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私たちのホロスコープに表示される課題は、過去生の累積情報でもある。
そのため、今回の人生に起きる様々な不都合や不幸も、それはじつは本人に由来するものが多い。これはカルマの浄化・解消のためです。
たぶんですが。
天の王冠であるケテルをこの地上の王国マルクトにつなげて、天の王冠を地に降ろすということも、私たちの輪廻転生の長いプロセスの中に組み込まれている。
そういう遠大な計画のもとに私たちは生まれ、私たちの過ちや穢れ、横道にそれることさえ、その一部なのだということです。
今が変われば過去生も未来生も変わる。
それが今の私の信じるところです。過去生すら固定化されたものではない。
物理学も、世界はそういうものだというところに近づいているのではないかと予感します。
きっと近いうちにそのような可能性についての報告がなされると思います。
つまり今回の人生での苦労や悲しみ、それは私たち個人個人の魂にとっても、世界全体にとっても、まったく無意味なものではないということ。
私たちは無意味な不幸など経験しない。
一つには、ホロスコープに表示される課題とは、こうした私たち一人一人が持つカルマの浄化・解消のためのものと考えられます。
これはおもに過去生に由来するものです。
もう一つ考えられるのは、今回の人生ならではの新しい試み=チャレンジのための課題というものが考えられます。
魂も同じような輪廻ばかり繰り返すわけではないでしょう。
時にはこれまでと違った取り組みをして、新しい知識や技術を身につけようとするはずだし、異なった経験をしようとするはず。
過去生の経験をさらに生かして高みに登ることもあるでしょう。
新しい勉強を始めたり、スポーツで一つ上のランクを目指したときには、大変ですよね。
時間をかけて積み重ねないといけないし、努力もしないといけない。
途中で失敗して、挫折感を味わうこともあるかもしれない。
つまりこれは今生の生き方と未来に関する課題です。
課題には、その二種があると思われます。
ということは?
そう、ここではっきりしてしまうのですが。
ホロスコープに表示されるハードアスペクト、あるいは問題となりそうな星の配置、品位などは、すべてこの二点にかかわる課題を表示しているに過ぎない
ということなのです。
それは運の良しあしを表現しているのではない。
今回の人生で自分が取り組むべきカリキュラムがそこに提示されていて、それは過去生の自分の浄化と解消か新しいことに取り組む際の苦労が出ているに過ぎないわけです。
この理解を持てるかどうかで、ホロスコープとの向き合い方はまったく違ったものになります。
私はホロスコープが過去生の後始末のためだけにあるとは思いませんが、カルマは表示されていると考えています。
そこも織り込んだうえで、今回の人生ではどうしようというのが魂の計画であり、それがトータルで表示されているだけです。
そこにあるのは、じつは運不運ではない。
ただのカリキュラムです。
現実の問題として結婚運に苦労が表示されていれば、それに対応した何らかの配偶者や結婚生活の問題は出てくるでしょう。
ただ、それは今回の人生のチャレンジか、もしくは過去のカルマかどちらかであり、それがどちらであっても、それに見合った「対価」を払うことで解消できるということです。
「対価」とは、すなわちその問題への努力か、あるいは時間か、あるいは本人の目覚めです。
時間については、努力と目覚めにとって縮めることができることが多い。
課題は本人に気づきを促すためのものであることが多いので、その気づきに至るのに20年かけるか、それとも5年で済ませてしまえるか、というのは、本人の意志と選択で左右できてしまえることもまた多いのです。
そして。
これは経験者として言うのですが。
特に過去生に由来するカルマの解消。
これをさっさとすませてしまったほうが、その人は幸せになれます。
今回の課題というのは、いったら自分で臨むことをやっていく領域と被っていることが多いはずで、その苦労はわりと苦にもならないものです。
占星術の学習など、膨大なものではありましたが、私にとっては苦労でも何でもなかった。
これは私の今回の人生で用意されていた、今生でのとっておきだったと思われます。
小説家としての人生のほうが、おそらく過去のカルマであった。
江戸初期に生きていた、執筆家であった人生です。
このカルマが大きなものだったので、私は運命に翻弄されたかのように生きてきましたし、そこからなかなか離れられずに来ました。
今はもう手放しています。
手放しているからこそ、あらためて小説も書いていられるのです。
より豊かになって自分の手元に戻ってきたかのようです。
ただ、このような仕事にかかわることなどのほうが、自分自身でも解消しやすい。
問題はこのカルマが、誰か人間関係がかかわるものであった場合です。
そういった事例について、次回はお話いたします。
もう少しだけ続きます(いつまでかな?)。
