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2021年11月7日日曜日

なぜ人は喜びから離れるのか 2

〝喜び〟ある人生を生きる。

誰でもそのように生きたい。

 

ところが、ままならないことがあります。

というのは、〝喜び〟は自分の願いと表裏であることが多い。

要するに自分が願っていること、望んでいることがかなった状態になることが、喜びある人生ということになります。

 

逆に言うと、願いや望みが叶わないと、喜びがない、という状態に留まる可能性があります。

 

何当たり前のこと言ってんだ、と思われそうですが。

この〝当たり前すぎること〟をはっきり認識することが大事です。

 

なぜ自分が喜びから遠ざかっているように感じるのか。

喜び溢れる人生を生きている実感がないのか。

 

そのほとんどは、願いが叶わないという状況のために生まれています。

 

たとえば、アスリートとして一流になりたい、頂点を極めたいという願いを持って取り組んできて、しかし、いろいろと故障とか怪我とか、何らかの事情で月日を要し、気づいたらもうアスリートの頂点で競える年齢でなくなってしまうこともあります。

 

残酷ですよね。

こういった活動は、肉体年齢が非常にものをいうので、いかに努力と研鑽を積んでも、ある年齢を超えると、もう頂点は望めないという現実があります。

 

このアスリートの話は、極端に思える事例でしょうか?

たしかにトップアスリートを目指す人というのは、全人口の中できわめて少ない。

が、これは程度の問題でしかありません。

人はそれぞれの立場、環境の中から、自分の望みを実現しようとします。

 

それは、たんに温かい家庭を持ちたいという場合もあるでしょう。

トップまでは行かなくても、社会的に大きな業績を上げたいとか。

特定の職業に就きたい(医者になりたい、弁護士になりたい、アナウンサーになりたい、科学者になりたい、作家になりたい……無数)。

人は、それぞれの環境の中で、自分の個性の中で、なんらかの望みを抱きます。

 

それが、世間的な観点で大きな望みもあれば、ささやかに見える望みもある。

でもね、大きな望みもささやかな望みも、じつは、人の魂にとっては、大きいもささやかもない。

ささやかな望みが叶わない場合、とても悲劇的になります。

「こんな自分の、当たり前なささやかな望みも叶わないなんて! 自分は不幸だ!」となります。

 

たとえば社長になるとか、プロの作家になるとか、その人にとってビッグな望みが叶わなかった場合、当人には逃げ道がそこそこあります。

「いや、そもそも願いが大きすぎたんだ。自分がそこまでいける環境に恵まれなかった」とか、「この時期に邪魔する出来事が多かったから、達成できなかった」「成功には時の運も人の縁も、才能も必要。才能はあったけど、他が揃わなかった」とか。

これは、現実にそうかも知れませんし、客観的な事実かも知れません。

 

でもね。

こういう望みが、現世的に大きいかささやかか、なんていうのは、人のエゴの評価であって、魂にとってはすべての現世的な望みは、〝等価〟です。

大きな望みかささやかな望みかなど、魂にとっては無関係。

 

人はこの地上に、それぞれの目的を持って生まれてきます。

人がこの世に生まれる究極の目的は、〝感情〟を味わうためです。

もちろん、何らかの体験を積むということがあるのですが、なぜいろいろな体験を積むかというと、それぞれの状況や立場の中でしか味わえない〝感情〟があるからです。

 

その〝感情〟の中には、挫折感や絶望、失望、悲哀といった、負の感情もあります。

その〝感情〟の中には、達成感や希望、歓喜といった、正の感情もあります。

 

私たちはそれぞれの魂の段階で、それぞれにその時に必要とする〝感情〟を体験するために来ている。

この比率がどうかという判断はしにくいですが、ホロスコープの基本的な原則から判断すると、やはり負の感情を体験する経験のほうが多いはずです。

 

これは生まれ変わりの科学的な研究でも報告されていますが、現世は思い通りにならない世界で、そこへあえて思い通りにならない体験をするために、魂は生まれてくる。

とすれば、負の感情を体験しやすいのは当然ということになります。

 

それが、どこのスポットに当たっているか、というだけ。

 

つまり現世的に大きな望みか、ささやかな望みか、あるいはその中間どころか

……という無限の段階での様々な望みがあるわけですが、叶わない場合に抱く失望とか辛さとか、本当は〝感情〟が魂が求めているものなので、現世的な価値観での判断は意味を成しません。

 

大きな望みが叶わずにガッカリするのも、

ささやかな望みが叶わずにガッカリするのも、

魂にとっては、そのガッカリ度が同じなら〝等価〟です。

 

そして、魂はどうやらガッカリのほうの〝感情〟をそもそも求めやすい。

 

「えー?! そんなんなら、生まれたくないわ!」

「そうと知っていたら生まれんかったわ!」

 

ご意見ごもっとも。

まあ、魂は知っているんですけど……。(笑)

 

知らないのは、この物質世界に生まれた私たちの小さなエゴだけで。

 

でも、このようにお伝えしてくると。

望みを叶える型の〝喜び〟のほうが少ないことは、ご理解いただけるのではないでしょうか。

 

でもね。

この望みを叶える型の〝喜び〟って、じつは、

 

とてもはかない!

側面も強いのです。

 

なぜ、現世的な喜びですから、

・トップアスリートとして成功しても、それは長くは持続できない

・社長になれたけど、裕福になったことで、当たり前の価値観を失う

・医者になるとか作家になるとか、特定の目標は達成した瞬間に終わっている

とか、ある望みを叶えることには、常にマイナス面が表裏で存在しています。

 

これらは、非常に物質的な〝喜び〟に近く、そのために刹那的な側面が常にあるのです。

 

どれも達成しても、その場限りで、次の設定をしないといけない喜びで、それを常に体感しようとするなら、〝喜びを得るための自転車操業〟みたいな状態にもなります。

これは、逆に、いずれキツくなります。

 

じつは、もっともハードルが高い望みというのが、現世的にはささやかに思えるものであり、それは

・愛する人との永続的な関係

です。夫婦とか家族とか、仲間とか。

 

温かい家庭を築く、とかいうのは、世間的にもっとも小さな望みの一つに思えるかもしれませんが。

じつは、刹那的な望みではないので、これは達成のハードルが高い。

 

この望みを実現できている人、家族などはたくさんいるように思えます。

実際、かなり増えた?とも思えます(私の実感です)。

 

が、魂の計画で求められる〝感情〟の多くは、対人関係の中から発生し、対人関係はホロスコープでは7ハウスであり、これは結婚の部屋でもある。

結果的に、結婚相手とか、パートナーが一番の学びの対象となりやすいわけで、そこはすんなりうまく行く、というケースのほうが、絶対数としては少なくなります。

 

つまり。

ささかやに温かい家庭や夫婦関係を築きたい

という願いが、じつはなかなかにハードルの高いものだったりします。

 

逆に言えば、すごく叶いにくいものの代表格なのです。

 

このようなことをお伝えするのは、「ささやかな私の願いがなぜ叶わないのか」と悲嘆するケースもあるので、そこをこじ開けて次の記事を読んでいただきたいからです。

 

次回、できたら、誰もが喜びにいたる、ということで書きたいと思います。

 

 

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