私の住む倉敷市児島由加という土地。
この由加山というところは、役小角の高弟たちが開いた土地といわれ、「新熊野三山」といわれています。由加山の周辺に、紀伊ではない、新しい熊野の聖地が作られたという歴史があるのです。
この新熊野三山のどこが「三山」なのかということは、きっちりとした定説がないのですが、由加大権現が新熊野の「那智」であるというのは、まあ、ほぼ地元の定説に近い。
しかし、地元の宮司さん(大きな神社の宮司さん)は、山村神社(私が氏子総代を務める村の産土)こそが新熊野の那智ではないかというご意見もあります。
そのへんは曖昧です。
とはいえ、由加山は、じつは日本創世の物語と深い関係があります。
「吉備の児島」というのは、記紀にも記される由緒ある呼び名なのですが、
江戸時代 由加山と四国(香川)の金比羅山は両参りされていました。
つまり片方だけでは完全でなく、二つ、お参りをすることで、より強いおかげを受けられる、というものです。
由加山は、私は地元なので、かならずといっていいほど、初詣はここへ行きます。
今年の元旦の由加神社本宮の風景です。
もうお参りで大行列!昨日の記事の続きですが、せっかく四国へ行ったので、由加と両参りになる、金刀比羅宮へも参拝しようという話になっていました。
新年早々に、「両参り」をしたことは、かつてありません。
まったくといっていいほど知られていないのですが、由加神社(大権現)の祭神は
手置帆負命(たおきほおいのみこと)
彦狭知命(ひこさしりのみこと)
です。
この御神々は、紀伊忌部の祖ともされますが、どちらも「計測すること」にかかわった神であり、工匠の神とされます。
この工匠は、主に建築に関わることとのようですが、日本書紀には、両神を「笠作り」「盾作り」の神だと記しています。
そして、それは大物主命(おおおものぬしのみこと)のための「笠作り」「盾作り」です。
大物主命というのは、大和・三輪山の神と同じですが、じつは香川県の金刀比羅宮のご祭神も大物主命です。
由加と金比羅。
この両者の間には、ちゃんとご祭神のつながりもあったわけです。
忌部氏は、古代の祭祀に深く関わっていたとされ、諸国に散らばる忌部氏がそれぞれに作成した玉、麻・木綿、盾、木などを納めていたとされます。
由加と金比羅、そして大和の三輪山。
古代史の中に埋もれた関係性が、後世までの信仰の中には息づいていたのですね。
参道をどんどん歩いて行く息子。
(あとで、真ん中は歩かないように言いましたが)
785段!(金刀比羅宮まで)
さすがにきついですが、日頃ジョギングをしているおかげで、私はあまり足には来ませんでした。
(奥さんが一番ダメージを受けていた)
「疲れた~」という感じで、ワンショット。
讃岐平野をバックに。
この時点で午後3時。
以前は奥宮まで行ったのですが(奥宮まで行くと、1368段)、この日は時間的に厳しかったので、また日を改めることにしました。
奥さんのiPhoneの健康アプリ。
帰宅後に確認したところ、とんでもない歩数が。
笑えたのは、登った階数が
57階!
になっていたこと。(笑)
竹林寺・五台山のそれと併せて、やはりとどめの金比羅。
57階って……摩天楼を徒歩で上がったって感じですね。
彼女は今日も、ふくらはぎが~、と呻きつつ仕事に行きました。
ぽちっとお願いいたします。(^人^)
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