私たちのホロスコープに表示される課題は、過去生の累積情報でもある。
そのため、今回の人生に起きる様々な不都合や不幸も、それはじつは本人に由来するものが多い。これはカルマの浄化・解消のためです。
たぶんですが。
天の王冠であるケテルをこの地上の王国マルクトにつなげて、天の王冠を地に降ろすということも、私たちの輪廻転生の長いプロセスの中に組み込まれている。
そういう遠大な計画のもとに私たちは生まれ、私たちの過ちや穢れ、横道にそれることさえ、その一部なのだということです。
今が変われば過去生も未来生も変わる。
それが今の私の信じるところです。過去生すら固定化されたものではない。
物理学も、世界はそういうものだというところに近づいているのではないかと予感します。
きっと近いうちにそのような可能性についての報告がなされると思います。
つまり今回の人生での苦労や悲しみ、それは私たち個人個人の魂にとっても、世界全体にとっても、まったく無意味なものではないということ。
私たちは無意味な不幸など経験しない。
一つには、ホロスコープに表示される課題とは、こうした私たち一人一人が持つカルマの浄化・解消のためのものと考えられます。
これはおもに過去生に由来するものです。
もう一つ考えられるのは、今回の人生ならではの新しい試み=チャレンジのための課題というものが考えられます。
魂も同じような輪廻ばかり繰り返すわけではないでしょう。
時にはこれまでと違った取り組みをして、新しい知識や技術を身につけようとするはずだし、異なった経験をしようとするはず。
過去生の経験をさらに生かして高みに登ることもあるでしょう。
新しい勉強を始めたり、スポーツで一つ上のランクを目指したときには、大変ですよね。
時間をかけて積み重ねないといけないし、努力もしないといけない。
途中で失敗して、挫折感を味わうこともあるかもしれない。
つまりこれは今生の生き方と未来に関する課題です。
課題には、その二種があると思われます。
ということは?
そう、ここではっきりしてしまうのですが。
ホロスコープに表示されるハードアスペクト、あるいは問題となりそうな星の配置、品位などは、すべてこの二点にかかわる課題を表示しているに過ぎない
ということなのです。
それは運の良しあしを表現しているのではない。
今回の人生で自分が取り組むべきカリキュラムがそこに提示されていて、それは過去生の自分の浄化と解消か新しいことに取り組む際の苦労が出ているに過ぎないわけです。
この理解を持てるかどうかで、ホロスコープとの向き合い方はまったく違ったものになります。
私はホロスコープが過去生の後始末のためだけにあるとは思いませんが、カルマは表示されていると考えています。
そこも織り込んだうえで、今回の人生ではどうしようというのが魂の計画であり、それがトータルで表示されているだけです。
そこにあるのは、じつは運不運ではない。
ただのカリキュラムです。
現実の問題として結婚運に苦労が表示されていれば、それに対応した何らかの配偶者や結婚生活の問題は出てくるでしょう。
ただ、それは今回の人生のチャレンジか、もしくは過去のカルマかどちらかであり、それがどちらであっても、それに見合った「対価」を払うことで解消できるということです。
「対価」とは、すなわちその問題への努力か、あるいは時間か、あるいは本人の目覚めです。
時間については、努力と目覚めにとって縮めることができることが多い。
課題は本人に気づきを促すためのものであることが多いので、その気づきに至るのに20年かけるか、それとも5年で済ませてしまえるか、というのは、本人の意志と選択で左右できてしまえることもまた多いのです。
そして。
これは経験者として言うのですが。
特に過去生に由来するカルマの解消。
これをさっさとすませてしまったほうが、その人は幸せになれます。
今回の課題というのは、いったら自分で臨むことをやっていく領域と被っていることが多いはずで、その苦労はわりと苦にもならないものです。
占星術の学習など、膨大なものではありましたが、私にとっては苦労でも何でもなかった。
これは私の今回の人生で用意されていた、今生でのとっておきだったと思われます。
小説家としての人生のほうが、おそらく過去のカルマであった。
江戸初期に生きていた、執筆家であった人生です。
このカルマが大きなものだったので、私は運命に翻弄されたかのように生きてきましたし、そこからなかなか離れられずに来ました。
今はもう手放しています。
手放しているからこそ、あらためて小説も書いていられるのです。
より豊かになって自分の手元に戻ってきたかのようです。
ただ、このような仕事にかかわることなどのほうが、自分自身でも解消しやすい。
問題はこのカルマが、誰か人間関係がかかわるものであった場合です。
そういった事例について、次回はお話いたします。
もう少しだけ続きます(いつまでかな?)。
ぽちっとお願いいたします。(^人^)
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