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「皇子様!」
愕然として、弟彦が叫んだ。
前方に船団が見えた。小舟ばかりで、あきらかにヒエダたちの仲間に思えた。
西の穴戸から彼らは舟を漕ぎ出してくる。
そして背後には、ヒエダたちが食い下がっている。
「もう少しで振り切れるのに……」
弟彦が歯噛みした。
狼煙の連絡だ、とオウスは思った。瀬戸内沿岸部には、過去の大乱期以来、狼煙台が整備されている。この時代、スピーディに情報を伝達するには、狼煙は最良の手段だった。
穴海に控えていた者たちにも、侵入者の警告が伝達されたのだった。
前方にも出現した敵に、大和の兵たちも一挙に不安が広がった。漕ぎ手の力にも躊躇が出る。
それを見て、オウスは叫んだ。
「手を緩めるな! 船速は出ている! 一気に突き破るのだ!」
皇子の活が、兵たちの顔を引き締めさせた。
おお! と声が返ってくる。
当時の吉備(岡山)
児島は本州から離れた島であり、間には穴海が広がっていた。
ほかの二隻にも指示が伝えられ、オウスの船団はむしろ速度を上げ、正面から新たな小舟の群れへ突っ込んでいった。
小舟に接触、相手の船が横転する。
降り注いでくる矢。
オウスでさえ、その数を防ぎきれなかった。
しかし、彼らはオウスらの船には接近してこなかった。距離をとり続けている。
何かおかしい、と感じたそのときだった。
びゅうん! という唸りをあげ、大きな矢が次々に飛来し始めた。
近接した小島の高台からそれは射出されていた。
弩(おおゆみ)であった。それは通常の弓とは異なり、長大な距離を飛来して、やがて正確さを増してきた。
オウスらの船団は、知らず、その敵が潜む小島へ誘導されていたのだ。
弩から放たれた矢が、左舷の漕ぎ手二名に必中し、一人は首を貫かれ一瞬で命を落とした。
左の櫂二本が沈黙した。そのため船は左へカーブし始めた。
「まずいぞ!」
弟彦が叫ぶ。
穴戸は狭かった。のちの時代には地続きとなり小山となっていく島々がひしめいており、その間には極めて限定された水路しか存在していなかった。
木材が悲鳴を上げる異音がして、オウスの船は岩礁に乗り上げていた。
イチフカヤが悲鳴を上げ、転がる。
オウスは彼女を抱きとめ、そして唸った。
船は無論、止まっていた。後続の二隻も、弩の攻撃に遭い、失速しつつあった。同じように岩礁へ流されてくる。弩の射程からは外れたようで、小舟の軍勢が集まってきている。
オウスは絶望的な状況であることを認識した。
穴戸の賊など、取るに足らぬ勢力であると、侮っていたのだ。
しかし、敵は近海の潮の流れも熟知し、海での戦いに長けていた。
オウスは立ち往生する船の上に立ち、岩礁を見下ろした。
それはすぐ近くの豆粒のような小島にもつながっているように思えた。そこへ向かって、波間に岩が透けて見える。
「あの島へ移れ!」
オウスは叫び、自ら先に飛び降りた。
「イチフカヤ! 来い!」
彼女は一瞬迷ったが、敵が近づいてくるのを見て、目を閉じて船から飛び降りた。
オウスはそれを岩礁の上で受けたが、さすがに彼のまだ華奢な体では抱き留めきれず、二人は岩場の上で海水に濡れた。
次々に兵が飛び降り、オウスに続いて岩場を飛び渡った。
そうするうちにも敵は小舟で群がってくる。数では完全に圧倒されていた。
――ここまでか。
豆粒のような小島には、かろうじて植物が繁茂していた。茂みの中へ飛び込んでいったものの、オウスはそのときには死を覚悟していた。
同じ船から島にたどり着いたのは、もはや十人にも満たなかった。
弟彦もすでに矢が尽きていた。
「あ、あれは……」
オウスのそばで、イチフカヤが目を見張り、指さした。
穴戸の北から別な船団が迫ってきていた。
大和のものと同じ構造船であった。
「あれはもしや……」
弟彦の声音に震えるような希望があった。
「吉備の……」
まさしくそれは、友邦・吉備の船団であった。
その先頭を切ってくる船に、吉備武彦(きびのたけひこ)が仁王立ちになっていた。
そして、その隣に白い衣装を身にまとった少女がいた。
「武媛……あれがそうなのか」
武彦は少女に問いかけた。
「はい、お父様……」
答えた少女は、オウスと変わらぬ年ごろだった。
その毅然とした眼は海上で繰り広げられる戦乱を見据え、さらにその奥にあるものを見通しているようだった。
「まったく困ったやつじゃ。こんな場にまで……」
「でも、わたしの申しましたとおりに現れたでしょう」
「隠れておれ」
武彦の言葉に、少女は船の下の方へ降り、木の盾の間に身を潜めた。
「かかれ!」
武彦の号令と共に、吉備の船団は穴戸の賊たちに急襲をかけた。
すでにオウスらとの戦いに戦力を消耗しつつあったヒエダらは大いにひるんだ。吉備の船団とは幾度も小競り合いを繰り広げてきており、その実力も熟知していた。
「退くぞ!」
早い段階でヒエダは戦況に見切りをつけ、部下たちをその場から離れさせた。
武彦にしてみれば、そのような成り行きになるであろうことも、日ごろの経験からわかっていた。
ヒエダらがいかにこの海で戦い慣れしているとはいえ、同じ海での練度の高い吉備の兵力と、真っ向から戦うのは無謀だったからだ。
オウスはヒエダらの船団が離れ行くのを見、命を救われたと実感した。
そしてゆっくりと近づいてくる吉備の船を仰いだ。
その船首に、あの少女が現れていた。
彼女はオウスのことを、じっと見つめていた。
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