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2015年9月28日月曜日

連理の翼2  第1章の1


       1

 熊襲の地から凱旋した大和の軍勢は、京(みやこ)において盛大な祝宴を催した。数年がかりの筑紫討伐が、川上梟帥(かわかみたける)を倒すことでついに達成されたからだ。
 京は先年、オオタラシヒコ(景行天皇)が筑紫攻略の拠点として定めた要地だった。瀬戸内をまっすぐに西に突き当たった平野の奥、遠賀川の上流域にもあたるそこは、交通の要衝だった。※現・福岡県みやこ町付近
 宴の席は戦勝の高揚とともに、ようやく故地に帰ることのできる兵たちの喜びが噴き上がるように沸き立ち、冬だというのに熱く感じられた。

「いや、まったく皇子(みこ)様はたいしたものだ!」
 手にした器の酒をこぼさんばかりに弟彦(おとひこ)が声高に賛美する。
「あの川上梟帥の弟に引っ張っていかれた時には、おれはもうだめだと思った。けど、皇子様はまったく慌てておられなんだ。それどころか隙を見て、迷うこともなく、弟の脇腹にこう――グサリだ!」
 オウスの雄姿を見ていなかった者たちがどよめく。それに気をよくして、さらに弟彦は熱弁をふるった。熊襲の豪傑、川上梟帥をオウスがいかにして殺めたかを。

 少年は黙ってそれを、焼き栗を食みながら聞いていた。あの現場に商人に扮して居合わせた弟彦が、あの時のことを語るのはこれが初めてではなかった。そして語るごとに話が少しずつ粉飾されていった。
 この分だと大和に帰るころには、どんな話になっているかわからない。自慢話はだれでも大きくしたがるものだが、弟彦は自分が付き従ったオウスの手柄を誰よりも喜んでいた。

「皇子様、どうぞ」
 声をかけられ、少年はそばに来ていた女を振り返った。
 年の頃は三十をいくらか越えているだろう。落ち着いた面差しの成熟した女が、そばに焼き魚を置くところだった。
「ありがとう。たしか、そなたは……」
「ナツソと申します」
 そうだったな、とオウスは思い出した。筑紫全土攻略の拠点として、この地を父王、オオタラシヒコが望んだとき、大和に恭順の意を示した女首長だ。古くからこの島国に住む部族は、女性を首長に据えることが多かった。巫女をマツリゴトの中心に置く風習があるためだ。

「たいそうなお働き。さぞかしお父様もお喜びでしょう。お祝い申し上げます」
 ナツソは伏し目がちに祝辞を述べた。
 その言葉を受け、自然とオウスの眼は高座にいるオオタラシヒコに向けられた。父は大声で笑い、酒を呷り、周囲の人間に言葉を投げつけていた。酒を運んできた娘を今もかき抱いている。
「……父は喜んでなどおらぬよ」
 伏せられていたナツソの眼が、驚いたように大きくなり、オウスを見た。
「なぜでしょう。この地に大和の皆さまがお越しになられたときも、皇子様のお働きは大きかったとお聞きしております」
「彦山の話か」※現・英彦山
 少年は手を延ばし、器を手に取った。そして、それをナツソの前に差し出し、「注いでくれ」と言った。
 慌ててナツソは、弟彦の前にあった酒の甕を取り、オウスの器を満たした。その手は震えていた。その震えは、怯えをことのほか表現していた。
 酒を呷るオウスの脳裏に、彦山の戦いのことが蘇っていた。

 累々たる死骸――。
 流れる血は、彦山の山あいの川に流れ込み、やがて夏の蒸せかえるような暑さの中、たちまち腐乱した死体の臭いが、長く谷あいを埋めた。
 その戦いでも、オウスは赫々たる戦果を示した。首級を上げたのはオウスではなかったが、それを実現できたのは、彼のずば抜けた戦闘能力が敵の砦の一角をこじ開けたからである。
 彦山にいた敵対勢力は、ことごとく惨殺され、その屍を山の至る所にさらした。

