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2017年8月11日金曜日

うれしうれしの人生になるため ホロ向き合い9



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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

※このシリーズは、ラベルの「ホロスコープとの向き合い方」で一括検索できますので、過去の記事も併せてお読みくださいますと幸いに存じます。


長いことお付き合いいただきましたが、このシリーズの最終稿です。


多くの人は、ホロスコープの良い部分にこそ幸せのカギがあると信じます。
たとえばそれはトラインとかセクスタイルとか、あるいは小三角になっているとか、そういう好ましげなアスペクトを持っている部分に着目し、その才能を伸ばすことこそやそこが表示する仕事や人物にこそ幸運の手掛かりを求めます。

これは間違っていません。
私にしても水星にトラサタからのソフトアスペクトが集まっており、だからこそ書くことの能力を伸ばすことができました。
一度は小説家として世に出、こうしてブログを書くことで多くの人とつながりを持てています。
ネット講座も培った文章力亡くしてはあり得ません。

ですから、私の場合は水星能力を伸ばすことや水星の活動に成功の手掛かりがあることは疑いを入れませんし、やはり多くの方が同じ傾向を持っています。

また木星のある星座やハウスの要素は、その人にとって発展的なものをもたらす可能性があります。木星のコンディションにもよりけりなので、確定的ではありません。
木星はハードアスペクトをあまり持たず、太陽に対してソフトアスペクトを取っているというような状態なら、木星のある星座やハウスには何かしら幸運の手掛かりがありそうです。

こういったことは、占星術のことを学んでいる多くの人が当たり前の感覚として持っています。

しかし。

それだけではうまく行かないことが多いのです。

ホロスコープの中にある「負」と感じられる要素。
ハードアスペクト。
減衰した星。
土星のあるポイント。

これらは代表的なマイナス要素であり、つい目をそむけたくなってしまうところです。

ああ、いやだなあ。
この土星のおかげで仕事がうまく行かないんじゃないか。
このハードアスペクト、恋愛運を悪くしている。
家族関係が良くないのは、4ハウスにこの星があるから。
結婚生活がうまく行かないのは、7ハウスのこの星のハードアスペクトのせい……

いろいろな直視したくない特徴が、ホロスコープにはあります。
あるいは向き合ってはいるが、その天体が表示することに憎しみを抱く、怒りを抱くことも、人には多くあります。

コンディションのよくない星は扱いにくいのは事実ですし、そのために人間関係の問題などが起きていると、その星から離れたいとか、そっとしておきたいとか、そのように感じるのも当たり前ですし、誰か人間関係として存在するのなら怒りや憎しみで対処するというのも、これもまた当たり前です。

けれど。
思い出してください。

このシリーズの中で、そうした課題の部分にこそ、私たち一人ひとりのカルマがあり、解消したり浄化したりしなければならないものが潜んでいるわけです。

私たち人間には、感情があり、傷つきやすい心があります。
それらの課題となるポイントの出来事は、人生のどこかで必ず起きます。
だから、そのときに忘れたりとか離れたいとか、そのように思うことは自然です。
誰もが鋼のような心は持ちません。
癒す時、傷口がふさがる別な体験も必要です。

しかし、その課題となる部分は、いずれ何らかの形で直視し、自分で
乗り越えるか
癒すか
許すか
しなければなりません。

それこそがカルマの解消であり、じつはホロスコープにある「負」の部分を、「生かす」ようになれる作業なのです。

じつはホロスコープのハードアスペクトや問題がありそうな天体のコンディションなども、本当は私たちを幸せに導くものなのです。
そこと、どう向き合っていくか。
向き合わずにいることも、あなたを本当に望む幸せから遠ざけます。
向き合っても負の感情で相対している限り、幸福からあなたは自らを遠ざけてしまいます。

なぜなら、これらの課題の解消が実現されないということは、あなたがこの人生の中でどこかに欠けているものを感じたり自分が不幸だと感じたりすることにつながりますし。
何よりも課題の解消をせずに、自分だけ勝手に幸せになりたいというのは、実に身勝手な発想なのです。

すごくわかりやすいたとえをすると、自分が何かの重大な犯罪を犯し、人を傷つけたとしましょう。
ホロスコープの課題にちゃんと向き合わず、心地よい部分だけで生きていきたいし幸せになりたいという発想は、
「警察にもつかまりたくないし、自分のやったことは忘れて自分なりに幸せになりたいんだよ」
という発想と同じようなものなのです。

これはたとえとしては、実はあまり良くありません。
この世は牢獄でもないし、犯罪者の集団でもありません。

本質はうれしうれしになることです。
その本当のうれしうれしになるためには、肉体に閉じ込められて今は忘れ去ってしまっているかもしれない過去生の何かを解消したり、今回なりに乗り越えるというプロセスが必要になるのです。


こうした解消や乗り越えのプロセスを経た人ほど、幸せになっていきます。

これは私自身がそうでした。
過去生のある種のカルマ、そしてそれに基づいた過去生のリプレイを通過したのちでないと、私は本当に充実感があるとか、そういう人生には至れませんでした。
私の経験が唯一の法則ではないですし、そこにはいろいろなパターンが存在します。

人それぞれプロセスが違う。

しかし、誰もが過去生の課題と今回の人生で生かせる何かをもって生まれてきています。
右手には生かせる何かを。
左手には課題を。
私たちは左手だけを切り離すこともできません。


うれしうれしになるために生を与えられる。
赤子はその手に二つを必ず握りしめて生まれてきます。

左手を開きましょう。
解放しましょう。

右手も開きましょう。
そしてつかみましょう。

あなたの望む幸せを。
うれしうれしの人生を。

そのためにこそ、今のあなたの命がある。

その大きなカギは、ホロスコープのハードアスペクトや課題となる天体の中にこそある。
逆転の発想が必要。
幸せのカギは、私たちがつらい、苦しい、悲しい、憎い、腹立たしい……そんなふうに感じるものの中にこそある。

