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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2019年4月4日木曜日

新月メッセージ 04/05

明日、4月5日17時50分頃、牡羊座15度で新月が生じます。

日没の中で自然霊が働いているのが見られる
というサビアンシンボルです。サビアン度数としては牡羊座16度。

この自然霊は、原文では「ブラウニー」と呼ばれる、スコットランドの伝承にある妖精です。
夜中に出現して、農家の手伝いなんかをこっそりとしてくれるユニークな妖精です。


 画像はアマテルで作成→高機能 占星術ソフト・アマテル

このシンボルは、妖精の暗示そのままに、人を手助けしたり、癒やしたりすることに関わりやすいものです。
しかも、このシンボルの詩句そのままなのですが、日本ではこの新月は日没時に発生します。(笑) ここがまことに面白い。
直感的なもので申し訳ないのですが、この新月はとくに日本に影響が大きく、ブラウニーの恩恵にあずかれるのではないかと思います。
(本来、ブラウニーは夜に出現するもの)

日没は、人の意識と無意識の境界のようなものです。
その曖昧な中で、私たち一人一人がインスピレーションを受けたり、気づきに至ったりできます。
それこそが癒やしにもなるのでしょう。

またこの新月は、とくに女性性への慰めになりそうです。
女性も、また男性も自分の中に眠る女性性を掘り起こし、いたわると良いです。
ここでの癒やしは、この先、令和の幕開けに繋がりそうです。



◇ メッセージ

あなたの中にある女性を思い浮かべなさい。
それは母か、妻か、恋人か、あるいは幼き日の自分か。

親しげに寄り添っている女性。
突き放す女性。
笑いかける女性。
怒りをあらわにする女性。

思い出すでしょう。
そのときにあなたが味わった喜びや悲しみを。

それを今一度かみしめなさい。
その女性は、あなた自身です。

あなた以外の存在は、この世にいないのだから。

心の内にとどめ続けるその女性の面影を、
抱きしめるも良し
泣いて罵るも良し
好きなようにしなさい。
思う存分に。

そうしたら、きっと。
夢と目覚めの境界で、
あなたはあらためて知るだろう。

自分が生きてあることを。

ただ、それだけで尊いのだと。


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2019年4月3日水曜日

捧げ物を天に

今年の春分チャートは、新しい喜びに向かわせるものです。
だから、それぞれの喜びとするものを意識したり、楽しいことをやったり、新しい体験の中に今まで味わったことのない喜びを見いだすなどの方向性はあっていいものです。

人によってはセンスを磨けたり、自分の中に新しい才能を見つけ出したりできるでしょう。
真面目に手堅くやるだけでは、今年という海を、うまく泳ぎ渡れないかも知れません。

それだけ新しい局面が目の前に現れて来やすいとも言えるでしょう。


ただ、うれしい楽しいことだけでは、少々不足するところがあるかもしれません。

生命は歓喜なので、そこへ入っていくのは良し。

しかし、現世は魂磨きの場なので、安直な楽しみごとだけにうつつを抜かしていると、新しい局面はあなたに厳しさを突きつけてくる可能性もあります。

その後、いろいろと観測を進めるうちに、こうではないかと思うところがあるので、追記しておきます。
役立てようと思う方だけ、読んでくださったら良いので。


じつは今年、私はある種の「犠牲」を求められるのではないかという印象を持っています。全体の話です。
全体の話ですが、大きな流れなので、個人でもそれは受ける方がある程度いらっしゃるし、個人でもそのような対応をしておいたほうが、より今年の流れを歓喜へと向かわせることができるような気がします。

犠牲というのは、ちょっといやな感じがするかも知れませんが。
対価と言ってもいいですし、捧げ物と言うべきかも知れません。

要するに、自分が大切にしているからこそ、その大切なものを人に与えたり、あるいは執着しているものだけれど、この際すっぱりと諦めてしまうとか。

つまり「痛み」を伴うようなもの、です。
それはものとかではなく、「行為」でも良いのですが。

わかりやすくいうと、神様をお祀りしたり何かを祈願するときに、何かお供えをしますよね。お賽銭だけでなく、お酒とか米とか、作物とか。
聖書なんかにもありますが、主である神に最上の子羊を捧げていたりします。

最上のものだからこそ、自分が食べたいけれど、それをあえて捧げる。

日本も昔は米や収穫物というのが、とても大切なものだった。今でもそうですが。
そういった大切なものを捧げ、感謝する。

つまり何かを得ようとしたり、願ったりするのが、人間ですが。

その前に感謝を抱き、個人的に何か対価を捧げるというやり方をしたほうが、今年はよりよいと感じるのです。
「これを払うのは痛いな」と、ある程度感じるようなものや行為のほうが、効力が大きいはずです。

それは世の中に対してでも良いですし、周囲の人たちに対してでも、神仏に対してでも結構です。

個々にそうした動きが広がると、大きな流れの中で払う犠牲もまた少なくなるように思えます。

自分にとって価値のないものを人に渡しても喜ばれませんし、価値のないものを捨てたふりをしても、そんな態度は天は見通しておられるでしょうし。

そうした個人の捧げ物は、どこかで巡り巡って、大きな恩寵となるはずです。

それぞれにできること、考えてみてくださいね。


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