近頃、私は自分のやっている占術を、「西洋占星術」とは言わないようにしています。
わかりやすかったので、昔はそういう表現をとっていたのですが、そもそも占星術のルーツはバビロニアにあり、これはアジアです。
つまりもともとは西洋のものではない。
古代バビロニアにおいて、さかんに天体観測が行われるようになり、その星の動きと国や人の命運が結びつけられるようになった。
バビロニアではBC二千年ごろには、そのような発想が生まれ、それはやがて東洋と西洋に分岐していきました。
ヨーロッパにはBC三世紀ごろにギリシャに伝えられ、その後、17世紀のヨハネス・ケプラー(天文学者として知られているが占星術師でもあった)やアラン・レオら19世紀以降の非常に大きな成果を上げた研究家たちによって、占星術は非常に高度な発展を遂げてきました。
これは当然ですが、観測技術の進歩と共に、より正確な解読ができるようになったことと関係があります。
ノストラダムスなども、じつは中世の占星術師の一人で、数々の予言を的中させたことで知られる人物なのですが、その当時のホロスコープは結構星の配置もいい加減だったりします。
(ノストラダムスの予知能力にとっては、占星術などは補足的なものでしかなかっただろうと思っています)
歴史をたどると明白で、様々な技法や新しい解釈、また発見され続ける星々の参入によって、占星術は現在の高度な学問体系を形成してきました。
(学問として認めないというご意見が、世の中の常識だというのも承知しております)
しかし、この根は古代バビロニアにある。
天で生じることは地でも生じる
この古代バビロニアの叡智が、すべての大元です。
これはどこから来たのか?
かの地に最も古く誕生した文明はシュメールです。
シュメールはバビロニアやペルシャ帝国に併合され、その歴史から消滅していきます。
しかし、その発祥時からすでに高度な文明を持っていたとされ、謎の多い民と文明です。
言語も近隣のセム語族との関連をあまり持たない孤立言語だと言われます。
彼らはどこから来たのか?
ちなみに言語上は、日本語とシュメール語は同じ膠着語の分類になるそうです。
そして日本各地で発見されるペトログラフ(先史時代からある岩石に刻まれた文字や文様)の中には、シュメールとの関連性が深いものも数多くあります。
日本には漢字渡来以前には文字がなかったというのが学界の定説なのですが、発見される数多くのペトログラフはその定説についても再考を促すように思えます。
おっと。
少し話がそれましたが。
理性的に考えれば、占星術は観測と研究のたまものです。
しかし。
何かそれだけでは割り切れないものが残るような気がします。
時折なのですが、この技術や知識が、すでにどこかに完成されてあったような感覚を覚えることがあるのです。
これは頭ではナンセンスに思えます。
すでに高度に完成されて存在していたが、歴史が下るほどにその叡智は失われたのではないか。
それがようやくここへ来て回復しつつある……
誇大妄想とお笑いください。
それを証明するものは何もないのですから。