さあ、あなたはもう子供ではない。

自分で手を開くことができるはず。



ぽちっとお願いいたします。(^人^)
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2017年8月6日日曜日

幸せのカギはどこに ホロ向き合い8



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※このシリーズは、ラベルの「ホロスコープとの向き合い方」で一括検索できますので、過去の記事も併せてお読みくださいますと幸いに存じます。



誰かに出会うための世界。
それがこの現世です。

ちょっと待って!
あの世では出会えないの?
という疑問を抱かれる方もいらっしゃるかもしれません。

これについては、私もはっきりとした確証はないのですが、古来、霊界を垣間見ることができた人が存在ます。
そういった方々の証言によれば、霊界には一種の階層のようなものがあり、その所属する階層の人物と世界を共有します。
そしてその世界の人とであれば、「会いたい」と思えば、その想念によって一瞬にして相手につながり、相手とコンタクトできます。
あの世はそういう世界だそうです。

魂は本質的には一つの源から分かたれた存在なので、それは自然なありようと言えるでしょう。

そうすると、出会いを果たすためには、もともとばらばらの世界が必要になります。

それが現世=マルクトということなのです。

そう考えると、この世界の理不尽さがよくわかります。
なぜこんなにも苦労するのか。
なぜ悲しい思いをするのか。
だけど。

いろいろなものを乗り越えてつかみ取った幸せや、愛し合える喜びの大きさもまた、この世ならではのものです。

すんなりとはいかないことが多い。
もともとこの世界はそのような場として作られている。
あの世とは違うわけです。

そうした世界で出会うということには、様々な学びがあります。

そうした人々が、私たちのホロスコープにはちりばめられている。

親しみを感じる友人がいる。
引き立ててくれる人がいる。
足を引っ張る人がいる。
快く思わないライバルがいる。
言われもなく自分を傷つける人も。
良き親も。
何か傷となるものを与える親も。

その差は人それぞれ。

誰でも、どこかに。
なにかが。

課題として用意されているのです。

そして、その課題の多くは、人とのかかわりの中で作り出されます。
なぜかというと、出会うための場ですし、うまく行かないこともなにもかもが、「誰かほかの人間が存在する」からこそ、そうなるのです。

自分が望む成功を得られなかったのも、いえばだれか自分の代わりにそれをつかむからですし。
愛する人との別れも、その相手がいたからこそです。

私たちはホロスコープのどこかで、かならずその課題を背負っています。
多くはそれは土星であったり、あるいは強いハードアスペクトの中に表示されていたりします。

じつは今回のホロスコープは、「今回だけ」のものではなく、いくつもの過去生の中で作り出されてきた数多くの情報の上に成り立っています。
そしてそういったカルマとの出会い、カルマを背負って現れてくる人との出会いこそが、この世では用意されているのです。

なぜ?

そう。
もちろんそれは、カルマを解消するためです。

なぜそうしなければならないのか。

この世の澱を一つ一つ浄化して、マルクトを清めるためでもあるのですが、これはとても大きな意味。
そんなものはどうでもいいと思うかもしれません。

もちろん、なによりも。
個人が幸せになるため。
喜びを得るため。
うれしうれしの状態になるためです。

ですから、ホロスコープを見て、あなたが「ああ、自分のチャートのここの部分、いやだなあ」と思うようなことにこそ、かならずあなたが幸せになるカギがあるのです。

次回が最終回になるかな?

もう少しだけお付き合いください。



ぽちっとお願いいたします。(^人^)
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2017年8月2日水曜日

生まれるのは出会うため ホロ向き合い7


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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

人間関係ほど、前世から引き継ぐものもないかもしれません。

私の判明している四つの過去生は、いずれもかなり違ったことを人生でやってきています。人の妻(母)、歴史学者、武将、執筆家……まったく違った立場を選択しています。そして、今回は小説家でもあり占星術研究家。

仕事…というのか、世の中での果たすべき役割というのは、本当に多様ですね。
江戸時代の執筆家と今回の人生は、やはりかなり強くつながっているような気もしますが……しかし、今生では占星術という新しい要素が加わっている。

何をして生きていくか、という部分では、非常に選択肢が多いように思います。
実際、職業も多いですしね。現代になればなるほど。

その一方で、人間関係というのはかなり過去生のつながりを引き継いできていて、カルマ的な関係も多いように感じます。

出会い、別れる男女。
愛してやまない人。
ずっと友でいる関係。
腐れ縁のように切れない存在。
憎み合う関係。
被害を受ける相手。
自分が傷つける人。
添い遂げる伴侶。
親子、兄弟。
わけもなく分かり合える存在。

私たちの周囲には、千差万別の人間関係が存在します。
自分を軸に、それぞれの人がそれぞれの関係性を作っています。


ホロスコープには、「私」を中心として様々な人間関係が表示されています。
たとえば3ハウスには兄弟姉妹が。
4ハウスには家族関係が。
5ハウスには恋人や子供が。
7ハウスには配偶者やすごく重要な対人関係、パートナーが。
11ハウスには友人や理想を共有する人が。
6ハウスや10ハウスに職場や仕事を通じた人間関係が出ていることもままあります。

実際にはどのハウスも擬人化して人間関係に置き換えることは可能ですが、上記のはわかりやすい、主だったものです。

ホロスコープは「私」が生まれた瞬間のものです。
「私」個人のもののはずなのに、そこには「私」が結婚するはずの相手や、授かるかもしれない子供や、それ以前の親兄弟、どこかで出会う友人などもすでに配置されている、というのは、本当に摩訶不思議な心地がします。

