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2019年9月3日火曜日

親友の母がこの世を去る

親友のお母様が他界された。

……私には「親友」と呼べる人間がひとりだけ存在しています。

ひとりだけ?と思われるかも知れませんが、
たぶん、親友という存在認定の基準がすごく厳しいんだと思います。

普通の感覚だと、もっと親友認定の間口が広いんじゃないかな。

たとえば講座の生徒さんたちなんかでも、卒業した後にどんどん親密になっていって、いわゆる親友になってもおかしくはないんですが。

うちの講座って、女性が圧倒的に多いんですよね。
そのせいかな? よくわからないのですが、自分の中での親友という感覚にはならないんです。
友人、仲間、同志同胞。
という感覚は、非常に多くの方に抱いています。

それと、すごく多いのは、そうして親しくなった人間関係でも、なんかこう、自分の子供とか、親族的な感覚になることが多くて、それは親友じゃないんですよね、自分の中で。
あ、自分の母親的な存在というのを感じる人もいます。

そういう人たちすべて、「友人」という言い方はできます。
現世的には「友」なんですよね。

これ、本当に微妙な感覚の話なので、いろいろ異論はあろうかと思いますので、そのへんはごめんなさい。
お許しくださいね。

多くの人たちに親愛の情とか博愛的なものは感じています。

でも、親友という感覚を抱く存在は、今までの人生で一人しかいなかったわけです。



みっくすさんによる写真ACからの写真 

彼は高校で出会いました。
一年の時同じクラス。
二年以降は別なクラスでしたが、ずっと交流はありました。

彼と私は、たぶん他人の目線では、全然違うタイプに見えたでしょう。
私はひょろがり。
彼はどっしりがっしり。

高校時代の私は、柄にもなく優等生タイプ(優等生になったというよりも、自分のやりたいことをとっくに見つけていたので、それに集中していたため、やんちゃする理由などなかった)。
彼は、どちらかというと、はみ出し側?に近いところ(ボーダーライン)にいたような気がします。

なのに、小説とか、関心事は一致していた。
ある日の教室で。

「それ面白いか」と、彼。
「面白いよ」と、私。
「そうか」
「読むか? 貸すよ。シリーズだから、最初から読んだら面白いよ」

どちらも、わりとぶっきらぼう。

適度な距離感が常にあり、しかし、友情はあり、私が大学に行き、彼が就職した後も交流は、続いた。
旅行に一緒に行ったことも。

夢が叶って小説の賞を受賞した年、東京にいるときに、彼から電話があったと、実家の両親が伝えてきた(ケータイなどない時代)。
「どうした?」と電話すると、
「○○が死んだ」と。

亡くなったのは、彼の末の弟だった。

ショックを受けた。
しばし、呆然となった。
当然、自分よりも若い、未来のある、イラストなんかも描いていた弟だった。
バイクの事故だった。

仕事のためすぐに帰れず、葬儀にも出られなかったが、後で家を訪ねた。

彼と彼のご両親の悲しみは、深かった。


その後も濃淡はありながら、ずっと彼とは続いてきた。

互いに親友として。

ここしばらくは、年に一回か二回か、メールかSNSのやりとりをするくらい。
数年に一度くらい、一緒に呑んだりもする。


そんな間柄でした。

久しぶりに葬儀で会いました。たぶん二年ぶり以上。

まあ、それぞれに年を取っている。

どっちも髪も薄くなっているし。


彼の子が、びっくりするくらい成長していました。
当たり前なのですが。

棺に横たわる彼の亡母は、私の記憶の中の姿とは全然違っていましたが、きれいなお顔でした。

葬儀の最中に思うことは一つでした。

彼に会わせてくれてありがとう、という想いでした。

だって、他にいまのところ「親友」としての代わりはいないんですから。


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