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一昨日、サビアンシンボルの作業をしているということをお書きしたのですが。
その過程で、ふと面白いことに気づきました。
私が占星術研究家として旗揚げしたのは、2005年3月です。
現在は、ちょうど14年というわけです。
14年というのは、中途半端な区切りにお感じになりやすいと思うのですが、14、そして28などという数字は、占星術上はとても意味があります。
まあ、約14年、約28年という感じですが。
15年のほうが区切りやすい感じですが、これはこれでとても意味があるのです。
占星術では、すごく長い周期では約30年とか、約28年とか。
28年の半分の14年ほど、さらにその半分の7年程度の周期があります。
ほかにも3年周期というのもありますし、もちろん1年周期、3ヶ月というのもあります。
これらは深く研究すればするほど見えてきます。
そして、それらは全部意味があると。
これらのうち、28年周期の半分が、ちょうど今消化されているわけです。
思えば……
占星術研究家として旗揚げするというのは、
裏返せば、
商業作家としての未来を諦めるということと背中合わせであったように思います。
長くホテル勤めしながら、究極的な努力をしながら、
それでも門前払いを受けてしまい、
これはもうダメだな、みたいな感触は持っていました。
送った作品の評価さえしてもらえない状況(出版社やその担当編集者に)の中で、もうあかんなというのは、漠然と思っていました。
とはいえ、細かい文筆の仕事は、かすかに命脈が保たれている状況で、完全にそれを切ることもできなかった。
でも、先の見える未来はまったくないわけで。
コマッタコマッタ……
占星術関係の依頼は、ずっとありました。
それこそ、大学時代や作家デビュー後も。
無償で受けていました。
そんな中で、「もう自分にできることって、これくらいしかないかもしれんな」という思いが、どこかにあったように思います。
プロになったのは、以前にも書きましたが。
ただ(無料)の占いは、ただの消耗、無価値になりやすい。
依頼する人もただなので、その価値を認識しにくい。
興味本位で聞き流してしまうこともある。
こちらが時間を割いて、誠心誠意お答えしていても。
これは、徒労である、ということを認識したのも、この頃です。
占星術研究家として商売(?)をしたら生きていけるとか、そういう打算・計算じゃないんですよ。
儲けるとか、そんなことは思っていなかった。むしろ、苦労かけている奥さんのために、少しでも生活の足りになれば、くらいの思いでした。
商業的な欲などではなく、「自分の手にはもうこれしか残ってないじゃん」という選択だったのです。
これは、ある意味、とてももの悲しい選択だったかも知れませんが(特に自分というよりも、自分以外の周囲の人には)。
私自身は、そんな悲壮感はなかったのです。
それが14年。
この14年の間に、私は完全に商業作家を諦めました。
節目として、非常に大きかったのは、このブログで「ヤオヨロズ」のノベライズを連載し始めたことだったように思います。
あれは、いえば、私が一番書きたい話の一つでしたが、それもブログ上で書くことで、本当の意味で諦めがついたのかも知れません。
自分が書いたものを読みたいと思う人がいれば、どのような場であれ、読んでもらえるだけで幸せではないか。
と、素直に思ったのです。
その頃に、吹っ切れたように思います。商業作家へのしがみつきが。
それまでは、もう、あきらめたかのような態度で、実はどこかでしがみついていた、執着していた、ということなのでしょう。
それが吹っ切れた。
この14年は、こういうプロセスだったのかなと思います。
14年、あるいは15年という歳月は、チャート上でも、ある種の反転現象をおこすことがあります。反射現象?といってもいい。
さて、これからの14年。
どのような展開があるのか?
ワクワクです。
ぽちっとお願いいたします。(^人^)
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