それらは、かならず「そういう人物」として登場はしません。
たとえば5ハウスに火星があるとします。5ハウスは恋人や子供運の部屋でもあります。
では、火星が表示するスポーツマンの恋人や子供が自分の人生に出てくるかというと、たとえば結婚しないという選択をしている人の多くは、子供も得ないということも魂の計画には入っていると考えられます(現代日本での一般的な感覚での解説です)。

そのような場合、少なくともその人の人生に5ハウス火星は子供としては出現しにくいことになります。
恋人ととしてならあり得ますが、そもそも結婚もしない、そして異性もあまり望まない、ということであれば、恋人としてすら出てきにくい可能性もあります。

その場合は、5ハウスは趣味・娯楽の部屋でもありますから、スポーツをたしなむ人生とか、車が大好きで休日にはドライブとか、野外的で活動的な楽しみが好きだとか、そんな出方になってしまうこともありますし、そんな同じ趣味を持つ人との接点になりえるのです。
※ このようなことは5ハウスだけのコンディションでは決まりません。同じ条件でも違った出方をすることはあります。

ただ。
一般的な感覚でいえば、5ハウス火星は元気のいい子供やスポーツ(など火星的なもの)が好きな子供として表現されることが、かなりの確率で傾向として出ています。

私は5ハウス土星なのですが、生まれた子供二人は、どちらもそろいもそろって、土星メチャ強! というようなチャートです。ちなみに私の土星は水瓶座なのですが、二人とも水瓶座の生まれです。
私のケースはすごくわかりやすいケースなのですが、こういうのがちゃんとホロスコープが読める立場からしますと、「こんな偶然あるわけない」と思えるほど、露骨でリアルです。
土星だね、水瓶座だね、という子供運で、そろいもそろって同じ条件を満たす子供二人。

二人そろってこれを満たすというのは、かなり希少な確率のはずです。
※ 子供運もそれぞれなので、ここまで露骨な出方をしない例もあります。私の場合、土星がすごく強かったので、二人の子に共通する特色となったと思われます。


このように「私」のチャートには、周囲の人間関係についても様々な箇所に情報がちりばめられているのです。
そしてこの人間関係ほど、カルマの中で形成されるものはないのです。



なぜか?

考えてもらったら、当たり前ですよね。



この世に私たちは何のために生まれてくるのでしょう。

ケテルとマルクトをつなぐためとか、天の王冠をこの世で実現するためとか、そんな話は脇に置いておきましょう。
そんな机上の論理ではなく、人間的な感覚でのお話として。


この世に生まれるのは、誰かと出会うため、のはずです。



なぜなら、この世は魂の実習場です。
この世は物質的で、みな、霊界とか天界とか、そんな世界から生まれてくるとしても、そんな自覚もないままに生きています。
記憶もない。

この世に生きるということは、完全に「孤独」であり「個」になるということなのです。
あっちの世界で完全に共有されていた霊的な意識や一体感はみじんもなくなり、目に見えるものや触れるものが主体となった世界を生きざるを得ません。

たとえば、この世に生まれるというのは、自動車の運転免許で路上教習になるようなものです。
実際の道路に出てみないと、現実交通状況はわかりません。そこには無法ドライヴァーもいれば、順法ドライヴァーもいる。でも、多くは無法と順法の間で、常識的な運転をしているドライヴァーです。
そういった現実の路上に出てみて、免許を正式に受ける前のドライヴァーたちは、「現実を知る」のです。この路上教習がなく、教習所内でOKで、免許をもらえるのなら、これは結構厳しいことにもなるでしょうし、事故も増えそうです。


しかし、私たちは路上に出なければなりません。

この世での現実を知り、体験するために。
そして、この現実の路上でどんなドライヴァーになっていくか、自ら決めるため。
見極めるため。


それには、ほかのドライヴァーとの遭遇がなければなりません。

すごく極端な話をすれば。
私たちが自分本位なドライヴァーになって、事故や不快をまき散らすようになるのか。
歩行者やほかのドライヴァーのことを配慮できるドライヴァーとなるのか。

そんな見極めを行うようなものです。


この世でどんな自分でいるのか。
それには、ここではひとまず、善も悪もなければ、良い悪いもないとしておきます。

どんな自分になるのか。


それこそ、私たちに与えられた自由です。
自由意志の選択によるものです。

それを知るためにも、自分以外の存在は絶対に必要です。

だって、もしほかにドライヴァーが存在しないのであれば、自分の思うまま暴走してもよいし、300㎞/h出してもよいし、死のうが生きようが勝手だからです。
交通法規(それ以外のあらゆる憲法や法律)は、その個人個人のバランスを取り、最低限守られるべきものを基準に定められているはずのものです。


この世は、そういった現実を知るために用意されているもので、それには絶対的に、
他人が必要
なのです。

自分でない誰か。


だからこそ!

この世は、誰かに出会う場所なのです。



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2017年7月29日土曜日

人それぞれの幸福への課題 ホロ向き合い6


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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

魂の課題は、過去生に由来するものであろうと、今回の人生ではじめて計画されたものであろうと、なかなかにハードです。

これはきわめて当たり前の話ですが。
あなたが某高校の野球部のコーチを任されているとします。この野球部を甲子園に連れていけるレベルにしなければなりません。
そんなとき、ゆる~く彼らに接するか? いや、あたりがゆるいとしてもです、練習の量とか質とか、そんなものまでゆるくしてしまうでしょうか?

