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ホロスコープを学び始めると、多くの人が戸惑いや疑念、場合によっては「恐れ」を感じます。人によってはホロスコープを見るのも嫌になってしまうケースもあります。
なぜか?
これは、ほとんどの場合、ホロスコープが表示する吉凶の「凶」の部分に抱く感情から生じるものです。
古来、占星術では、火星、土星、天王星、海王星、冥王星を凶星としてきました。
これらが自分にとって重要なポイントにあると、誰だって「そんなのは嫌だ」と思うのが当然です。
たとえば土星が7ハウスにあると、晩婚だとか結婚生活の障害などがあるという解説がなされていることも多いのですが、未婚の方なら「受け入れたくない情報」ですし、すでに既婚者で結婚生活に問題を感じている方なら「現実を突きつけられる苦痛」ともなりえます。
また天体だけではなく、天体や感受点が結ぶ座相=アスペクトがあります。
これは地球を中心にしてみた時の角度なのですが、このアスペクトにもソフト(イージィ)アスペクトとハード(ディフィカルト)アスペクトがあります。
ソフトが吉であり、ハードが凶という理解の仕方がほとんどです。
たとえば金星が天王星とハードアスペクトになっていたりすると、金星の愛情と天王星の異変や別離の機能が凶として働き、悲恋・失恋などが起きるという解釈もよく見ます。
その人が恋愛真っ最中だったら、「このアスペクトはいったいいつ起きるんだろう?」と恐れを抱かねばなりません。
世の中には占いをしてもらって「よいことだけを信じる」という前向きで心根の強い人もいます。
これはこれで健全です。
少なくとも悪い暗示を提示されたときに、悲観に陥ったり恐怖に支配されたりするより、よほど健全です。
しかし、こうした前向きな方には前向きなりの問題があり、悲観的な方には当然、問題があります。
それもどちらも同じ問題だったりします。
どんな問題?
そんなに性格が違うのに同じ問題なの?
と疑問に思われるかもしれません。
念のために申し上げておきますと、私はこれらのタイプの方々を批判しようとか、難癖をつけようとか、そのような意図でこれを書いておりません。
もう少し大きな視野で見た時には、もっと良い受け止め方がありますよ、ということで、このシリーズを書いているわけです。
二つのタイプの人が、共通して持つ問題。
それはホロスコープが提示している課題に向き合わないという問題です。
その点においては、よいことだけを信じる人は、そもそも課題からは目をそらしていますし、悲観的で怖さを感じる人は、提示されたものをその感情故につきのけようとします。
結果、どちらのタイプの人もその課題と正面から向き合うということをなさらないことが、同じ特徴としてあるわけです。
ここでより客観的な視点に立つ人は、私がこのようなことを書いていても、「それはお前がホロスコープを信じているからそんなことを言っているだけで、別にほかの人間がそんなことを受け入れなければならないいわれはないよ」とお考えになるかもしれません。
まことにその通りで、私は別にホロスコープ教を布教したいわけでもないのです。
そもそも私はホロスコープを信じているのではなく、そこに偶然では説明のできない法則的なチャートの状態と現実の出来事の因果関係があると知っているだけなのです。
ここに疑いを抱かれる方は、そもそもこんなブログを読まなければよいので、寛容の精神でスルーしてやってくださいませ。
前記事で触れたように、ホロスコープは魂の計画が、この世的に表現されたものです。
ホロスコープの提示する課題に向き合わずにいるということは、このあえて生まれてきた私たちの為すべき努力や学習、成長の機会を先送りするということでもあります。
じつは、この学びや経験をさっさと済ませてしまったり、ちゃんと向き合って課題をクリアした人のほうが、早く幸せになれる。
ホロスコープの提示する課題が嫌なものだからと言って、そこから目をそらすことは何の解決にもならず、やがてはその暗示するところの現実が立ち現れてきます。いやでも。
要するにこれは、学校であるレベルの学習をクリアできないのと進級できないというのと同じです。
あるいは少なくとも一学期を修了しないと、夏休みを満喫できないよ、みたいなお話です。
学校のようにスケジュールが決まっていたら、何がなんでも無理やりにもでやってしまうものです。いやでもやりましたよね?
