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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2018年4月11日水曜日

後悔がない方が幸せになりやすい

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大筋において、人生に後悔がないゼファーです。(笑)
て、こんな書き方をすると、不愉快に思う方もいらっしゃるかもしれません。
自分の幸せをひけらかしているようにお感じになるかも……
ただ、ちょっと読み進めてみてください。

後悔がないということと、幸せであるかどうかというのは、無関係ではないと思います。
後悔ばかりするような状態では、そもそも幸せとは距離があるわけで。

この記事を書こうと思ったのは、昨日の記事を書きながら、そこが引っかかったからです。
ちゃんと別枠で記事しとこうかな~と。

実を言うと、たぶん私の人生。
私以外の方が、私に乗り移って経験されたら、後悔だらけかもしれません。(笑)
いや、まじで。

昨日も書きましたが、作家としては頓挫しましたし。
その後、アルバイト掛け持ちで、長くホテル業界であくせく働き。
この段階で、もはや男として底辺に近い(バイトで家族を養うなんて……)。
奥さんにもギリギリのところで苦労させています。けっこう長く。

むろんこの間には、まっとうな社員となる道も模索したことがあります。
なぜか、それはかなわず。
ばん、とシャッターが下ろされて、その道へは進めず。

長く続けていた占星術研究家として旗揚げし、現在に至るわけです。
今の生活は、かつてのようなかつかつではありませんし、子供たちが社会に出たこともあり、楽にはなっています。
でも、占いでがっつり稼ぐような料金でやっていませんし、ちゃんと生きて行ければよい的な生活という感じが今。

サービス業界で働きながら占星術研究家としての活動へ移行する期間には、もっととんでもない事態も起きています。
昔からの読者の方はなにげにおわかりかもしれませんが、家庭(親)の事情でございます。
そのために死を覚悟したほどです。

子育てにも相当な苦労があり、一番辛かったのは、長女の膝関節が弱く、すぐに腫れて固まってしまうという症状が、幼稚園・小学校と非常に顕著だったこと。
この治療に多大な時間とお金を使いましたし、なによりも子供の身体をよくしてやれないというのは、まことに精神に来るものがありました。

いろいろ並べ立てると、結構いろいろあったんだなとご理解いただけると思いますし、たぶん、普通この人生を味わわされたら、いやになると思います。(笑)
恨みや後悔しかない、という感じ方になってしまう人もいらっしゃるのではないか。

小説の挫折もこれは大手出版社側の理不尽な対応の変化(むろんあちらにはあちらの言い分があるはず)によるもので、これを恨みに思うこともできました(私は恨んでませんが)。
死を覚悟するような親の問題も、親と同居して実家に戻るという選択さえしなければ……という後悔につながったかもしれませんし、親を憎むことさえできたはず(後悔していませんし憎んでません)。
ホテル業界で働くようになったことすら、後悔のネタにできます。そうではなく、あの段階で正社員になれるような仕事を探すべきだったのではないかとか。

ちょっとしたものの見方の問題なのですが、もし恨み辛みの方向へ心が傾いていれば、たぶん私の人生は「後悔だらけ」になっていたでしょう。

ある人は私の体験を聞き、「それで親御さんを恨んだり憎んだりしてないってすごいわ」と言いました。
いわれた私は、「そうなんかな?」と思いました。

でも、冷静に考えたら過去の人生って、あの会社もこの会社も恨みに思っても不思議はなかったし、親のことも「最低」という評価を下して怒りの対象にしてしまうこともできたわけです。
そんなふうなルートを歩いてきた自分の数々の選択を後悔することもできた。

なるほど。
でも、今は幸せなんだよね。
幸せになれているから、過去のことも後悔や恨みに思わなくなったんだよね。

と、思われるかもしれません。
実際、幸せになることが万能の特効薬であることは間違いない。
過去、憎しみや恨みを抱き、誰かや世間を呪っていたとしても、幸せになることができれば、その負の感情はずいぶんと緩和されたり浄化されるということは、普通にあります。
ですが、私の場合、ちょっと違うのです。

私は人生のどの段階でも、実は後悔していなかったのです。
失敗した時の反省はしますよ。でも、後悔はない。
そして、どんな出版社や会社も、人も、根本的に恨んだりしていません。
どん底のさなかでも。

つまり今が多少なりともよくなったから、後悔や恨みがなくなったわけではなく、それはもともとなかったのです。

私は自分の人生に起きることは、100%自己責任と思っています。
親の問題にせよ出版社との関わりにせよ、相手のほうが明らかにおかしいことはありました。
客観的には「被害」だと判断できていましたが、だからといって自分が根本的に被害者だと思ったことがあまりありません(車で後ろから追突されたりするような個別事例は別ですよ)(笑)。

人は大筋において魂の計画に沿って生きるし、それは自分が計画している。
ホロスコープには大本の計画も出ているし、どのタイミングでどのようなことが起きえるかも示されているが、その内容をある程度改変できるのも自分。

まあ、そういうことが考えの背景にあるのですが、なんだろうな。
とにかく、自分に起きている不幸は自分が引き寄せているものだし、これはこれで受け取っていくしかない。
具体的な誰かの責任は存在するかもしれないが、誰かを恨んだり責めたりする心理に根本的に陥って、大本の責任を放棄することはしないって感じでしょうか。

だから、どの段階でも後悔していなかった。
奥さんに悪いとは思っていました。
辛い思いをさせたともいます。
それはそれなのですが、くよくよ過去のことを思い返してもどうにもならないですし。

自分にとっては、この生き方がよかったのだろうと感じています。
後悔すること、何かを恨むこと。
これは結構、多大な精神的なエネルギーを浪費します。
抱えているだけで、すでに不幸です。

苦しんだときは長かったけれど、少なくとも私と奥さんは、そのどんなときも「不幸」ではなかったと思います。
そういうふうに同調してくれた奥さんであることが、たぶん私の一番の幸運で、人生で一番よい選択だった(彼女を選んだことが)。
これに付き合いきれないと感じる女性のほうが、圧倒的に多いはず。

普通、とっくに捨てられてます。
まあ、奥さんのことはさておき。

こうやって現世的な後悔をせず、何かを恨むこともなく生きてきた。
それが結果的には、今の状態を作り出してくれたのかなと感じています。
そのほうが、よい状態に移行しやすいはずです。

後悔がないということと、幸せであるかどうかというのは、無関係ではないと思います。
後悔ばかりするような状態では、そもそも幸せとは距離があるわけで。

という冒頭の部分につながります。
後悔がない状態のほうが、幸せは入ってきやすい。
反省はしてもいいけれど、くよくよいつまでも悔やむのはよろしくないってことですね。

私は苦しかった時期、少なくとも不幸じゃなかったし、後悔をしていなかった。
ということは、なにかうまく整う時期さえ来れば、思いがけず何かが好転し始めることも多いわけです。
しかし、負の心理を強く持ってしまうと、その好転に差し障ることもあります。

それに――

なんていうのか、あの死ぬような思いをする時期があったればこそ。

今の普通の、ささやかな日常に幸せを感じるのです。


この考え方と同じようなものを持っている人もいらっしゃると思います。

なにか参考になればと思い、書きました。


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