ご訪問ありがとうございます。
こちらはZEPHYRのメインサイトです。
amebaのZEPHYRとは姉妹ブログになっております。


作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2016年7月15日金曜日

手相について思う


手相があまりよくない。
私はそういうお手てです(笑)

若いころに、いろんな占術を勉強したのですが、その中に手相が含まれていました。
曰く――丘の厚みがあるものが良い。
曰く――線がくっきりしているのが良い。
きわめて基本的な部分で、すでに私の手は躓いています。

全体に手は薄っぺらな感じで、豊かさはありません。
(金星丘のみ発達している)
またすべての線が、もひとつ薄い。

運命線はかすかなきれぎれ。
比較的ましなのは頭脳線と生命線だと思われます。

まあ、本格的にこれを勉強したわけではないので、いつか信頼のおける手相観の方に見ていただきたいと思っているのです。
本当にこれってどうなんだろう? と思う程度の手相でしかないのです。

本当のところは何かもっと根本的な判断材料があるのかもしれませんし。
手相もホロスコープと同じで、単純に良しあしを論じるのは間違いなのではないかとも思います。

ホロスコープも断片情報だけを書籍やネット上に見つけて、それを落ち込んだりするケースが大変多いのですが、悲観するほどのことはないどころか大きな可能性を秘めていることもよくあります。
手相も同様なものだと考えるのは間違いではないだろうと思うのです。

手相に関してはまったく浅学な私。
それでもなんとなく、時々自分の掌を見つめることは習慣になっています。

手相は変化します。
たとえば薄い運命線の先っぽにあった島のようなものが消えたと思えます。
ほとんど見えなくなった。
これは良い事のはず。

また太陽線も決して濃くはないのですが、占星術研究家として活動を始めたころからこれが変化して、比較的はっきりしています。

私の場合、変化が顕著なのは左手で、見ているとちょっと楽しいものです。
線と相談しながら生きている感じもあります。