そうかと思えば、鉄鋼国内最大手の新日鉄住金が日新製鋼(国内4位)を買収するというニュースが。
これは火星業界再編の動きで、昨年の内には既に種が植え付けられていたものです。
(自動車も鉄鋼業も火星です)
といっても。
自動車業界のことを多少知っている人には周知の事実ですが、すでに私の頭の中にはダイハツがトヨタの傘下にあるようなイメジージが出来上がっていました。
厳密にいうと、これまではトヨタはダイハツの株の過半数を所得して、連結決算上は子会社という経理上というのか、制度上というのか、そういう子会社だったのが、今回はダイハツ株の上場をやめてしまい、すべてのダイハツ株をトヨタが所有する……ということらしい。
(この理解でいいかなっ? (;´・ω・) ←商科大学卒のわりに経済に疎い愚か者)
なるほど、素人が考えても、これはカンペキな子会社ですね。
なるほど、素人が考えても、これはカンペキな子会社ですね。
ダイハツって、好きなメーカーなんですよ。
じつは、私が最初に自己所有したのは、ダイハツのシャレードでした!!
これはもともと中古車で、確か親戚から譲り受けた車だったはずなんですが、大学を卒業したのち、ぐにぐにした後(ぐにぐにって何?)
ようやく独り立ちした時に、両親から与えられたものでした。
大学時代からぼちぼち私の足となってくれていました。
大学時代、私の足は99%バイクでした。
いや~、熱い時代でしたよ。
でも、学生時代、ボンビーで、小説家になる足掛かりを得たときに、新幹線など使えず、あれこれ考え、その当時の友人と一緒に東京へ二人で車で行く、という暴挙に出ました。
ま、今の感覚では暴挙でもないんですが、当時はまだろくに高速道路も走ったことがない奴だったし、東京という都会もすべてが初めてに近かった!!
もちろんナビなんて便利な機会はありませんから、すべては地図と道路標識が頼り。
このとき使ったのがシャレードでした。
親父は気を使ってくれたのでしょう。
事前に整備してもらったようです。
シャレード。
その名をダイハツの歴史に刻む車ですね。
ダイハツで初めてFFを採用し、軽量でそのクラスとしては秀でた動力性能や燃費性能をもった車だったのです(FF=フロント・エンジン、フロント駆動)。
今の車の大半はFFです。前のボンネット下にエンジンがあり、そのエンジンの近いところにある前輪を駆動させる。
その当時、大半の車は後輪駆動だったのですが、FFのマイナス面を各メーカーは努力で改善させ、今ではこれが主流です。
このほうがメカを集中させられるので、社内が広く使えるのですね。
この私が乗っていた初代シャレード。
3気筒の1000ccエンジンでした。
結構、元気な走りをしてくれるのですが、東京からの帰路。
トラブルに見舞われました。
ある程度、エンジンを回しているとよいのですが、回転が落ちると、ガクガク ノッキングのような現象を起こし始めた。
こりゃあ、まずいと思ったのですが、すでに中国道を走っているあたりだったかと思います。
(その当時、山陽自動車道はありません)
だましだまし走り続け、何とか奇跡的に岡山に戻りました。
3気筒エンジンの内、真ん中の気筒が燃焼しなくなっていたのですね。
これはつまり冷却しにくい真ん中のシリンダーがだめになっちゃったということです。
昔の車らしいトラブルです。
3気筒というのは、当時、非常に珍しいエンジンだったのですが、ダイハツは小型化、効率的な1気筒あたりの排気量として、これを採用していたらしいです。
非常に意欲的なモデルだったのです。
緑色の、雨蛙カラーのかわいいやつでした。
トヨタの完全子会社になっても、これからもコンパクトでいい車を作ってほしいと願いつつ、ついあの昔の愛車を思い出してしまいました。