― the field for the study of astrology and original novels ―
作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として
心の泉から溢れ出るものを書き綴っています
立春大吉とたかとのうどん
うわ~~~、めっちゃ、嬉しい。
もう一枚はアマビエの御朱印。
この「立春大吉」という文字は、左右対称の文字で、こういう御札を書いて玄関とかに入ってもいいとかいう情報もあり。
どうしようかと思ったのですが、御朱印帳にこの2枚を貼り、そのページを開いて、縁起物なんかと一緒に玄関の棚に置くことにしました。
なんか、吉っぽくなった気がするゾ。
今日は、奥さんと一緒に14日に行う法事のための買い物に行きました。
塔婆とか、お供えのフルーツやや菓子。
児島まで出かけ、寒い日だったので、ここは〝たかと〟の天ぷらうどんでしょう!
揚げたての天ぷらが、ホントに熱々。
つゆの出汁、醤油などの加減が実にいい。
身体があったまり、汗が出るほど。
宇宙スタディとインナーチャイルド
昨日はkira*kiraさんから、新しい天使クリームが届きました。
オンライン・サロン参加者募集中
・ホロスコープでちゃぶちゃぶ言うサークル
・タロットでちゃぶちゃぶ言うサークル
2つのオンラインサロンの扉を
バーン!と開きました
それぞれ月額999円
「ちゃぶちゃぶ」とは岡山弁で
ぺちゃくちゃみたいな意味
ホロスコープとタロットの輪の中で
ちゃぶちゃぶしましょう!
ゼファーの知識とテクニックなど
お役立ち情報満載です
各サロンの内容・詳細については
下記リンクでご参照くださいね
↓
〝ちゃぶちゃぶ〟が始まっています。
これが結構、楽しい♡
まだまだ反響・交流はこれからですが、こうした新しいことを始めるのは、やはりワクワクします。
オンラインサロンは、〝サークル〟という名称、形をあえて取っています。
ストーンサークルとか……
縄文集落の円形とか……
英語で「サークル」は円です。
日本では、この「サークル」を円と共に、同好の集まり、仲間内みたいな意味で使うことも多いのですが、英語圏ではこういうのは「クラブ」ということのほうが多いそうです。
このあたりにも、日本ならではの英語の内的変換がありそうです。
サークル、輪、円。
いいじゃないですか。
円関係での循環でこそ共有ができる。
そういう面白い試みを始めたところなので、メッセージ的にはこっちが強めかもと思っていたのですが。
ただ、宇宙スタディのほうでも、ちょっと発見があったのです。
このところ、インナーチャイルド的な話題もあり、また参加者の皆さんから家庭環境、家族関係のお話などもあり。
それで、いろいろ考えたのです。
自分のインナーチャイルド……
そう言えば、昔このブログにも書いたかも知れないのですが、子どもの頃の自分は、全然性格が違っていたのです。
些細なことで涙を流していた泣き虫の自分です。
あの子はどこへ行ったの?