それではとうてい甲子園に行けませんよね。
相当に真剣な、ハードな練習を課すはずです。
この練習が、私たち一人一人が持つ固有の課題です。

「いや、自分はそんな甲子園なんかに行きたくない。甲子園ていうのがたとえだというのはわかるけど、たとえだとしてもそんな大きなステージを望んでいるわけではないよ」
と、お考えになる方もいるかな?

甲子園というのは、かならずしも大きな望みではないのです。
これこそたとえです。
人はそれぞれ自分の望む幸せについて、異なる価値観をお持ちです。

配偶者と子供のいる、ささやかだけど幸せな家庭を持つことが甲子園かもしれませんし、自分のやりたいことをとことん追求できる人生が甲子園かもしれませんし、ビッグな成功を実現するのが甲子園かもしれませんし、何かの道を究めるとか、とにかく今回の人生は楽しみたいんだとか、誰かとのきずなを深めたい守りたいとか……人それぞれ甲子園は違います。
この場合の甲子園とは、その人が望むところの幸福とお考え下さったらわかりやすいと思います。


魂の計画は、基本的に自分の魂が今回の人生のプランニングをします。
退行催眠によって、過去生や中間生(一般的な感覚でいうあの世)の記憶をよみがえらせた人の証言がそれを裏付けています。

つまりあなたには人生のコーチがついていて、今回の人生の課題を課しているのですが、そのコーチとは今のあなたが知る由もないあなた自身の上位の意識だということです。
あなたの本体である光です。
愛です。

コーチは、基本的には何の苦労もなく、思い通りに、本人のエゴを満足させる形で幸福を実現させません。
そんな甘い状況ではないからです。
甲子園のライバル校たちは、この場合、あなたの前世のカルマであったり、今回の人生では届きそうもない高い塀であったりします。

もし球児たちが、さしたる努力もなく、甲子園に出場し、優勝旗を手にして帰るとすれば、彼らの感動や満足はきわめて低レベルにとどまるでしょう。
そして、こんなふうに思うかもしれません。
「あ、なんだ。こんなんでイケるんだ」

こんな考えは、ある程度人生経験をした人からすれば、人生をなめているように思えるでしょう。

魂コーチも同じです。魂コーチは、あなた自身の本質ですが。
あなたを甘やかしません。
それがこの世に生まれ、生きるということを。

そして、この世はそういうふうに設定されているからこそ、思い通りにいかないし、澱もたくさんあるのです。


つまりなんのいわれもなく、面白くない、望まない、思い通りにいかない、あまりにも辛く悲しい……そんな状況が生み出されているわけではないということです。
この世で私たちが受ける苦難や悲嘆は、99%、本人に由来しているということです。
それがどんなに理不尽で、自分に責任がないように思えても、です。

これがエゴにとらわれ、エゴでしかものを考えられない、物質的な世界マルクトに生きる私たちの陥りがちな罠なのです。

私たちのエゴは、ついこう考えてしまいます。
「あの人は幸福そうなのに、なぜ自分に同じだけのものが与えられないのだろう。大それたことなど望んでいないのに! 当たり前に幸せになりたいだけなのに!」

これはきわめて当たり前の感情です。

「俺はあいつの何倍も努力しているのに、なんであいつが選ばれるんだ! あいつは容姿もよくて、魅力がある。結局、そういうことなのか?! 与えられた天分に差があったら勝てないのか」

こんなことも思います。
人として当たり前に思います。



はい。
その感情。

それこそが、今回の人生で味わわねばならないものだったのです。
それこそ、甲子園を目指す球児たちの練習と努力と汗と涙。

そして、そう思うあなたが悪いのではない。
むしろ、一度はそう思うこと、あるいは幾度もそう思うことこそが、あなたにとって大事なことだったのです。

あなたがそんなふうに感じていること。
それが正解。
それは悪いことじゃない。
それでいい。

そのプロセスこそが、大事であり、課題なのです。


これをどこまでもあなたが抱き続けて生きるか、そのために人やこの世や天を恨んで生きるようになってしまうか。
それとも。
そんな現実をあるがまま受け入れてしまい、強くなれるか。
違った見方や価値観を見つけ、優しくなれるか。
とことんこだわっているものを手放してしまえるか。

これらが、じつは課題の克服そのものなのです。


おっと。
ちょっと長くなってしまいました。

人間関係のこともお伝えするつもりだったのですが、次回に譲ります。

人間関係の中での課題の克服も、いくつものパターンがあるので、簡単に済ませることは難しい。



大変申し訳ありませんが、私は今日、この後、母とその友人を「三山ひろし」のコンサートに連れて行かねばなりません(笑)

これも課題??(爆)



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2017年7月26日水曜日

じつはただのカリキュラム ホロ向き合い5


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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

私たちのホロスコープに表示される課題は、過去生の累積情報でもある。
そのため、今回の人生に起きる様々な不都合や不幸も、それはじつは本人に由来するものが多い。これはカルマの浄化・解消のためです。


たぶんですが。
天の王冠であるケテルをこの地上の王国マルクトにつなげて、天の王冠を地に降ろすということも、私たちの輪廻転生の長いプロセスの中に組み込まれている。

そういう遠大な計画のもとに私たちは生まれ、私たちの過ちや穢れ、横道にそれることさえ、その一部なのだということです。

今が変われば過去生も未来生も変わる。
それが今の私の信じるところです。過去生すら固定化されたものではない。
物理学も、世界はそういうものだというところに近づいているのではないかと予感します。
きっと近いうちにそのような可能性についての報告がなされると思います。

つまり今回の人生での苦労や悲しみ、それは私たち個人個人の魂にとっても、世界全体にとっても、まったく無意味なものではないということ。
私たちは無意味な不幸など経験しない。

