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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2016年12月7日水曜日

この世は自分を見つめるためのランド


昨日の記事で触れた大分の2歳女児。
見つかってよかったあ~~。

しかし、2歳児の足で考えられないところまで分け入っていた…

私の曾祖父は、ちょうどこの12月の山で遭難して亡くなりました。
もう米寿を過ぎていましたが、周辺の山のことは知り尽くしているような健脚の年寄りでした。
正月のお飾りを取りに入り、行方がわからなくなりました。
家族はもちろん、年末の時期に、消防団や警察、近隣の方々が探し回りましたが、このときも老体とは思えぬ遠くまで歩いていて、私たちを驚かせました。

この種の事故の捜索で、思い込みは禁物ということですね。


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今日、ご用意していた記事です。



ホロスコープを見つめていると、その不思議な奥深い構造に魂を呑まれます。

そこにあるの宇宙の一つの見方で、まさに宇宙を見ているわけですが、なぜかそこに個人の性格や運勢や、才能や人間関係などが内蔵されている。
非常に物質的な観点では、そのような考えはナンセンスに違いないのですが。

偶然では済まされない情報の累積がある。

一人のホロスコープを中心に、その家族や配偶者や子や、職場のありようやそこでの人間関係、友人、そんなものまで波及的に織りなされていく。まるで万華鏡みたいに。
ホロスコープはある種の傾向や引き寄せるものを表示するので、見てきたようにその実物を表示はしませんが、たとえば土星のような配偶者という表示であれば、まさにその人は土星の存在とし登場する。

それらの符合する情報を、すべて偶然と片づけることは到底できないほど、説得力がある。

父や母。
それらも星々として存在する。

一面としては。

しかし、じつはそれらの星々は、その人自身の分霊のようなもの。
その人の一部が分かたれたものとして、ホロスコープに在る。

他者として存在するものと、自分の一部が重なり合ってそこに存在しているわけです。

たとえば月は母、しかし、それは自分の内面的なメンタリティに深く関係している。
自分の心の一部が月であり、外部的にはそれが母親として存在している。

インナースペースにあるものが、現実世界に存在しているわけです。

他人(家族も含む)の存在もまた、その人を中心に見れば、その人の存在が分かたれたもの。

じつは他人は存在していない。

おそらくそれが真実なのだろうと思う。

全て存在するものは自分。

だから、悲惨な出来事も、嫌悪する相手も、愛する誰かも、すべては自分の分かたれたもの。

この現実世界は、自分が作り出しているもの。

そこにいるのはすべて自分。

私たちは「他人」というものを通じて自分を見ている。

この世は自分を見させてくれるランド。

そのためにこそ用意されている……




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