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2017年4月3日月曜日

出口王仁三郎一門の芸術



昨日は慌ただしい日でした。
その日が最終というイベントが二つあり、あちこち走り回りました。
(この記事には、多くの人物の名称が出ますが、敬称はほぼ略させていただきます)

一つはこれ。


出口王仁三郎は、あの大本教の教祖。
出口なおという女性が、「お筆先」として神の啓示を伝えるようになって形成された大本教。
そのなおのもとを訪れたのが、幼少時より霊的能力があった若き日の王仁三郎であり、彼は婿として大本に入り、なおと共に教祖になった。
戦前戦中、激動の時代を生き、国家から宗教弾圧を受け、晩年は陶芸や書画など芸術活動に没頭し、終戦後、昭和23年にこの世を去られた……

私は昔からこの人物に心惹かれていて、全80巻に及ぶ「霊界物語」も所蔵していますし(お恥ずかしいことにまだちゃんと読めていない)、たぶんですが、私がもともと書きたかった物語は、たぶん現代版のこの神々のストーリーだったのです。

「出口王仁三郎とその一門の作品展」
私は車の運転をしているとき、ラジオを聴いていることが多いのですが、このフレーズがこの頃、頭の中を滑っていました。本当に聞き流してしまっていたのですが、一昨日、頭の中でちゃんと止まったf^_^;

「なに? 出口王仁三郎? しかも岡山でだと?」

一気に目が覚めました。
岡山の林原美術館で、3月25日から開催中で、しかも4月2日までだとぉ??
「明日で終わりじゃないか!」

昨日は、奥さんがお休みだったので、一緒に岡山市へGOGO!💨

思うに、王仁三郎と妻のすみこ(なおの末娘)との間の長女、直日(なおひ)と結婚して婿に入った日出麿という人物が岡山の倉敷市の出身で、そういったご縁もあって、この岡山での作品展になったのだと思われます。
滅多に見られないようなものが展示されていました。

もっとも展示物の現物は撮影できないので、ここにUPしているのは許可された説明書きやパンフレットなどの映像だけです。



もっともよく知られているのが、この耀盌(ようわん)と後に名付けられた、茶盌です。
陶芸評論家・加藤義一郎を驚嘆せしめたこの盌の現物を拝見し、
「おお!」と心で叫ぶものがありました。

あの、私はこの種の芸術に対して、わりかし鈍いやつです。
ご立派な評論のできる方のような感性も目も持ち合わせていないと自覚しています。

しかし、これには衝撃を受けました。
いや、なんといったらいいのか。

雄渾さとでもいうのか、大胆でエネルギーに満ちていて、それでいて雑なのでもない、美しいと感じる色遣いや造形。
あほな感想ですが、「えー、これほしい!」と思ったのです。

そこから展示会場の書、画、陶器の数々に目を奪われ続けました。

初代なおに降ろされたお筆先の文字も、この目で初めて見ましたし、書画についても、すみこの見るとほっこりさせたれるようなもの、日出麿の大胆なもの、直日や聖子の質素な美、そして現教主の紅(くれない)氏の際立った美。

どれも心を打ち、何かびりびりとエネルギーも感じたのですが、やはり王仁三郎の書、水墨画、器が一番心揺さぶられました。

一通り見て終わると、美術館の内庭でお茶がたてられていました。


そこで一服。


このようなものも買って帰りました。
とはいえ、いかに良い写真も、この実物のエネルギーは伝えにくい……

来てよかった。



その後、私たちは児島に取って返し、知人のHさんの奥様がスペイン人の芸術家なのですが、彼女の作品が児島で展示されているというのも昨日までだったはずなので、野崎邸という旧宅を尋ねました。
が。
残念ながら、午前中で彼女の作品の多くが撤収されてしまったとのこと。

あ~あ、昨日かおとといか、もっと早く来ていれば……


邸宅前には竹で作られたオブジェだけが残されていましたので、撮影。

しかし、残念なことをしました。

野崎家というのは、地元・児島の塩田王です。
180年ほど前に基礎建築がなされた、その旧宅が現存していて、観光名所にもなっているのです。
今はお雛様がたくさん展示されていました。

芸術に触れた一日でしたが、こんなに感電したような芸術体験は、あまりありません。

いや、機会があればもう一度。


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