一つには、ホロスコープに表示される課題とは、こうした私たち一人一人が持つカルマの浄化・解消のためのものと考えられます。
これはおもに過去生に由来するものです。

もう一つ考えられるのは、今回の人生ならではの新しい試み=チャレンジのための課題というものが考えられます。

魂も同じような輪廻ばかり繰り返すわけではないでしょう。
時にはこれまでと違った取り組みをして、新しい知識や技術を身につけようとするはずだし、異なった経験をしようとするはず。
過去生の経験をさらに生かして高みに登ることもあるでしょう。

新しい勉強を始めたり、スポーツで一つ上のランクを目指したときには、大変ですよね。
時間をかけて積み重ねないといけないし、努力もしないといけない。
途中で失敗して、挫折感を味わうこともあるかもしれない。

つまりこれは今生の生き方と未来に関する課題です。

課題には、その二種があると思われます。

ということは?
そう、ここではっきりしてしまうのですが。

ホロスコープに表示されるハードアスペクト、あるいは問題となりそうな星の配置、品位などは、すべてこの二点にかかわる課題を表示しているに過ぎない

ということなのです。
それは運の良しあしを表現しているのではない。

今回の人生で自分が取り組むべきカリキュラムがそこに提示されていて、それは過去生の自分の浄化と解消か新しいことに取り組む際の苦労が出ているに過ぎないわけです。

この理解を持てるかどうかで、ホロスコープとの向き合い方はまったく違ったものになります。

私はホロスコープが過去生の後始末のためだけにあるとは思いませんが、カルマは表示されていると考えています。
そこも織り込んだうえで、今回の人生ではどうしようというのが魂の計画であり、それがトータルで表示されているだけです。

そこにあるのは、じつは運不運ではない。
ただのカリキュラムです。



現実の問題として結婚運に苦労が表示されていれば、それに対応した何らかの配偶者や結婚生活の問題は出てくるでしょう。
ただ、それは今回の人生のチャレンジか、もしくは過去のカルマかどちらかであり、それがどちらであっても、それに見合った「対価」を払うことで解消できるということです。

「対価」とは、すなわちその問題への努力か、あるいは時間か、あるいは本人の目覚めです。
時間については、努力と目覚めにとって縮めることができることが多い。

課題は本人に気づきを促すためのものであることが多いので、その気づきに至るのに20年かけるか、それとも5年で済ませてしまえるか、というのは、本人の意志と選択で左右できてしまえることもまた多いのです。


そして。
これは経験者として言うのですが。

特に過去生に由来するカルマの解消。
これをさっさとすませてしまったほうが、その人は幸せになれます。

今回の課題というのは、いったら自分で臨むことをやっていく領域と被っていることが多いはずで、その苦労はわりと苦にもならないものです。

占星術の学習など、膨大なものではありましたが、私にとっては苦労でも何でもなかった。
これは私の今回の人生で用意されていた、今生でのとっておきだったと思われます。


小説家としての人生のほうが、おそらく過去のカルマであった。
江戸初期に生きていた、執筆家であった人生です。

このカルマが大きなものだったので、私は運命に翻弄されたかのように生きてきましたし、そこからなかなか離れられずに来ました。

今はもう手放しています。
手放しているからこそ、あらためて小説も書いていられるのです。
より豊かになって自分の手元に戻ってきたかのようです。


ただ、このような仕事にかかわることなどのほうが、自分自身でも解消しやすい。

問題はこのカルマが、誰か人間関係がかかわるものであった場合です。

そういった事例について、次回はお話いたします。

もう少しだけ続きます(いつまでかな?)。



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2017年7月25日火曜日

過去生と未来生のはざまにいる ホロ向き合い4


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この世に不幸や孤独がある。
その理由の一つは、前の記事で私なりの意見を述べさせてもらいました。

この世はそもそも澱がたまる段階にある。
この物質的な地上の王国と天の王冠を一つに結びつける役割が、私たちそれぞれにある。

けれど、そうやって生まれてきた私たちも、どうしてもこの地上で生きるとなると、様々な澱を引き寄せ、自ら作り出してしまいます。
これがいわゆるカルマというものになっていきます。

カルマという言葉の原意は、「行為」ですので、実際には良いカルマもあれば悪いカルマもあるわけですが、今は課題となるカルマのほうに焦点を当てた書き方をします。

一回の人生で完璧な役割をこなし、輪廻を脱却できるというのは稀な事例でしょう。
そんな魂があるのかどうか、私にはわかりません。

多くは過ち、人を傷つけ、また自分も傷つき、重い想念を抱えて生きることで、なんらかの「次の人生での課題」を作り出します。
要するに前失敗したことを修正するとか、別れた人と今回こそやり直すとか、やはり別れるけれどその悲しみを今回では強く乗り越えられるようになろうとか、前世で傷つけた人に対して謝る機会を作ったり、自分が傷つけられたけど相手に愛をもって接することで相手を救う機会を与えるとか(そのために親子で生まれるとか)。

どんなケースがあるのかということは人生の数だけあるので、とうてい書ききることはできません。

私の研究するところでは、ホロスコープには過去生情報も含まれています。

今回のネイタル・チャートは、今回だけのものではないのです。

ちょうど占星術ネット講座の5期の方々が、上級講座でこの学習に入るところなのですが、このことについてはほぼ確信に近いものがあります。
確信といっても、前世の情報自体が本当なのかどうなのか、立証は難しい。
けれど、本当の前世情報というのは、なんらかの胸に落ちるものがあります。ストンと。
ああ、これは自分の前世だろうな、と。

知らされた瞬間に涙する人もいます。

そこは心で感じる、心で納得するかどうか、ということが大きい。
なのですが、その感覚では、私は自分の複数の前世情報についてかなり納得していて、それが自分のチャートには、ざっくりとですが、出ていると判断しています。

