☆京都
昨日、京都鑑定会の予約が満席となりました。
セミナーについては、まだ参加者を受け付けております。
一昨日の記事、集合無意識的な運勢を浄化するにはをお読みになった方から、次のようなメッセージを受けました。
このメッセージを発した人は占星術講座の卒業生であり、個人的に返信してもよかったのですが。
ただ、同様なものを受け取っている方もかならずいらっしゃる。
なら、このブログ上で回答させてもらったほうがよいのではないかと思い、相手の方の許可をいただき、記事にさせていただきました。
以下、紫字はその方からのメッセージを私が要約したものです。
個人の運勢の上位に、集合無意識の運勢がある。
個人の運勢は集団の運命にはあらがえず、集合意識が総体として作り出す災害などには歯が立たない
それを変えるためには、個人の意識の浄化が必要だが、それも一人一人やっていき、全体を浄化するのは大変で、時間もかかる。
次々にやってくる災害には間に合わない。
たくさんの人々が神に祈っているが、この祈りも「黙示録」の最後の審判の時に吹く第1~6までのラッパにはなんの意味もなさないという情報もある。
今起きている火山、地震、大規模火災、風水害の荒れようは、まるで最後の審判のようだ。
人間は神にはまったくの無力で、神様のご意志のままという印象を受ける。
というようなことを書かれた上で、このように言われています。
人間の意思ってあるのでしょうか?
なんのために人間は作られたのでしょうか?
実際、一昨日の記事を読まれて、ちょっと悲観的になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
あの記事は、私の研究報告的な側面も強く、災害という出来事を下地に書いたものですから、どうしてもそこに焦点が当たってしまっています。
実際にはもう少し書き加えようかなと思った部分も残されたままです。
じつはイエス・キリストのような存在は、個人でもこの集合無意識の情報を書き換えたり浄化したりする力があったのではないか、と私は思っています。
死者を蘇らせたという聖書の記述が本物であれば、そういった大きな意識なしにはあり得ないだろうと。
聖書の巻末にある「ヨハネの黙示録」や旧約の「ダニエル書」にあるような未来予言的な描写は、何によって生み出されたのか?
当然ですが、聖書的には神がお示しになったはずなのですが。
集合無意識や、それさえも超越した高次的な意識ではないかと私は思います。
それを表現するには「主」や「神」しか言葉がなかったはずなのです。
こういう巨大な意識の海にアクセスできる人間は、じつはすごくたくさん存在しています。
あれ? そんなに身近にたくさんいるの?
というくらい。
あ、私はスピリチュアル鈍感なので、あり得ませんよ。(笑)
そこにちょっとだけアクセスできる瞬間があるとしたら、鑑定しているときと小説を書いているときくらいでしょう。
でも、こうした高次の意識とつながって、じつは皆さんが知らないところで、いろいろとなさってくれている方がたくさんいたりします。
私は複数知っています。
そうした高次の意識には、わかりやすく言えば日本の神界のものもあれば、竜神様もいて、この大地と空で起きることにある修正を行ってくれていたりします。
人知れず浄化を行っているのです。
じゃ、それでなんとかなるんだったらなんとかしてよ!
と私が発言したとしたら、それはまことに身勝手なエゴで、そういう働きをなさっている方にも個人の能力の限界はありますし、現実の生活もあります。
ましてや、この種の問題は、「わかっていてもどうしようもない」場合もあります。
働きを行う人ほど、何か不思議な縁や状況の中で、動けないということもあるのです。
たいがいにご神縁(神意?)によって動かされるので。
この吉備の国には、強い封印があり、大きなものが眠っている、というお話も複数の人から聞きました。
こういったものを解放し、うまく使いこなせる人がいたらよかったのでしょうが、それは不在だったのかもしれません。
なので、私は自分のできることをしよう、という考えです。
だから危険があると思う岡山で無料鑑定をしたり、「キロンの物語」を書いたり、警告も発してきたわけですが、まあ、ほんとに私の力なんか、本当に微々たるものです。
でも、私はべつに悲観もしていないし、こうした小さな力だって、集まれば大きな力になると信じています。
私たちは神様のご意志の元で、いろんな悲惨な体験をしなければならないわけではない。
この世界は意識なので、むしろそれを作り出しているのは私たち。
戦争も災厄も。
意識が変われば、当然、私たちが認識する世界も変わる。
そうやって一人一人が変われば、集合意識や高次の意識にアクセスできる人の大きな力になるはず。
それだけでなく。
イギリスの生物学者、シェルドレイクの仮説に形態形成場仮説というのがあるのですが、これは以下のようなことを説明しようとするものです。
過去に起きたある種の形態が、未来に起きることにも同じような形態を与える。→日本でも、これは「雛型」として知られている。
あるいは、ある場所で起きた出来事が、離れた場所の出来事も共鳴させ、同調させる、というような仮説です。
音叉共鳴みたいなものですね。
片方の音叉を鳴らすと、別な音叉も叩いてもないのに鳴り出すような。
こういう現象は物理的なものだけでなく、霊的にもあると思います。
それが私の考えで、一人一人の浄化が進めば、この共鳴があちこちで起き、いずれすごく大きな波及効果を持って世界中に広がると思います。
この共鳴現象はすでに起きていて、いろんなところに見られるようになっている。
女性性の癒やしと回復もその大きな代表なのですが、こういったものに対応しきれないでいると、反動は起きやすくなる。
岡山はとても保守的な土地で、変わりたがらないのです。
そこが見えない領域では、かなり関係していると思いますが……
いずれにしても、私たち一人一人が浄化されていけば(幸せになれば)、それはどのタイミングかで、とてつもなく大きな効果となって広がるはずです。
それは世界的に見れば、ここ100年200年くらいの単位になってしまうかもしれませんが、でも、日本に関して言えば、
新しいサイクルを迎える前夜1
新しいサイクルを迎える前夜2
このサイクル、最後のひと山
などで触れたように、最も早い段階でこれを実現していくと思います。
実現されるからこそ、これらの記事で触れたようなことが次々に起きてくるし、もう起きている。
私はまったく悲観していません。
少なくとも私が生きている間に、その端緒は実感できるでしょう。
私の子らはそれを目撃できるでしょうし、孫の代になれば享受できるでしょう。
だから今自分にできることをするのです。
人間の意志は無力でも何でもない。
あ、最後になりますが。
人間が作られた理由ですが。
私は神様じゃないので知りません。(笑)
でも、たぶん、ないよりあったほうがよかったんじゃないですか?
PS
私たちの意識が大元の神の意識の一部なら、私たちが生きて体験するすべてが創造の理由です。実際には人間は造られていないとさえ言えます。
だから今自分にできることをするのです。 ぽちっとお願いいたします。(^人^)
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