そうして今頃の季節には、「やったー! 夏休みだあ」と喜んでいたわけです。
この夏休みという象徴が、つまるところその人の「幸福」です。
むろんそんな単純なものではないのですが。
わかりやすくいうと、そういうこと。
私は皆さんにも、さっさと夏休みなりなんなり、ご自身の喜びとするところへ入っていただきたい。
なぜなら。
魂がこの世に生まれる最大の理由は、喜びの中で過ごすことが目的だからです。
喜び、愛、楽しみ、感謝、幸福――いろいろと表現の仕方はありますが、究極の目的はこの世の中にあって、「愛」となることです。
愛の中に、上記のすべては含まれると言えます。
これを知っておくと、じつはホロスコープに示される課題、またホロスコープなど見なくても、人生に立ち現れてくる課題に向き合っていく勇気を持ています。
誰でも幸せになれるし、愛になれる。
愛になれれば、もうその瞬間には幸せになっている。
それが究極的な目的なので、じつは「不幸なホロスコープ」はこの世に一つも存在していないのです。
少なくとも、その人の全人生、不幸の中で苦しみ続けるような出来事を決めつけてしまうチャートはない。
チャートにそのような力はないし、単に魂の計画を表現しているだけ。
その人はその人なりの人生の中で、それぞれはそれぞれの幸福を手に入れることができる。
それにいつ気づけるか、幸福を妨げていた執着をいつ手放せるか、というようなことが、早いか遅いかの差でしかないし、寿命を終えるまでにそこへ至れるか至れないまま終えるかという差でしかありません。
現実に不幸や孤独の中で世を去る人はいます。
しかし、少なくとも可能性は、常に閉ざされていない。
今回の1回の人生で、あなたは自分なりの幸せを得られる可能性に満ちた存在なのです。
むろんこれは、例外的な事例は存在します。
凶悪犯罪で殺されてしまう人、テロの犠牲になる人、戦地で飢えや病気で亡くなる子供たち。
そのような理不尽が存在する理由は、また別に考えねばなりませんし、こういった命たちへの責任は、それが遠く離れた場所で起きていることだとしても、本来私たち赤の他人全員が負っています。赤の他人などではない、ということですね。
それはまた別な見方が必要なのですが。
今、私は世の中に存在する多数の、ごく普通の私と同じ命たちに呼びかけるために書いています。
私もまたあがき続けた過去を持ちます。
早くにここへ至ればよかったのだと気づくのは、本当にここ10年くらいの話です。
そして、誰もがこの人生で愛や喜びとなれることを知ったら、人生の課題と向き合っていくことができる。
その力を得て、勇気を得て、今日を生きられる。
ここはこのシリーズの本質です。
また続きを書きますね。
この記事は宿命と運命 ホロスコープとの向き合い方1で触れた観点を前提に書いております。未読の方はこちらもお読みください。
またこのシリーズは、ラベルの「ホロスコープとの向き合い方」で一括検索してお読みいただけます。
ぽちっとお願いいたします。(^人^)
↓
ホロスコープを学び始めると、多くの人が戸惑いや疑念、場合によっては「恐れ」を感じます。人によってはホロスコープを見るのも嫌になってしまうケースもあります。
なぜか?
これは、ほとんどの場合、ホロスコープが表示する吉凶の「凶」の部分に抱く感情から生じるものです。
古来、占星術では、火星、土星、天王星、海王星、冥王星を凶星としてきました。
これらが自分にとって重要なポイントにあると、誰だって「そんなのは嫌だ」と思うのが当然です。
たとえば土星が7ハウスにあると、晩婚だとか結婚生活の障害などがあるという解説がなされていることも多いのですが、未婚の方なら「受け入れたくない情報」ですし、すでに既婚者で結婚生活に問題を感じている方なら「現実を突きつけられる苦痛」ともなりえます。
また天体だけではなく、天体や感受点が結ぶ座相=アスペクトがあります。
これは地球を中心にしてみた時の角度なのですが、このアスペクトにもソフト(イージィ)アスペクトとハード(ディフィカルト)アスペクトがあります。
ソフトが吉であり、ハードが凶という理解の仕方がほとんどです。
たとえば金星が天王星とハードアスペクトになっていたりすると、金星の愛情と天王星の異変や別離の機能が凶として働き、悲恋・失恋などが起きるという解釈もよく見ます。
その人が恋愛真っ最中だったら、「このアスペクトはいったいいつ起きるんだろう?」と恐れを抱かねばなりません。
世の中には占いをしてもらって「よいことだけを信じる」という前向きで心根の強い人もいます。
これはこれで健全です。
少なくとも悪い暗示を提示されたときに、悲観に陥ったり恐怖に支配されたりするより、よほど健全です。
しかし、こうした前向きな方には前向きなりの問題があり、悲観的な方には当然、問題があります。
それもどちらも同じ問題だったりします。
どんな問題?
そんなに性格が違うのに同じ問題なの?