と思い、しばらく自分の中をサーチしてみたのですが、まあ、スピ鈍も脱していませんし、そういうのは見つかりませんでした。
それで、いろいろ流れを考察してみると、ちょっとわかったかも思ったので、宇宙スタディ内で次のような、超・長文発信をしました。
私は毒親ではありませんでしたし、皆様からご報告いただいているような経験もないので、それぞれの方に「大変だったんだな~」とか思うくらいで、自分には何もないかと思っていたのですが。
ちょっとした気づきがあったので、長文の尻馬に乗ってみようかと。(笑)
ずっと昔、ブログにも書いた気がするのですが、私って小学校→中学校あたりで性格がまったく変わっているのです。
今回、とくにあぴぃさんのご報告を読んだ後かな、そういえば昔の自分て、すごく感受性が強くて泣き虫で、家の周囲にいた猫が子を産んで、親がそれを「捨てる」というだけで、もう涙が溢れて仕方ないような子どもでした(ひどい話ですよね。今のご時世に照らしたら。でも、当時は普通でした)。
この当時の自分というのは、小学校時代の自分で、とくに3つ上の兄が私に対して非常に支配的でした。こんな子ども同士の関係ですが、内容的に判断すれば、「ハラスメント」を受けていました。いつもいつも兄の顔色を伺っていて、一緒に楽しく遊んでくれた思い出もあるのですが、ちょっとでも機嫌を損ねると急転直下、全拒否!みたいになるので。
過疎の村で、遊び相手も兄くらいしかいない。つまり兄しかいない状況です。
そして、この兄と一緒に過疎の小学校に通っていたのですが、とくに4年生くらいまでか、いじめられていました。自宅から小学校が4㎞、1時間はかかります。
そのうち途中の集落の子どもたちの中に、いじめっ子が複数いまして。
彼らと合流して登下校の30分、かなりの確率で泣かされていました。
あるいは学校でも合間にも。
兄は、そういう私を見てかばうことはせず、むしろ薄ら笑いで見る、というような状況でした。
3才差ですから、私が4年に上がる頃に兄は卒業で中学へ。
この段階でいじめっ子勢力も、大半が卒業だったと思います。
その時に、浅ましくも、「今までいじめられていたけど、今度は自分が好きなようにできる」と子供心に思って、一度だけ、下の子へ圧力をかける行動をしたのです(どういう内容かは覚えていません)。
ところが、その一度で、私は当時の女性教員につるし上げられたのです。
「え? 自分がいじめられているときはあんなにいろいろされても、何もしてくれなかったのに?」と思ったわけです。
私は小学校の体育の授業で左肘を骨折したのですが、その時もその女性教員は、私が体育をしたくなくて嘘の痛みを訴えていると判断し、無理やり走り高跳びをさせました。
たぶん、このへんからだと思います。
その頃から人格的に変化が起き、今の性格へと繋がっています。
どういう変化かというと、自分の中に二人のパーソナリティがあるような感じで、自分が泣いたり笑ったり、周囲の大人にどう思われているかと考えているとか、そういう自分を「見ている」もう一人の自分がいるのです。
つまり自分の感情や考えを客観視しているのです。
そうすることで、生々しい悲しみとか痛みとか感じなくて済むように、おそらく退避行動を心理的に取ったものと思われます。
これらにはもう少し家族背景もあり、おそらく祖父の存在もあります。
私が熱を出して、小学校に迎えに来て欲しい、というような状況でも、「自分の時間が失われた! 迷惑だ!」と子どもの私にも伝えてくるような祖父で。(笑)
(なんとこの祖父が一番早くに亡くなりました。曾祖父母も一緒に暮らしていたのですが。たまたま50回忌です)
家の中で、一番顔色を伺っていたのは兄で、次は祖父でした。
まあ、そんな流れで、私は多重人格などには至っていませんけど、自分自身を客観視する「複眼」をいつの間にか持つ性格になって、どちらかというと、後から生まれた性格が主体的になりました。
この性格は、かなりクールで、滅多なことでは感情を乱しません。自分が感情的な行動を取ろうとすると、それを客観視しているので、「まあ待て待て」と制止をかけるのも容易になります。
自己抑制はスバルの最新モデルの自動ブレーキ並です。
この「複眼」は、小説家や執筆家としては役立ちましたので、かならずしも不要なものではなく、むしろそのために準備されたのかなと思っています。
(作家は創作時に、同時に読者の目を持っていないとまずい部分がある)
ただ、デメリットもあり、非常に長く、私は「生々しい感情」から切り離されて生きてきたのです。常に自分を見ているので。