「ナツソ姫よ、一つ尋ねたい」
 オウスは彼女の酌した酒を口に運びながら言った。
「この筑紫におる者どもは、すべてそなたの同族か」
「あ、いえ――」
 ナツソは戸惑ったようだった。
「すべてではございませぬ。この筑紫は大陸や半島にも近く、ここしばらくは多くの者が渡来してございます。その中には大陸の北のほうから来た者、あるいは南のほうから来た者もございます」
「彦山のハナタリやミミタリは、そなたの同族ではなかったのか」
「いえ……」
 ナツソの顔色が曇った。
「もとをただせば、同族でございます」
「ならば、そなたは同族を売ったということになるな」
 オウスの言葉は冷ややかという以上の厳しさでナツソの胸を刺した。
「なぜ、父に協力した?」
「…………」
「同族を裏切ってまで、なぜわれら大和の者をここに受け入れた」
「…………」
「答えたくはないか」
 独り言のようにオウスは結論を下そうとした。が、ナツソは酒の甕を持ち上げた。今度は震えていなかった。
 彼女の酒を受けながら、オウスは彼女の声を聞いた。
「いつか一つに……。そのようになるのが、善きことと考えました」
「一つに?」
「このままこの国々が長く争い続け、バラバラのままではいけないと。いつか一つに――わたしたちはそのような遺志を継いでここにおります」
「遺志?」
「皇子様」
 ナツソははっきりと強い光を眼に集め、オウスを見つめた。
「お願いがございます」
「なんだ」
「皇子様はオオタラシヒコ大王の日嗣(ひつぎ)の皇子様のお一人とお伺いしております」
「日嗣の皇子は兄のオオウスだ。オオウスがいずれ父の跡を継ぐだろう」
 オウスは父王オオタラシヒコのそばで、まったく同じ少女のような顔をして座っていた。抗う女を抱きすくめ、困らせている父にどのような感情を抱いているのか、その顔にはまったく表れていなかった。
「いずれにせよ、オウスの皇子様はこの国の中心に立たれる方。どうか、お聞き届けください」
 必死なものを青ざめた面差しにみなぎらせ、ナツソは身を低くした。
「争わねばならぬは認め合わぬが故――。一つになるには、それぞれがバラバラでいなければなりませぬ。それをどうか、お分かりください」
「バラバラでいて一つ? そなたの言葉は謎かけのようだな」
 少年は苦笑した。
「そのためには、わたしはこの地で同族に殺められても仕方のないことと覚悟しております」
 ナツソの思いつめた声音と表情に、オウスは強く引き付けられた。
「やはり、そうなのか」
「と申されますと――?」
「同族を裏切った者は、やはりこの地では生きてゆけぬか……。教えてくれぬか。もし同族を裏切ったとなればどうなる? たとえば身内を売ったとすれば――? この地で生きていくことはもはやできぬか」
 本当はそのことが訊きたかったのだと、ナツソの胸にも伝わったようだった。彼女はしばらく目を泳がせていたが、すぐに腑に落ちたようだった。
「皇子様がもしそのような方をご存じなのでしたら、このまま筑紫に留まられるより、別な地で生きることを考えられたほうが良いでしょう」
「やはり、そうか……」
「お帰りの際、吉備に立ち寄られるとよいでしょう。吉備の児島には、私と祖先をお同じくする部族の巫女がおります。そこでご相談をなされては」
「うむ……。そうするとしよう」
 オウスは焼き栗をひとつかみすると、席を立った。驚いてナツソが見上げる。
「礼を言う。そなたも無事でな」
 少年は一人、宴席を離れた。
 冷え込んだ大気の中に、満月が浮かんでいるのが見えた。白い息を吐きながら、いくつかある庵の一つに向かった。そこは彼に与えられた寝所だった。竹を組み合わせて作った戸板を上げ、無造作に中に入っていくと、暗闇で息をのむような気配がした。
「おれだ――。心配するな」
 差し込んだ月明かりが、中にいる者の顔を照らした。

 イチフカヤであった。

 川上梟帥の娘でありながら、大和に味方して父を売った――。
 その場にいた梟帥の近習たちは、みな、殺したが、イチフカヤが手引きした商人たちが大和の兵士たちであったというのは、いつの間にか知られていた。混乱の中逃げおおせた者もいたのだろう。
「栗だ。食え」
 オウスは彼女の前にそれを置くために身をかがめた。自分の身を抱くようにしていたイチフカヤは、怯えた眼で彼を見つめたまま、身動き一つしなかった。
「さあ、食え。腹が減っておるだろう」
 オウスは彼女の手をつかみ、栗を握らせた。ようやく呪縛がほどけたように、娘は栗を口に運んだ。
「明日、弟彦が兵の服を持ってくる。それに着替えたら、お前はおれにずっとついていろ。ほかの者とは口をきくな」
「あ、あたし……どうなるの」
「大和への帰路、どこか安全なところで離してやる。もはや筑紫では暮らせまい」
「あたし……怖い。ど、どうしたらいいの」
 イチフカヤは震えていた。
「そなたは死んだことになっている。父が殺せと命じた。が、ここにいれば安心だ」
「本当に……? 本当に……?」
 彼女の眼には、恐怖がありありと浮かび、揺れていた。彼女はただ自分の死に怯えているのではなかった。実の父を死に至らしめる手伝いをした自分の罪に怯えているのだと、オウスには分かった。
 彼女の手がオウスの腕のあたりの袖を、命綱のようにつかんだ。
 その手を少年はつかみ返した。

 そのとき庵の外で人の気配がした。
「オウス」
 と、呼びかける声がした。
「そこにいるのか。父が呼んでいる」
 戸口が上げられ、顔をのぞかせたのはオオウスだった。
 そのときオウスは、娘の体を押し倒していた。
「おっと――これは」
 兄の戸惑いに満ちた声。
「すまん、オオウス。父にはうまいこと言っておいてくれ。いい娘を見つけた。お楽しみ中なんだ」
「わかった」
 オオウスは戸口を閉めた。

 闇の中で、少年は女の柔らかい起伏が、熱いほど自分の体の下で鼓動と呼吸を繰り返しているのを生々しく感じた。
 体の一部が、鋭く屹立してくる感覚を味わった。
 娘の呼吸も次第次第に荒くなっていく。

 彼女の手がオウスの背に回されるのと、彼が娘の唇を奪うのは同時だった。