奥さんと一緒に、「天空の蜂」を観てきました。
ほかの映画の予告編で知った時から、「おお~、これは絶対観なくては」と思っておりました。
私は以前から、東野圭吾さんについて以下のようなことを申し上げてきました。
江戸川乱歩
横溝正史
松本清張
時代が変わっても、その作品群が、読まれ続ける、映画やドラマに作り直され続ける作家がいます。
東野圭吾さんは、きっとそうなる方だと。
つまり歴史的な大家になるということ。
つまり歴史的な大家になるということ。
近年の「ガリレオ・シリーズ」のブレイクのずっと前から、私が公言してきたことです。
理由は様々ですし、上記の過去の偉大な先輩方とも違った特色もあるのですが、その特色あってこそ、そしてその特色だけにとどまらない力量と、充実した物語を送り出し続けている実績。
たんに人気があればいいとか売れればいいとか、そんなものとも違った、
「この人の作品は時代によって風化されないだろう」
と感じるものが、東野作品の多くにはあるのです。
「天空の蜂」も文庫が刊行された当時、1998年あたりですぐに私は読んでいるのですが。
そうした感慨を深めた作品です。
その実写映画版。
いや~、堪能しました。
物語の始まりから終わりまで、どっぷり引き込まれました。
そして原作の持っていたテーマも見事に再現され、映像的に表現されていた。
素晴らしい。
この原発問題を題材にした作品は、当時は映像化は難しいだろうなとは思っていたのですが、今に至ってようやく、技術的にも、そして社会的にも、これを送り出せる(受け入れられる)環境が整ったことを、改めて感じさせてくれます。
私たちは原発からの電力を使ってきました。
福島以後の日本では原発停止状態が長く続きましたが、それ以前は無自覚に使ってきていました。
原発がもたらす功罪。
最大の問題は、日本人全体としての群衆が、この問題に無自覚で物言わぬこと――。
こうしたテーマが、ハードカバー刊行が1995年ですから、3.11と福島原発事故が起きるはるか前に提示されていることに、東野さんの才気の冴えを感じます。
むろん心ある人たちの論議はなされていました。
しかし、全体としてはどうだったか。
原発を稼働させることにものすごく神経質になっているのは、福島事故以後の話。
原作の最後のほうには、意味深な一言があるのですが、その一言は福島事故のことを想起すると、恐ろしい予言的なリアルさをもって胸に迫ってきます。
どうぞ、原作もお読みくださいね。
私は過去のブログもこのブログもそうですが、占星術研究家として客観的に発信することが多く、世の中の事象については「ああすべき」「こうすべき」とかいう論調はできるだけ避けるようにしてきました。
しかし、ここではっきり申し上げると、原発は廃止すべきだと思っています。
いろいろとご意見はあろうかと思いますが、私の考える大きな根拠は三つあります。
・使用済みの核燃料を処理できない、その場所が日本にないこと。
・弾道ミサイルやテロに対しての配慮がなされていないこと。
最初の件だけでも非常に大きな理由ですが、二番目はもっと怖い。
震災以後、日本の原発は安全基準を改定しましたが、地震などの自然災害がメインです。
しかし、テロリストの攻撃もそうですが、もし近隣に有事が発生し、日本がどこかの国にとって攻撃対象にならないとは、もはや言えない雰囲気が漂っています。
いや、そんな場所を攻撃することはあり得ない、というご意見もあろうかと思いますが、理非曲直がわきまえられている国や相手ならというお話で、道理が通らない出来事が世界では起き続けています。
三つめは、日本はおそらく原発に頼らなくても燃料を確保でき、しかも経済や財政も立て直すことができます。
だから、原発は不要であるという意味です。
(よく言われる自然エネルギーのことではありません)
原発を稼働させないと経済に影響が出るという問題は、たぶん10年程度の視野で考えたら解決できるはずなのです。
そしてそのほうが、日本はたぶん豊かになれる。
この部分については、また改めて稿を起こしたいと思います。
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