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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2021年11月8日月曜日

なぜ人は喜びから離れるのか 3

誰もが〝喜び〟ある人生を生きられる。

 

たとえば、貧困と飢餓、疫病と戦争といった極端な事象が支配している国や土地では、それを実現する間もなく、この世での生命を絶たれてしまう場合もあるでしょう。

きわめて残念なことですが。

 

喜びある人生を生きられる、というのは、私たち日本人や、私たちが理解しやすい環境での話であるということはご理解ください。

(他が不可能というわけではなく、今は私たちがわかりやすい話をしていると思ってください)

 

前記事でお伝えしたように、大それた望みであろうとささやかな望みでろうと、実はそれが〝叶う〟ということにはそれぞれ難しい側面があり、はかない可能性もある。

 

トップアスリートになりたかったが、故障や経済や環境が整わずになれなかった場合でも、

トップアスリートになりたくて、それが実現したが、やがては老いるという場合でも、

どちらにしても、〝トップアスリートである自分〟ということに執着したとき、人は不幸になりやすい。

多くの場合ですが、そこそこ気持ちの整理をして、別な道を選ぶ。

 

たとえば同じ競技の世界で、後進を育てるとか。

あるいは、それを広く世に知らしめるとか。

あるいは、まったく違った世界、業界で何事かを為そうとするかもしれません。

 

どれでもいいのです。

結果は、それぞれでいいし、〝形〟としては違いません。

 

が、どのような心持ちでそれを為されているか、で、

喜びある人生か、

不幸とか屈辱的とか、そんなネガティブな人生か、

の違いが出てきます。

 

つまり、それは意識の持ち方の違いです。

納得してそれをやる、との、不本意ながらこれをやる、のとでは、天と地ほどの差があります。

前者は喜びと共に生きられる。

後者はどこかにネガな感情を抱きながらになる。

 

トップアスリートに一度はなって、その後は後進の指導に当たるほうが、納得はしやすいはずです。もう自分は十分にやった、だから……と。

でも、そこに届かないままに後進の指導に当たる場合、どこかに

「トップに届かなかったから、この程度の仕事しかできない」と自分で思う。

あるいは、周囲からそのように思われてしまうのではないかとか、自分が気にする。

といった心理的な葛藤が生じ、これが人を喜びから遠ざけます。

 

もう言うまでもないと思いますが、

このような葛藤は、トップアスリートのケースでなくても無限に発生します。

ただささやかでもいい、温かい家庭を持ちたかった、という望みが叶わなかった場合、ほかのことにに喜びを置き換えようとしても、代替できるものがあまりないように感じられるのです。

 

ホロスコープを詳細に見ると、こういったケースでの代替案は提起できる可能性は高い。

その代替案は、その人のチャート次第なので、一概に言えませんが、最初望んでいたような〝血族〟での関係ではなく、霊的なつながりや精神的なつながりを結んでいくことや、自分自身が次の世代を育てることをすれば、このむなしさは解消されることが多い。

 

しかし、自分の領域だけに留まれば、この代替は実現しにくい。

代替、という言葉がそもそもあまり印象として良くなく、「最良のものではないが、それをごまかすためのもの」みたいに受け取られやすい。

だから、私はよく解説では、〝置き換え〟と言っています。

この代替、置き換えというのは、ごまかすためのものじゃないんです。

 

じつは置き換えられたもののほうが、真の輝きを放つことがとても多い。

というのは、人の人生というのは、正負の法則があり、苦しい出来事の後には喜びが収穫がある。逆もある。

これは法則的に存在します。

その周期がどれくらいになるか?

 

つまり、新しい生産とか収穫にどのタイミングに至れるか?

 

この周期が人にはあります。

 

私のことをお話しますと。

じつは、私は1999年とか2000年あたりで、今の自分の生産と収穫に入ることができたはずでした。

この時、私は進行の太陽が出生の月にトラインという、希有な時期に入っていました。

 

普通は、ここで発展する、幸運な流れが生じる、はずだったのです。

しかし、私はこの時期、今現在の自分ではなく、過去の自分の〝望み〟にしがみついたのです。

ぶっちゃけた言い方をすると、商業作家として中央の出版界に受け入れられなくなってしまうという事態が、その何年か前にあり、何とかしようとあがき続けていた時期でした。

 

さらにぶっちゃけると、

実は、私は商業作家であり続けることに、その頃から違和感のようなものは感じていました。

つまり、本当は「もう違う道だよ」ということが明示されていたのに、こだわった。過去に。

これは「商業作家でありたい」という望みよりも、すでに家族がいましたので、「家族を支えるためにそうであったほうがいいのでは」とかいう思考でした。

 

そうそう!

