちた。さらにものすごい喚き声をあげたのは、突き入れられた短刀がはらわたをえぐるように抜かれて行ったからだ。

 女たちの悲鳴。
 酒に酔っていた男たちの呆然。

 カワカミタケルは酔ってはいたが、弟を襲った凶事に俊敏な反応を見せた。傍にあった剣を手に取り、抜刀し、踊り子に振り下ろした。
 それは殺伐とした時代に生きる者が持つ、本能のような素早いものだった。
 だが――。

 カワカミタケルの剣は、無造作に払われた踊り子の短刀にはじき返された。
 それどころか踊り子の短刀が、首や腹を狙って次々に鋭く繰り出され、彼はその場にあったご馳走をそこらじゅうにぶちまけながら逃げた。よけるのが精一杯だったのだ。
 わずかばかりの攻撃の合間を見つけ、剣を取り直して反撃する。
 だが、それはか弱いはずの娘の身体をかすりもしなかった。
 踊り子の結っていた髪はほどけ、長い髪はまっすぐに腰の辺りまで垂れていた。それを振り回すように、カワカミタケルの攻撃をかわし続ける。
 そして、ある時、くるっと回転した勢いのまま、短刀の束でタケルの剣を持つ手を打った。

 剣は飛ばされ、タケルは素手になった。
 信じられぬというように、相手を見つめる。

「馬鹿な……」
 絞り出すように言った。
「こんな童男(おぐな)が……」 ※おぐな=子供

 踊り子に扮していたのは、娘ではなかった。だが、それはどう見ても、十代半ばにも満たない少年だった。
 上品な顔だけではない。二の腕も細く、少女と言われても信じるような体型をした童男だった。
「首長!」
 周囲にいた者たちが事態を認識したとき、クダラの商人として現れた男と、彼が呼び込んでいた人夫たちが、いっせいに本性を現した。
 献上物の中には剣もあった。それらを持ち、いっせいにカワカミタケルを取り囲んだのだった。
「鎮まれ! われらはヤマトの大王(おおきみ)に遣わされた! すでにこの砦はわれらの軍によって破られて、風前の灯! 抵抗すれば皆殺しだ!」
 商人だった男の叫びは、酒宴の中でろくな武器も用意していなかった男たちの気勢を削いだ。

 そして何よりも。
 カワカミタケルが衝撃を受けて、娘であるイチフカヤを見つめていた。
「イチフカヤ……お前か。お前がこの父を裏切ったのか」
 娘の眼差しは感情というものがなかった。いや、封印しているようにかすかに揺れ動いていた。
「おまえなんか、父様じゃない。おまえは、母様を見殺しにした」
 イチフカヤの唇から漏れた言葉は、冬の冷え込んだ大気の中で、真っ白だった。
「あれは! あれはヤマトのやつらとの戦いで、やむなく!」
「違う!」
 イチフカヤは絶叫した。
「おまえは自分だけが可愛いんだ! 母様は助けられた! だけど、おまえは母様を見捨てた! その証拠に、今はほかの女を愛している!」
 タケルは眼を、先ほどまで自分のそばにいて酌をしていた女に移した。
 その女は身ごもっていた。

 タケルは沈黙の後、じわじわと苦笑に似たものを浮かべた。
「我が身から出た錆か……」
「覚悟せよ」
 タケルの剣を拾い上げ、それを構えて少年が告げた。それに反応するように、周囲のヤマトの兵たちが、少年を守るために配慮し、身構えた。あきらかにクマソの民から、少年を守ろうという意図が見えた。それを見たタケルが言った。
「待たれよ」
「なんだ」
「どちらの童男か」
「ヤマトの童男である」
「ヤマトの……」
「我が名は、ヤマトの大王、オオタラシヒコオシロワケの子、小碓(おうす)」
「なんと……」
 タケルは驚き、そして首を振った。
「ヤマトの皇子がこのような場に……このような姿に身をやつして。父王はおまえにそのような無理難題を望んだのか」
「いや」
 オウスは否定した。
「自ら望んだ」
「なにゆえに」
「父の宿敵、クマソの猛き王の顔を見てみたかっただけ」
 あっけにとられ、タケルは凝固していた。が、やがて笑い出した。
「なんとも、かような少女のごとき身で、なんとも剛毅な……」
 はっはっは、と乾いた笑い声が響いた。それが静まったときには、皮肉げな笑みが顔元に残っていた。
「ヤマトの童男よ。聞いてほしい」
「なんだ」
「俺はこのツクシに並ぶ者のない強者(つわもの)と自惚れていた者。それがこのような子供に負けた……。いや、おまえはとてつもなく強い。ゆえに、もし許されるのなら、強いおまえに名を授けたい」
「名を?」

 カワカミタケルは言い放った。
「ヤマトの猛き皇子。ヤマトタケル――!」

「…………」
「いかがかな」
「良き名だ。その名、もらおう」
 カワカミタケルは、ゆっくりと立ち上がった。
「では、ヤマトタケルよ」
 彼は両手を迎え入れるように開いた。

 直後、オウスの手にした剣が真一文字に走った。
 首の付け根から胴へ、子供の力とは到底思えぬ裂け目を作り出し、オウスの全身は血に染まった。
 悲鳴が上がった。
 父を憎んでいたイチフカヤの叫びだった。