生の感情で泣く、悲しむ、怒る……というような経験が少なくなるのです。
これもこの世に生まれた貴重な体験ですから。
ただよくしたもので、作家というのは創作活動を通じて、自分を癒すことができます。
(アウトプットだから)
このプロセスが終了したのは、たぶん2014~5年頃ではないかと思います。
それ以降、たわいものないことで、よく涙を流す人間になりました。
ただ、今回の宇宙スタディで、「あのときの子ども=インナーチャイルドはちゃんと回収・統合できているのだろうか?」と疑問も感じました。
それで、ちょっと自分の中をさまよってはみましたが、よくわからない。(笑)
スピ鈍なので。
もうちょっと探してみようと思います。
「あのときの子どもの自分」のことを思い起こし、意識できただけで、宇宙スタディに参加したご褒美をいただいた気がします。
超・長文、失礼
この発信の中にある祖父というのが、来週、50回忌を行う人で。
ただ、個人的には、自分の人格形成、複眼を持つに至った経緯に関わっているのは、たぶん、兄といじめっ子たちと当時の女性教員だったろうと今にして分析しています。
※ この女性教員は、かなりヒステリックな人で、いろいろ問題があったようです。私は狙い撃ちにされていたっぽい。
この発信の中で書いている骨折ですが、このときにもいじめっ子はまだ存在していていました。
兄の卒業後、いじめがなくなったわけではなく、正確にはこの兄の卒業後の骨折時にも登下校の行き帰りで、ギブスを付けている腕を小突かれたり。
いろいろされていました。
ただ、私の中で、もうとっくの昔に、こういう当時の上級生たちへの恨みとか怒りとか、そういうものはなくなっていました。
解消していた。
なぜそうなれたのか、大きな理由は2つ。
1つは、この自分の感情や考えを見る、もう一人の自分ができてきたからで、それ以前の子どもの自分は、
いっそ死んでやろうか。
誰にどうこうされたと書いて死のう。
死ぬことで復讐してやろう。
とか思っていたのです。(小学生です、一応)
でも、それくらい思い詰めていたのです。
これは、ちょっと、今の私からはびっくりでしょ?
でも、真剣にそう思い詰めていたという記憶は、おぼろにあるのです。
だから、私はいじめられた挙げ句に死を選ぶ子どもの心理は、すごくよくわかります。
でも、当時、死ぬとか勇気もなかったでしょうし、そうしなくて良かったと思っています。
なぜかというと、自分が死んで、一時波紋は立つでしょうが、いじめっ子たちもいずれそれを忘れたり、心理的に〝なかったこと〟にして、それぞれ普通の人生を生きていくのです。
何の復讐にもならないことの方が多い。
もう1つの解消の理由は、中学に上がった後、中2くらいから、私が小説のとりこになり、自分でも書き始めたことです。
創作活動。
とくに人間の心理や行動について描写することが多い小説は、自分の内部にあるものをアウトプットし、浄化させる効果があります。
私は別にドロドロしたものを書いていたわけではないのですが、ただ、処女作は「しょせん人間はどうしようもない」というような結末でした。
結末も破滅、破局的でした。
あれには、かなり大きな意味があったのかもしれません。
(高1のときのもので、たぶん毒出しだった)
そこから、少しずつ違ったものを書きたいと思うようになり、高2の時に書いたものが、その後の創作や人生にもかなり関係しています。
処女作を改訂したものですが、結末は「闇」ではなく「光」でした。
神話にも深く関係し、これが大元にあることで、2014年に上演したミュージカル〝ヤオヨロズ〟に結びつきました。
このヤオヨロズは、このブログでノベライズし、無償発信しました。
このヤオヨロズの台本と小説の執筆がもたらしたものが、すごく大きく、この頃から、なぜか、たわいものないこと涙することができる人間になりました。
つまり、感受性の強い子どもだった自分が、複眼を持つ自分と統合されたのかも知れない、と思います。
もっとも、私のことだから、インナーチャイルドをいつの間にか受け入れた気になっているだけで、いまだにどこかに置き去りにしている可能性はあります。(笑)
うかつな野郎なので。(笑)
というわけで、長文ブログ、おしまいです。
あ、お子さんがいじめられているとか、今いじめやハラスメントに遭っているという方の一助というか、違った見方になれば良いなと思います。
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