と疑問に思われるかもしれません。
念のために申し上げておきますと、私はこれらのタイプの方々を批判しようとか、難癖をつけようとか、そのような意図でこれを書いておりません。
もう少し大きな視野で見た時には、もっと良い受け止め方がありますよ、ということで、このシリーズを書いているわけです。
二つのタイプの人が、共通して持つ問題。
それはホロスコープが提示している課題に向き合わないという問題です。
その点においては、よいことだけを信じる人は、そもそも課題からは目をそらしていますし、悲観的で怖さを感じる人は、提示されたものをその感情故につきのけようとします。
結果、どちらのタイプの人もその課題と正面から向き合うということをなさらないことが、同じ特徴としてあるわけです。
ここでより客観的な視点に立つ人は、私がこのようなことを書いていても、「それはお前がホロスコープを信じているからそんなことを言っているだけで、別にほかの人間がそんなことを受け入れなければならないいわれはないよ」とお考えになるかもしれません。
まことにその通りで、私は別にホロスコープ教を布教したいわけでもないのです。
そもそも私はホロスコープを信じているのではなく、そこに偶然では説明のできない法則的なチャートの状態と現実の出来事の因果関係があると知っているだけなのです。
ここに疑いを抱かれる方は、そもそもこんなブログを読まなければよいので、寛容の精神でスルーしてやってくださいませ。
前記事で触れたように、ホロスコープは魂の計画が、この世的に表現されたものです。
ホロスコープの提示する課題に向き合わずにいるということは、このあえて生まれてきた私たちの為すべき努力や学習、成長の機会を先送りするということでもあります。
じつは、この学びや経験をさっさと済ませてしまったり、ちゃんと向き合って課題をクリアした人のほうが、早く幸せになれる。
ホロスコープの提示する課題が嫌なものだからと言って、そこから目をそらすことは何の解決にもならず、やがてはその暗示するところの現実が立ち現れてきます。いやでも。
要するにこれは、学校であるレベルの学習をクリアできないのと進級できないというのと同じです。
あるいは少なくとも一学期を修了しないと、夏休みを満喫できないよ、みたいなお話です。
学校のようにスケジュールが決まっていたら、何がなんでも無理やりにもでやってしまうものです。いやでもやりましたよね?
そうして今頃の季節には、「やったー! 夏休みだあ」と喜んでいたわけです。
この夏休みという象徴が、つまるところその人の「幸福」です。
むろんそんな単純なものではないのですが。
わかりやすくいうと、そういうこと。
私は皆さんにも、さっさと夏休みなりなんなり、ご自身の喜びとするところへ入っていただきたい。
なぜなら。
魂がこの世に生まれる最大の理由は、喜びの中で過ごすことが目的だからです。
喜び、愛、楽しみ、感謝、幸福――いろいろと表現の仕方はありますが、究極の目的はこの世の中にあって、「愛」となることです。
愛の中に、上記のすべては含まれると言えます。
これを知っておくと、じつはホロスコープに示される課題、またホロスコープなど見なくても、人生に立ち現れてくる課題に向き合っていく勇気を持ています。
誰でも幸せになれるし、愛になれる。
愛になれれば、もうその瞬間には幸せになっている。
それが究極的な目的なので、じつは「不幸なホロスコープ」はこの世に一つも存在していないのです。
少なくとも、その人の全人生、不幸の中で苦しみ続けるような出来事を決めつけてしまうチャートはない。
チャートにそのような力はないし、単に魂の計画を表現しているだけ。
その人はその人なりの人生の中で、それぞれはそれぞれの幸福を手に入れることができる。
それにいつ気づけるか、幸福を妨げていた執着をいつ手放せるか、というようなことが、早いか遅いかの差でしかないし、寿命を終えるまでにそこへ至れるか至れないまま終えるかという差でしかありません。
現実に不幸や孤独の中で世を去る人はいます。
しかし、少なくとも可能性は、常に閉ざされていない。
今回の1回の人生で、あなたは自分なりの幸せを得られる可能性に満ちた存在なのです。
むろんこれは、例外的な事例は存在します。
凶悪犯罪で殺されてしまう人、テロの犠牲になる人、戦地で飢えや病気で亡くなる子供たち。
そのような理不尽が存在する理由は、また別に考えねばなりませんし、こういった命たちへの責任は、それが遠く離れた場所で起きていることだとしても、本来私たち赤の他人全員が負っています。赤の他人などではない、ということですね。
それはまた別な見方が必要なのですが。
今、私は世の中に存在する多数の、ごく普通の私と同じ命たちに呼びかけるために書いています。
私もまたあがき続けた過去を持ちます。
早くにここへ至ればよかったのだと気づくのは、本当にここ10年くらいの話です。
そして、誰もがこの人生で愛や喜びとなれることを知ったら、人生の課題と向き合っていくことができる。
その力を得て、勇気を得て、今日を生きられる。
ここはこのシリーズの本質です。
また続きを書きますね。
この記事は宿命と運命 ホロスコープとの向き合い方1で触れた観点を前提に書いております。未読の方はこちらもお読みください。
またこのシリーズは、ラベルの「ホロスコープとの向き合い方」で一括検索してお読みいただけます。
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