少なくともホロスコープに反するような過去生の人物(複数)の情報はなかったのです。

ホロスコープには複数の情報が出ているようにも思えますし、あるいは今回の人生にもっともかかわりが深い前世情報が出ているようにも思えます。
私は現在、前者のほうへ考えが傾いていますが、個人差もあるかもしれません。

今回の人生の設計図でもあり、課題も表示する部分があるホロスコープは、過去生の集積から作り出されている。
そう、私は考えていますし、これはよくよく考えれば当たり前の話です。

人の魂は生まれ変わる。
魂は人生の計画を立てて生まれてくる。
その計画が反映されたものがホロスコープ。

これらの条件を受け入れるならば、ですが。
魂が立てる計画の中に過去生の体験が含まれないはずがないし、それは当然、ホロスコープに含まれているはずなのです。


私がここで述べていることなど、信じたくない人は否定したらよいと思いますし、前にも申しましたように私は「布教」したいわけじゃない(笑)

ただ、こういった情報がなにがしかの目覚めや気づき、ある人には救いになることもあります。
そのためにだけ、これを書き続けています。

この世には孤独や不幸が存在する。
なぜか思い通りには事は運ばない。
大きな望みが叶わない――だけではなく、ほんのささやかな望みさえかなわないことがある。

なぜそうなってしまうのか。

これは私たちの命が、一回こっきりのものではなく、時空の中で多様に流れ、うねり、いろいろな色に変わる光の帯のようなものだからです。
この光のチューブは何千年も、ひょっとすると何万年も昔からつながっていて、今の自分もその光の帯の一断面にすぎないのです。

より強く輝くために。
私たちは、このチューブを通じて、過去の自分の何かを解決する必要もあるのです。
他でもない自分の体験ですから。

あるいは理解するだけでもよいのかもしれません。

それを一つずつ浄化し、解放してやる。

それは今の自分を幸せにするとともに、過去の時空の浄化にもつながるのです。

ありとあらゆる時空で、私たち(私と私の無数の過去生)は同時に生きている。
つながっている。

だから今の私が課題をクリアすれば、それは過去生の私さえも救うのです。

そうして私という存在の生きる時空が、一つ、また一つと癒され、澱が浄化され、祓われていく。
その時に、私も幸せになっている。

そんな自分は未来ともつながっている。


それがきっと、この世に生きるということ。


なんてすばらしい。

美しい。


と、私は思います。

今生の現在も過去にも、やっぱりそれなりに大変なことはあり、整理の付かないことはいっぱいある。

でも、私はきっと宇宙を創造しているのだと思います。

なんて大げさな!
と思うかもしれません。

でも、私たち一人一人は、自分という実は無限の存在を通じて、過去を改変し、未来を創造し、そして過去も未来もすべてが有機的につながっている。
過去は固定化されていて、何も動かないのではない。

今が変われば、過去も未来も同時に変わる。
それは宇宙を常に創造し、作り変えているのと同じことです。

わかりにくいかもしれませんが、私はそれが真実なのではないかと思っています。

ちょっと話が横道にそれましたが。

今は私たち一人一人にもっとも役立つ情報に戻りましょう。

ホロスコープの表示する課題。
それは魂の課題でもあるのですが。

こういう理解を持っていたら、これと向き合っていくこともずいぶんと楽になるのです。



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2017年7月23日日曜日

世界の中での私たちの役目 ホロ向き合い3


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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

このシリーズは、ラベルの「ホロスコープとの向き合い方」で一括検索できますので、過去の記事も併せてお読みくださいますと幸いに存じます。


魂は愛・喜びの中で生きることを目的として生まれてくる。
うれしうれしの人生です。

それならなぜこの世には不幸や孤独があるのか。
それには二つの理由があると考えています。

そもそもこの私たちの物質的な世界は、天界の創造の最下層にあると言われています(カッバーラの生命の樹のマルクト)。
当然、この世界は天界のように純度の高い意識の次元ではありませんので、様々な澱がたまる世界です。
不純物がそもそもできる世界だということです。

そしてこの世界は、私たちの魂(意識)が生きる全部の中の、たった一つだというということです。
マルクトという最下層だけで生きるのが私たちではないということです。私たちの意識は今この世界を生きながら、同時に次元の違う世界でも存在している。
あの世や天界には時間がないからです。

そういう私たちの魂が、わざわざこの世界を選んで生まれてくるのは、この世界でしか体験できないことがあるからです。

ほかの意識によって形成されている次元の高い世界ではできない体験であり、それは自分の思い通りにならない現実を味わうことになる経験です。
そもそもそういう世界で生きる私たちは、人間は独りであり、意識は切り離され、利害も対立し、欲望がすべて満たされることなどなかなかにあり得ず、失敗し、挫折し、愛を失い、愛する者と別離せねばならず……

というような様々な障害に満ちた世界を、もともと経験するために生まれています。
しかし、その中で埋没し、恨みや憎しみや悲しみの中で生きることが目的ではありません。

天界の創造の源である、うれしうれしの世界をこの地上で創造することが、この世に生きる私たちに至高の目的と言っていいでしょう。

ひとりひとりが、うれしうれしの状態を作り出していくこと。
それが結局、世界をよくする。
貧困や飢餓、疫病、災害、戦争などに抗して、光を広げていける現実的な力となるはずなのです。

全魂の最終的な目的は、生命の樹の王冠であるケテルをこの地上の王国であるマルクトに降ろし、一体化させることなのかもしれません。

そのプロセスは簡単には終わらないし、一度実現できたかのように見えても、実は様々な無限の段階があると思われます。

世界が大きな成長と進化のプロセスを持っているのであり、その中で上の世界と下の世界を動き回っている私たちの存在と価値は、とても大きなものなのです。
ひとりひとりがちっぽけではない。

