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2019年2月24日日曜日

失われた里山

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今日の記事は、わりかし、つまんない日常から。

自宅が山の中で、花粉もいっぱいなのでしょう。
花粉症の兆候らしきものはすにであったのですが、一昨日、自宅の梅の木にまきついて、覆ってしまっている蔓草を刈る作業をしたところ。

ちょっとモロに来た感があります。ズビズビ……

「刈る」といっても、もう何年も放置してしまった結果。
蔓草は、「草」なんてかわいいものじゃなく、もう普通に木の幹みたいなんですよね。ごっつい!
それがぐるぐるに、蛇のように巻き付いたり。
それがまた、本当に太いんですよ。

ノコギリ、一本パアにしました(折りたたみのつがいの部分が壊れた)。

梅の木さんのためには、もうちょっと早く対処してやれば良かったな、と思ったのですが。

まあ、こういうのも親父が生きていたときには、やってくれていたんだろうなと、あらためて思いました。
たぶん、梅の木、10年くらい放置だったはず。

その間に蔓草が樹上を覆ってしまい、結果、梅の木は下の方から地を這うように枝を伸ばそうとしていたようです。
でも、地面に近いので、根を張った蔓草がそこからまた絡まってくる……

なんというのか、しょーもない感想かも知れないのですが。
自然の営みをリアルに感じました。

どの植物も生きようとしている。

より自分たちに好ましい環境を求めている。

弱肉強食というのは、どっちかというと獲物を食らう動物的な印象が強い言葉ですが。
植物もそうだなと思った次第。

蔓草、強え……マジ、強え……

その伐採? 除草? 
まあ、肉体労働そのものですが、私のHPも相当に減った一日でした。(笑)
除草とかいうよりも、本当に切断し、蔓を引っ張り、梅の木から引き剥がす……というような作業です。
コレガトレナインダ……

あちこち、周囲の木の枝で切り傷だらけになり。
本当に「戦う」ような感じ。

話、とりとめもないんですが。


「里山」という言葉をご存じでしょうか。

里は人が住むところ。
山はもちろん山なんですが。

里山は、人の手が入った山の領域なんです。
たとえば下草を刈っているとか、適度に森林を伐採し、生育に良い環境を保っているとか。
松茸とか、そういう環境を維持していないと生えにくいんですよ。

あの、よく誤解されるのですが。

山の木って、ある程度、整理して切った方がいいんですよ。

昔、自宅でやっている椎茸のために原木となる木を伐採したというような話を人にしたところ、「自然のままの樹木を人の手で切るなんて」みたいな自然保護的な観点でもの申されたことがあるんです。
ソンナコトイワレタラ シイタケノ ゲンボクサイバイ デキナイヨ……

自然の木は一本も切らずに、そのままにしておいた方が良い、という観点です。

ところが、我が家の梅の木もそうであるように。

放置すると、「強いものが勝っちゃう」のです。
蔓草のような種は、本当に強くて、他の樹木の上へ巻き付いて伸びていき、その樹木の上をドームのように覆ってしまい、その木を枯らします(光合成できなくなってしまいます)。

べつに蔓草が悪いわけじゃないんですが、適度に人の手が入らないと、山はすぐにすごく荒れます。
限界集落に住む者としては、これはまことにリアルです。
原生林化していくのです。

原生林は原生林で、あってしかるべき。
これはいいんですよ! もちろん!
そういうところでしか生まれない自然環境もあるし、それが地球の多くの部分なので。

けれど、人が生きている空間と隣接していると、たちまち問題が表面化します。
実際、椎茸の原木を切り出していた頃の山の方が、ずっときれいだったのです。
今は荒れ放題。
ろくに山を歩けません。台風なんかの倒木だらけ。
かつて使われた道も見つからない……ほとんど獣道。

もちろんそういう山の道は、私たちも使うわけではありません。
たぶん、あと20年30年したら、それはもう記録上のものでしかなくなるでしょう。

使わないのなら、それでいいのでは? とも思います。
でも、日常使っているものでも、放置されるとたちまち。

たとえば我が家の周辺は、自動車一台がやっとの市道なのですが。
県道や国道は、主要な幹線道路なので、ある程度整備されますが。
うちのような環境の市道は、かなり放置されます。
いよいよダメにならないと行政が動かない。

ここ数年の台風や水害で、崩れかけた道があったのですが、そこも昨年、要望を出してようやく直されました。

でも、山からどんどん樹木が道へせり出てるんですよね。
ヤマトとか佐川さんの車、入ってくると苦労しています。屋根をすっちゃうんですよ。
そして、風雨があると次々に倒れる。

ある意味、無法地帯みたいな。

おまけに、山が荒れれば荒れるほど、猪とか猿とか。
(狸くらいだと、まだ被害が少ないんですが)
田畑を荒らす荒らす。特に猪の被害は、もはや農業ができなくなるほど。

これ、結局、人の手が入った「里山」がなくなっちゃった、ということも大きいんですよ。

里山は自然と人間が生活する、その境界線になっていて、野生の動物もその境界線が行動範囲になっていたのですが、今は荒れ放題なので、すぐに人間の住居近くへ入ってくるわけです。

どこまでが「人のエリア」かわからないわけです。

こういう境界線を意図的に作ることで、獣害を少なくできたという報告もあります。

昔の人は、山と、自然と、共生していたんだろうなあと思います。

自分たちが手を入れる領域を作り、それを生かした生活をし、そのために野生の動物ともうまくやってこられた。
その時代の人々というのは、きっと人もまた「自然の一部」だった。

だって、そうですよね。野生の動物も、たいがい「自分のテリトリー」を持っているわけで、人間も当然、そのテリトリーがあるわけです。
その境界線が、昔は人間にも動物にも見やすかった。

里山という境域で。

今は、里山って、なくなっちゃったんだな。

なくしてしまったのは自分たちだな。

そういうことを、一日空けて、しみじみと感じました。

「手を入れる」「里山を作る」ということが、自然と一緒に生きていくためには、とても大切なんだと。
人間もまた、自然の一部だから。

それは自然破壊じゃない。
そういうことを、ここしばらくの人類はやり過ぎたけれど、手を入れることで、むしろ共生していけるんだということも、ちょっと限界集落のたわいもない日常から情報発信してみました。


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