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2018年7月18日水曜日

このサイクル、最後のひと山

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新しいサイクルはもう予兆としては現れていて、2023年には扉が開く。

そこへ至るまでの間、現在から4~5年あります。

とくに1994年から始まった現在のサイクルは、日本にとっては強い「破壊と再生」の傾向を持っていますし、また「過渡期」の傾向もあるため、「旧来の生き方や価値観、属している集団の中から脱却し、それらを新しくする」という傾向も併せ持っていました。
その前の1964~5年からのサイクルは「作り直し」なのですが。
要するに「作り直し」というのは、古いPCをクリーニングして、今しばらく使える状態にしたようなものです。

これはアジア情勢や東西の対立構造の中で、米国の強い影響下で起きていました。
また経済も国家の体制も、すべてが、たぶん「とりあえず今はこれでいける」という程度の状態だったことを意味します。

しかし、作り直して今しばらく活動できる、という状態は、結局ごまかしでしかなく、1994年以降の強い破壊と再生、過渡期の傾向へ移行し始めると、私たちは明白に前サイクルからのゆがみを突きつけられ、目が覚めるように仕向けられてきました。

1993年 には釧路沖地震や、あの奥尻島が大被害を受けた北海道南西沖地震が発生しました。1991年の雲仙普賢岳の噴火もすでに兆しであったのではないかと考えられます(すでに1994年以降のサイクルの影響が出始めていたと考えられる)。
このサイクルへ入ってくると、にわかに大地が目覚めたように地震も増えます。それも大きな被害を出すものが。
これは過去のデータを調べてもらえば明白です。

1995年には阪神淡路大震災。
同年には地下鉄サリン事件が起きますが、その前年にすでに松本サリン事件が起きています。
1997年には神戸児童連続殺傷事件。
日本と日本人がいつの間にか抱え込んでいたゆがみが、次々と表面化してきます。
21世紀に変わって、災害も加速し、犯罪もえげつないもの、異常なものが際立ってくるようになります。
新潟中越地震ほか、数多くの被害地震が起きる一方、2014年の御嶽山の噴火、あるいは豪雨による水害、土砂崩れなども増え、そして2011年の3.11、死者・行方不明者を合わせると、1万8千人以上(警察庁発表値)の東日本大震災へと至り、さらに2016年の熊本地震。
先日発生したばかりの西日本豪雨災害は、豪雨被害としては平成最大のものとなりました。

気象的なものは、地球環境の変化が大きな要因かと思いますが、1994年サイクルはそういったものを含め、地震や火山など、甚大な被害の出るものを私たちに突きつけてきました。
また「なぜ世の中、こうなってしまったんだ」という事件も増えてしまいました。

これはこの1994年サイクルの持つ破壊と再生の特徴だけでなく、「過渡期」とも関係していると思われます。

要するに古い体質や考え、価値観、システムなどが変わらなければいけないのですが、逆に旧来のものにとらわれてしがみつけばしがみつくほど、強制的に「変える力」が働くのが今のサイクルなのです。

日本は国家としても、新しい状態に脱していかないといけないのですが、それが間に合わないと反動というのか揺り戻しというのか、物理的な力も働いてしまうように思えます。

私たちがこの流れの中で心がけなければならないのは、やはり一番は一人一人の生き方やあり方を、よりよいものへと向上させることだということです。
なんだかお題目めいていますが、本当はそこなのだと思います。

目先のことを見て、なんでもかんでも変われば良い、変えたら良いのではなく。
古いものはなんでも捨てたら良いのでもなく。

むしろ本来持っていた良き資質を捨てたのが、前サイクルだったかもしれないのです。そのためにできあがったのが、私たちが変えなければならないもの、脱却しなければならない旧来のものとも言えます。
時には、さらにそれ以前の良き資質を取り戻す必要もあります。

今の私たちの社会は十分に幸せでしょうか?
もっと幸せになるためにはどうあったら良いのでしょうか?
自分が幸せになるためには何が必要で、何をしたら良いのでしょうか?

喜びのある人生を生きる。
自分が幸せになること、それは周囲の人も幸せになること。

それが共に生きるということではないでしょうか。


不幸な事件や厳しい現実があります。
今回の豪雨災害もそうですが。

しかし、このようなものを目の当たりにすればするほど、気づかされます。
当たり前の日常、そばにいる人との普通の関係がいかに大事か。

多くの人が気づけば気づくほど、そのようなものを見る必要もなくなっていくはずなのです。

この脱却の最後の期間。
私たちは一人一人が、自分がとらわれていた、いらないものを見つけ、脱ぎ捨てていかねばなりません。


次のサイクルの前夜。
これからまだひと山あります。
その山は、2022年ごっろには落ち着きます。
たぶん、これが1994年サイクルの最後のもの。

そこを過ぎたら地震も災害もなくなるということはないと思います。
顕著な時期を越せる、という話です。

そしてその山は、でき得れば多くの人と手を携えて越えたいものです。
一人一人が、今よりも身軽になって。


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