このひとりひとりが、自身の役目を果たしていくこと。

昨年から非常に強い浄化と癒しが始まっていることをお伝えしてきましたが、浄化という言葉だけでは伝わりにくい真相がここにあります。

浄化とは自分の浄化でもありますが、世界の浄化でもある。

そしてそこにはまず、ひとりひとりの浄化が必要なのですが、それこそがホロスコープが表示する課題との向き合いということになっていきます。


また、続きます。



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2017年7月21日金曜日

誰もがこの人生で幸せになれる ホロ向き合い2


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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ホロスコープを学び始めると、多くの人が戸惑いや疑念、場合によっては「恐れ」を感じます。人によってはホロスコープを見るのも嫌になってしまうケースもあります。

なぜか?
これは、ほとんどの場合、ホロスコープが表示する吉凶の「凶」の部分に抱く感情から生じるものです。
古来、占星術では、火星、土星、天王星、海王星、冥王星を凶星としてきました。
これらが自分にとって重要なポイントにあると、誰だって「そんなのは嫌だ」と思うのが当然です。

たとえば土星が7ハウスにあると、晩婚だとか結婚生活の障害などがあるという解説がなされていることも多いのですが、未婚の方なら「受け入れたくない情報」ですし、すでに既婚者で結婚生活に問題を感じている方なら「現実を突きつけられる苦痛」ともなりえます。

また天体だけではなく、天体や感受点が結ぶ座相=アスペクトがあります。
これは地球を中心にしてみた時の角度なのですが、このアスペクトにもソフト(イージィ)アスペクトとハード(ディフィカルト)アスペクトがあります。
ソフトが吉であり、ハードが凶という理解の仕方がほとんどです。

たとえば金星が天王星とハードアスペクトになっていたりすると、金星の愛情と天王星の異変や別離の機能が凶として働き、悲恋・失恋などが起きるという解釈もよく見ます。
その人が恋愛真っ最中だったら、「このアスペクトはいったいいつ起きるんだろう?」と恐れを抱かねばなりません。

世の中には占いをしてもらって「よいことだけを信じる」という前向きで心根の強い人もいます。
これはこれで健全です。
少なくとも悪い暗示を提示されたときに、悲観に陥ったり恐怖に支配されたりするより、よほど健全です。

しかし、こうした前向きな方には前向きなりの問題があり、悲観的な方には当然、問題があります。
それもどちらも同じ問題だったりします。

どんな問題?
そんなに性格が違うのに同じ問題なの?

と疑問に思われるかもしれません。
念のために申し上げておきますと、私はこれらのタイプの方々を批判しようとか、難癖をつけようとか、そのような意図でこれを書いておりません。
もう少し大きな視野で見た時には、もっと良い受け止め方がありますよ、ということで、このシリーズを書いているわけです。

二つのタイプの人が、共通して持つ問題。

それはホロスコープが提示している課題に向き合わないという問題です。
その点においては、よいことだけを信じる人は、そもそも課題からは目をそらしていますし、悲観的で怖さを感じる人は、提示されたものをその感情故につきのけようとします。
結果、どちらのタイプの人もその課題と正面から向き合うということをなさらないことが、同じ特徴としてあるわけです。

ここでより客観的な視点に立つ人は、私がこのようなことを書いていても、「それはお前がホロスコープを信じているからそんなことを言っているだけで、別にほかの人間がそんなことを受け入れなければならないいわれはないよ」とお考えになるかもしれません。
まことにその通りで、私は別にホロスコープ教を布教したいわけでもないのです。
そもそも私はホロスコープを信じているのではなく、そこに偶然では説明のできない法則的なチャートの状態と現実の出来事の因果関係があると知っているだけなのです。
ここに疑いを抱かれる方は、そもそもこんなブログを読まなければよいので、寛容の精神でスルーしてやってくださいませ。

前記事で触れたように、ホロスコープは魂の計画が、この世的に表現されたものです。
ホロスコープの提示する課題に向き合わずにいるということは、このあえて生まれてきた私たちの為すべき努力や学習、成長の機会を先送りするということでもあります。

じつは、この学びや経験をさっさと済ませてしまったり、ちゃんと向き合って課題をクリアした人のほうが、早く幸せになれる。
ホロスコープの提示する課題が嫌なものだからと言って、そこから目をそらすことは何の解決にもならず、やがてはその暗示するところの現実が立ち現れてきます。いやでも。

要するにこれは、学校であるレベルの学習をクリアできないのと進級できないというのと同じです。
あるいは少なくとも一学期を修了しないと、夏休みを満喫できないよ、みたいなお話です。

学校のようにスケジュールが決まっていたら、何がなんでも無理やりにもでやってしまうものです。いやでもやりましたよね?
そうして今頃の季節には、「やったー! 夏休みだあ」と喜んでいたわけです。

この夏休みという象徴が、つまるところその人の「幸福」です。
むろんそんな単純なものではないのですが。
わかりやすくいうと、そういうこと。


私は皆さんにも、さっさと夏休みなりなんなり、ご自身の喜びとするところへ入っていただきたい。
なぜなら。

魂がこの世に生まれる最大の理由は、喜びの中で過ごすことが目的だからです。
喜び、愛、楽しみ、感謝、幸福――いろいろと表現の仕方はありますが、究極の目的はこの世の中にあって、「愛」となることです。
愛の中に、上記のすべては含まれると言えます。