何よりも過去に受賞した賞の重みというのがあり、そうあるべきではないのか、という一種の呪縛状態でした。

 

だから、縛られていたのです。

 

この自分自身のこだわりをさっさと捨てていれば、この世紀の変わり目あたりで、私は新しい道を選択できていたかも知れないのですが、

 

いやー、まあ、

人の意識、意志というものは、簡単に変わらない。

 

私の場合、結果的にそのサイクルは12年遅れでやってきました。

それは良いのです。

 

つまり2012年。

長いわー。

 

これ、もし当時の自分に話しかけられるのであれば、

「ええ? もうこだわるのやめたほうが良いよ」

「それ(作家)、ダメだから。自分自身の力ではもう解決しないところまで来てるから」

と、言ったと思うのです。

 

まあ、こういう12年の遅れというのも、私にとっては何か意味はあったはず。

その後、2006年前後の展開は、新しい選択をしていたら、そこで何かあった可能性もあるので、2012年前後の選択というのが、自分にとっては決定的なもので、その時のほうが良かったのだろうと思っています。

 

が、太陽と月がトラインになるというの、希有な3年間。

ここで、商業作家としては何も収穫がなかった。

(じつは、メジャーな世界ではないが、別な作家としての収穫はあったが、これは結果的に今の生き方につながっているという……)

 

つまり、これって、過去の自分に執着していたからです!

こうありたい、こうなっていたらよかった、という自分です。

 

でも、実は次につながる重大なメッセージは、世紀末にあった。

 

でも、その時の自分は気づけなかったので、「え? 法則的には最高の時なのに、なんで?」と思ったのです。

それは、すでに叩くドアが違っていたから。

 

今に至るドアを、素直に叩けば、〝近道〟ができたかも?

 

でも、その当時の自分にはできなかったし、考えにもなかった。

 

それは、つまり、こだわりとか執着を捨てられなかったから。

 

誤解のないように申し上げておきたいのですが。

商業作家として、私は一時期、ある頂点と取ったと世間的な評価では認識されています。

一瞬ですけど。

それはトップアスリートに一度はなった、そして、その後、後進の指導に当たる人生になった、ということだな? と思われそうなのですが、

 

違います。

 

同じ業界で、後進の指導に当たっているわけではないからです。

つまり占星術研究家としての人生は、作家としての過去を〝捨てる〟ということを選択しなければならなかった。

延長ではできない。

 

スポーツの世界で生きてきた人が、今度は会社員として、何らかのお店の経営者として、とか、まったく違うジャンルで人生を再構築しなければならなかった事例と同じとお考えください。

 

私の場合、作家としての資産など、まったく残っていなかったので、経済的にもゼロからのやり直しです。

 

そうして今に至り、私は日々、皆様の鑑定や研究で過ごしているのですが。

この日々には〝喜び〟があります。

自分なりの。

他人がどう評価しようが。

 

でも、もし、自分が過去の自分の在り方にこだわり、執着していたなら、今の自分は不幸であり、喜びはない。

 

そういうことです。

 

つまり、喜びある人生を生きるためには、少なくとも過去の望みが叶う叶わないにかかわらず、それを捨ててしまうこと。

 

今を生きること。

 

それに尽きます。

どんな大きな望みであれば、ささやかな望みであれ。

それを常に捨て去っていくこと。

 

実現できたものへは感謝だけでいい。

でも、そこに留まろうとしないこと。

過去はもう、あなたのものではない。

 

過去のあなたが持っていたものに過ぎない。

 

実現できなかった過去も同様。

最良と思えるときですら、実現できないことはある。

おそらく、それは、自分のエゴの針の向きが、大きな流れに合致していないから。

 

私ももっとここへ、早く合流できれば良かった。

 

でも、早い時期ではなくて良かったとも思う。

人生はとても複雑。

単純な、万人に適応できる法則はない。

 

どなたも今を生きること。

過去にしがみつかないこと。

自分の望みにこだわりすぎないこと。

 

寄り道。

回り道。

トンネル(短絡路)。

 

どれもあり。

なんですが、喜びある人生に早くにたどり着くためには、

執着とかこだわり

これをさっさと手放すことです。

今を生きることです。

 

どう望んでいたか、どういう過去だったか、ということを捨て去ること。

 

そのときに、かならず、

新しい喜びが見えてくる。

 

 

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