うーん。
このところ、オリンピック中止の世論も強くなってきたご様子。
中止ともなると、この日のために努力されてきたアスリートさんたちが、あまりにも気の毒なんですけど。
私はオリンピックは開催される可能性のほうが高いと見てきました。
それは、前から申し上げているように、
「この時期に日本でオリンピックが開催されることに意味がある」
と考えてきたからなのですが。
それは、今後おそらく日本が、世界の中で中心的な役割を果たすから、という根拠から発しています。
え? と思われるかも知れませんが、べつに日本が世界のリーダーとして、これまでの米国に取って代わるとか、中国さえ押しのけるとかいう話ではなく。
ただ今後の地球文明の中心的な位置に来るのではないか、という予測です。
だとすれば、その大きな時代の節目に、オリンピックが日本で開催されるのが理にかなっていると思っていたのです。
幾度も申し上げているように、数年前から日本は大きな代替わりの運勢にあり、皇位の継承もあった。
そして2020年1月には、世界的な33年の大きな節目。
同年の12月には水瓶座のグレート・コンジャンクション。
これだけ条件が揃っているときというのは、まあ、そんなにない。
ただ……
逆の発想も可能かも知れない、とこの頃、考えるようになりました。
オリンピックというのは、西洋・欧米文明の象徴みたいなものです。
平和の祭典などともいわれますが。
逆に欧米こそが、侵略と植民地化で、現在の混沌とした世界を造り上げてきたわけで、その欧米文明の根源と言えば……
まあ、ローマ、そしてさらにギリシャに行き着くわけですよね。
こういった欧米型文明の終焉を物語るものとして、「日本」でのオリンピック開催が「消滅」するというのも、ある意味、象徴的な成り行きかも知れません。
オワリダヨーみたいな。
といって、オリンピックそのものがなくなるとは考えにくい。
日本での開催は、かつて一度流れ、その後、1964年に開催されました。
これもまたひな形で、もう一度、そんな流れになるかも知れないとも思えます。
歴史は繰り返すというのか、前回の開催後、日本は経済で台頭しました。
これは欧米型文明を踏襲する形でそうなったのですが。
もう欧米型文明は破綻しています。
一番大きいのが環境的な問題。
どうにもならないところまで来ている。
次は軍事力と経済力で行う支配の構造。
これもとっくに破綻して、コントロールできなくなっている。
もし次に日本が台頭するのであれば、従来の欧米型文明がもう一度隆盛になるためのものではない。
このときには、精神的にも技術的にも、違った文明として花開かないと意味がない。
地球資源を大量消費することで成り立つ文明でもない。
人間の精神性や霊性にも光が当たる。
そんな文明になっていくはずなので。
ところが。
まあ、今の日本の社会や政治の世界を見てみると、そんなところへ舵を切っている人や組織があまり見えない。
むしろ民間にいるんですよね。
政治の世界にはいない……かのように思える。
日本て、基本的に
「強制力」
じゃないと、変わらないんですよね。
政治や経済にしても。
率先して変わればいいんだけど……
変わらないと、いずれ働く強制力が半端なくなる。
そういう目で見れば、コロナ禍も強制力の一部なんだけど……
まだ、とくに政治・行政に時間が足りていないような気もする。
どうかなー?
この3月~6月の出来事いかんによっては、オリンピック仕切り直しもあるか。
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