いうまでもなく、過疎→限界集落などの問題です。
なぜこうなってしまったのか?
ま、言うまでもないですが、東京一極集中と国家体制そのものに問題があるわけです。
とはいえ、実はこれ、現代に限った話ではないんですね!
縄文遺跡の発掘研究などからもご報告があるのですが、ある大きな町が形成されると、周辺の小さな集落は消滅傾向をたどり、やはりその大きな町に人口が集中する傾向が、古代からあるようです。
利便性もそうですし、安心感というのもあるでしょう。
人間の行動は古代も今も、「食べて行けるかどうか」ということに大きく左右されます。
東京などの都市に人口が集中するのは、そこだと経済活動が成立しやすいからですよね。
当たり前の話。
若い世代が残らない集落は、必然的に経済もしぼんでいきますし、年寄りが鬼籍に入るたびに、そこで守られてきた信仰なども消えていく定めにあると言えるでしょう。
しかし、高度成長期ならいざ知らず、現代。
東京に出たからと言って、裕福になれるのかと言ったら、やはりそうでもない。
(もちろん一部の成功なさっている方はともかくとしてのお話)
高い家賃や通勤にかかる費用や時間のことを考えたら、地方で企業に就職して働いていても、そう変わらないという現実もあったりします。
それでも都会がいいというのは、可能性を見たいからだと思うのです。
ここにいることではあり得ないと思われる、違った人生の可能性。
あるいは、より大きな人生の可能性。
その選択肢は、当然ですが、都会に多くあります。
それはそれでよいので、個人個人の判断の問題。
しかし、国という大きな国民全体の入れ物として考えたら、少しこうなったらいいなというのはあります。
それはまず、二極化です。
私は遷都したほうがいいと考えています。
ただし、東京という巨大な経済圏を放棄して、国の中心が政治も経済も丸ごとどこかへ遷るという話ではなく、最初は政治の中心だけ動かすので良いのではないかと思っています。
たとえばアメリカがワシントンが首都で、経済の中心がニューヨークというような現実があり、オーストラリアもキャンベラが首都ですが、最大の都市がシドニーです。
このような二極が、国内にあっていいという考えです。
むしろそのほうが健全ですし、安全です。
なぜかというと、この災害の多い日本という国土において、政治も経済も要となるものを何もかも東京に集めておくのは好ましくない。
その一部がダウンするような事態が発生しても、片方が十分に機能していればダメージは少ない。
日本はそのようになっていたほうがいいのではないか。
また少なくとも中心的に機能する都市が二つあれば、その周辺地域への経済的な波及効果も当然あります。
むろん今でも関東と関西があるではないかとか、そういうご意見もあろうかと思いますが、今までの歴史的な流れの中でぼやっと発生している経済圏ではなく、未来を構築するために意図的に行うのであれば、この波及効果はこれまでとは格段に違うはずです。
江戸期以降の関東が、非常に大きな発展を遂げ、日本の中心であり続けた意味は大きい。
しかし、たとえば天皇陛下も今東京にいらっしゃいますが、京都の人に言わせると、「天皇陛下は東京に行幸されているだけで、本当の皇居は京都なのだ」というようないきさつになっていることにも、私は何らかの大きな歴史的な意味があると思っています。
経済と政治、経済と文化の二極があってもいい。
それを明確なビジョンをもって作る。
歴史的に見て、東京以外のもう一極は、関西、やはり京都かなという気がします。
風水的な効力も、京都にはあります。
そのように、もし政治的な機能は京都(あるいは関西)に遷った時に、これまでと同じように敦賀湾あたりの原発を平然と稼働させられるか…というようなことも興味深いところです。
長い目で見たとき、クリーンエネルギーへシフトしていくための布石ともなるやもしれません。
このエネルギー問題については、過去、記事にもしました。
→日本経済を立て直すためには
政治機能が関西に遷れば、東京の比重が必然的に下がります。
が、これは全体で見たときにバランスをよくすると考えています。
一極集中の度合いが下がれば、それぞれの地域が持つ価値も相対的には上がる……
ちょうど今、政府は中央省庁の地方への移転を推進しようとしています。
文化庁が京都、消費者庁が徳島……とか、そんなプランだそうです。
当然、これは各省庁からはものすごい反撥があるようです。
国会対応とか、緊急時の対応がそれでできるのか、といったご意見ですね。
こういったことがプランとして出てきたのは、このまま放置しておくと、2040年までに約半数もの自治体が消滅可能性都市になる、という極めてリアルな分析が上がってきているからです。
国は様々な企業にも東京一極集中ではなく、本社機能の地方移転をお願いしているそうで、国の省庁自体が何もせずにというのは、これもなかなか虫のいい話になってしまいます。
ですから、省庁が、ということらしいのです。
言われているようなマイナス面もあるでしょうが、私は基本的にはこれには賛成です。
都会ではあまり話題にもならないかもしれないのですが、地方に住んでいると切ない話も耳にします。
私の住むような過疎の村では、老人が孤独に暮らしていたりします。
採算が合わないので、バスも通りませんし線路もない。
そんなところで住んでいる老人が孤独死したり、病気を患っても誰にも気づかれぬままになったりする。
中心から離れすぎているので、行政のサービスも届きにくい。
それで街自体をより合理的に構成し直して、そういった老人もより中心に近づいた場所に移ってもらい、全体でフォローしていこうみたいなプランがあるのです(コミュニティがあるので)。
ただ、お年寄りだと、引っ越して環境が変わってしまうと、そこからボケが始まってしまったり、却ってよくないこともあります。
何事もプラス面とマイナス面があるのですね。
このプランは、効率優先都市づくりで、東京一極集中の地方版みたいなお話なのです。
むろんケース・バイ・ケースでこれがうまく行く地域があっていいと思います。
しかし、これを推し進めていくと、氏神様ネットワークが壊れてしまうのは止められません。
各省庁が地方に移転され、いくつかの企業が地方に根ざしてくれれば、私のような片田舎に住む者でも、通勤できる職を得られる可能性は広がります。
地元に残る人も増えるでしょう。
また自分のやりたい仕事がある地方が特化しているのであれば、そこへ行くということも当然ありますから、そうなれば地方ごとに人材のシャッフルが行われます。
総体としては減らない。
まあ、やや理想論なのですが、そうなってほしい。
それに日本人はこれから質的に変わっていくはずで、行政がどうのこうのいう以前に、各地方も草の根で変化してくれそうな予感がします。
その地方の特色というものが、かつてない勢いで日本だけでなく世界に発信されています。
その特色がそのまま地方を活性化してくれるはずだというのが、私の見通しです。
同じにならなくていい。
それぞれでいい。
バラバラなのが、それそれに良い。