これを知っておくと、じつはホロスコープに示される課題、またホロスコープなど見なくても、人生に立ち現れてくる課題に向き合っていく勇気を持ています。

誰でも幸せになれるし、愛になれる。
愛になれれば、もうその瞬間には幸せになっている。

それが究極的な目的なので、じつは「不幸なホロスコープ」はこの世に一つも存在していないのです。
少なくとも、その人の全人生、不幸の中で苦しみ続けるような出来事を決めつけてしまうチャートはない。

チャートにそのような力はないし、単に魂の計画を表現しているだけ。

その人はその人なりの人生の中で、それぞれはそれぞれの幸福を手に入れることができる。
それにいつ気づけるか、幸福を妨げていた執着をいつ手放せるか、というようなことが、早いか遅いかの差でしかないし、寿命を終えるまでにそこへ至れるか至れないまま終えるかという差でしかありません。

現実に不幸や孤独の中で世を去る人はいます。
しかし、少なくとも可能性は、常に閉ざされていない。
今回の1回の人生で、あなたは自分なりの幸せを得られる可能性に満ちた存在なのです。

むろんこれは、例外的な事例は存在します。
凶悪犯罪で殺されてしまう人、テロの犠牲になる人、戦地で飢えや病気で亡くなる子供たち。
そのような理不尽が存在する理由は、また別に考えねばなりませんし、こういった命たちへの責任は、それが遠く離れた場所で起きていることだとしても、本来私たち赤の他人全員が負っています。赤の他人などではない、ということですね。

それはまた別な見方が必要なのですが。

今、私は世の中に存在する多数の、ごく普通の私と同じ命たちに呼びかけるために書いています。
私もまたあがき続けた過去を持ちます。
早くにここへ至ればよかったのだと気づくのは、本当にここ10年くらいの話です。

そして、誰もがこの人生で愛や喜びとなれることを知ったら、人生の課題と向き合っていくことができる。
その力を得て、勇気を得て、今日を生きられる。

ここはこのシリーズの本質です。
また続きを書きますね。


この記事は宿命と運命 ホロスコープとの向き合い方1で触れた観点を前提に書いております。未読の方はこちらもお読みください。
またこのシリーズは、ラベルの「ホロスコープとの向き合い方」で一括検索してお読みいただけます。



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2017年7月20日木曜日

宿命と運命 ホロスコープとの向き合い方1


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ホロスコープを解読すると、その方の様々な課題が浮き彫りになるものなのですが。
その課題にどう向き合っていくかということは、人それぞれです。

今日から少しずつ、その課題への向き合い方について、自分なりに思うところを述べたいと思います。
間に他の記事が入ったとすることもあると思いますが……

ただ、その前提として、ホロスコープは自分が生まれてくる前に立てた魂の計画であるということがあります。
ホロスコープに表示されているのは、単純な運の良しあしではないわけです。

ホロスコープに出ていることが神や天が定めた運命であり、それが一生涯変えられないとするのは、私の立場ではありません。

ただ、例外はあります。
「運命」と「宿命」を分けて使用したほうがいいでしょう。

魂の計画ですから、どうしてもやっておきたい体験はあり、それは本人にとって好ましくないものであることも多い。
家庭環境であるとか、もともと持っているコンディションであるとか、心の弱さであったり、人間関係であったり、愛する人との悲しい別れであったり。
経済的な苦労を経験するということが目的の場合すらあるでしょう。

魂の計画として設定されたもので、絶対にしておきたい経験については、いわゆる「宿命」として考えられます。
親子関係なども宿命です。
否定したいような関係であっても、それ自体は変えられませんよね。

こうした宿命については、学びの前提条件としてあることが多く、これはなかなか変えられません。

これに対して「運命」は変えられるものとします。
私はこのブログを書く時にも、そういった使い分けはこれまでにもしてきました。
古いamebaあたりだと、その辺があいまいな時期もあったかもしれませんが、このシリーズの記事の中ではそういうものだとお考え下さい。

ただ、宿命について何も変えられない、絶対不動のものであるかというと、そうではないと思います。
たとえば極端に悪い親子関係が、ずっとその人の中で居座っていて、そのためにいろいろな人生の人間関係でも幸せになりにくいという現実があるとして。
しかし、その親子関係は確かに変えにくい。
自分だけのお話ではないのが、ありとあらゆる人間関係だからです。

自分一人が何とかしようと思っても、相手が何も変わらなければどうにもならないことがあります。

親子関係は宿命の一つですが、では、この悪い親子関係までもが一生涯変えられない宿命なのか、というと、そうではない。
親子であることは宿命そのもので変えられませんが、その親子の関係性は「運命」の中に組み込まれている部分も大きい。

好ましくない親子関係を、時間や努力によって変えることができたというお話もよく聞きます。
それがきっかけとなって、自分も幸せになれたということも。

つまり親子であることは宿命でも、その関係性は運命だということです。

同様なことはいろんな人間関係や出来事の中にもあります。

私にとって、作家として大きな挫折を迎えることは、たぶん宿命であったように思います。
それは、当時の私がいかに努力しても変えようがないものだった。

そのプロセスを経なければたどり着けないところがあったし心境もあった。
たぶん、前世のカルマを解消するためにもこれは必要だった。

けれど、小説との関係性は私自身が決められることです。

商業的な成功者でなくても、小説家として生きていくことはできるし、これからどう小説と関わっていくかは、私はいかようにも決められます。
そうして生きていくことで、いつか違った未来が開けてくることもあるかもしれない。
つまりそこが運命ということになります。

これ以降、ホロスコープとの向き合い方シリーズを幾度か書くと思いますが、それを読まれるときにはこの最初の記事の前提でかかれるものだとご理解くださいね。

では、楽しみに~(^^♪


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