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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2015年8月14日金曜日

ヤマトタケル 連理の翼1

プロローグ


 冬の澄んだ星空の下、篝火があちこちで燃え盛っている。
 その中で、酒宴が盛大に催されていた。

 鐘や太鼓が鳴り響き、その芯を笛の音が貫いていく。
 男たちは歓声をあげ、踊っている娘御らを囃し立てる。扇情的な踊りだ。

 それを見下ろす位置に、二人の兄弟が座していた。そばに女をはべらせ、猪肉を頬張り、酒を呑んでいた。彼らは見下ろす空間にいる男たちとは一線を画する、首長としての雰囲気を身にまとっていた。権力と自信と、そして猛々しい闘気のようなものが、ただ飲食をする姿にも滲んでいた。

「父様」
 女の声が投げられた。
 兄弟の一人、タケルの眼が動き、宴席の隅に佇む娘に向けられた。
「イチフカヤ。どこに行っておった」
 タケルの声に、娘は大きな声で応えた。
「クダラよりの商人が、父様の御前に献上したいものがあるとのこと。それを出迎えておりました」
 イチフカヤは体を開くようにし、背後に控えていた者たちを父の視野にアピールした。

 そこから前に進み出た者は身を低くして言った。
「クマソの地に栄えあるカワカミタケル様。
 ヤマトとの戦(いくさ)に明け暮れる今この時にあっても、悠々と新たな砦を築かれ、その威光をこのツクシはおろか、カラの半島にまで響かせるあなた様こそ、わたくしどもはやがてこのワの国を支配されるお力をお持ちの方と存じます。
 どうか何卒、われらの献上の品々とともに、この祝いの席に花を添えたくーー。それッ」

 男の合図で、背後に控えていた娘たちが風のように進み出た。
 クマソの女たちが踊っていた場所へ、美しく着飾った娘たちが踊り始める。父と娘の問答に途切れがちだった音楽も、またいっそう威勢良く響かせられる。
 そして献上の品々が、次々とカワカミタケルのもとへ運び込まれ、堆く(うずたかく)積み上げられた。
 いずれも大陸からの珍品ばかりだった。それを見た宴席の男たちは歓声を上げた。

「兄者! これは笑いが止まらぬのう!」
 高座より降りて行ったタケルの弟が、美しい絹の衣や鏡を手に取って振り返った。
 タケルは赤ら顔を満面の笑みで染め、一同に叫んだ。
「われらの力は大陸にまで響いておる! ヤマトの僻地におるやつらなど、何するほどもない! わられこそ、このツクシを支配する者よ! 良いか! ツクシこそが、そしてわれらクマソの地こそがワの国よ!」
 おお! と男たちの怒号が轟いた。

「おい、おまえ」
 タケルの弟が、踊っている娘の肩に手をかけた。
「色白で美しい。俺のところに来て酌をしろ」
 そう言われ、その娘は引っ張られるように高座に連れられた。
 弟が席に座ったその瞬間、その踊り子の眼には青白い炎のようなものがきらめいた。

 ぎゃあ、という悲鳴が弟から発せられた。
 彼はわき腹に短刀を突き入れられていた。まん丸に見開いた目玉が、外に飛び出しそうだった。その眼は自分が連れてきた踊り子に向けられていた。
 その娘が、彼のわき腹にさらに束をもというほどの力で、短刀を突き入れてきた。
 人語にならぬ喚きと、喉の奥で血のうがいをするような音を立て、弟はその場に崩れ落ちた。さらにものすごい喚き声をあげたのは、突き入れられた短刀がはらわたをえぐるように抜かれて行ったからだ。

 女たちの悲鳴。
 酒に酔っていた男たちの呆然。

 カワカミタケルは酔ってはいたが、弟を襲った凶事に俊敏な反応を見せた。傍にあった剣を手に取り、抜刀し、踊り子に振り下ろした。
 それは殺伐とした時代に生きる者が持つ、本能のような素早いものだった。
 だが――。

 カワカミタケルの剣は、無造作に払われた踊り子の短刀にはじき返された。
 それどころか踊り子の短刀が、首や腹を狙って次々に鋭く繰り出され、彼はその場にあったご馳走をそこらじゅうにぶちまけながら逃げた。よけるのが精一杯だったのだ。
 わずかばかりの攻撃の合間を見つけ、剣を取り直して反撃する。
 だが、それはか弱いはずの娘の身体をかすりもしなかった。
 踊り子の結っていた髪はほどけ、長い髪はまっすぐに腰の辺りまで垂れていた。それを振り回すように、カワカミタケルの攻撃をかわし続ける。
 そして、ある時、くるっと回転した勢いのまま、短刀の束でタケルの剣を持つ手を打った。

 剣は飛ばされ、タケルは素手になった。
 信じられぬというように、相手を見つめる。

「馬鹿な……」
 絞り出すように言った。
「こんな童男(おぐな)が……」 ※おぐな=子供

 踊り子に扮していたのは、娘ではなかった。だが、それはどう見ても、十代半ばにも満たない少年だった。
 上品な顔だけではない。二の腕も細く、少女と言われても信じるような体型をした童男だった。
「首長!」
 周囲にいた者たちが事態を認識したとき、クダラの商人として現れた男と、彼が呼び込んでいた人夫たちが、いっせいに本性を現した。
 献上物の中には剣もあった。それらを持ち、いっせいにカワカミタケルを取り囲んだのだった。
「鎮まれ! われらはヤマトの大王(おおきみ)に遣わされた! すでにこの砦はわれらの軍によって破られて、風前の灯! 抵抗すれば皆殺しだ!」
 商人だった男の叫びは、酒宴の中でろくな武器も用意していなかった男たちの気勢を削いだ。

 そして何よりも。
 カワカミタケルが衝撃を受けて、娘であるイチフカヤを見つめていた。
「イチフカヤ……お前か。お前がこの父を裏切ったのか」
 娘の眼差しは感情というものがなかった。いや、封印しているようにかすかに揺れ動いていた。
「おまえなんか、父様じゃない。おまえは、母様を見殺しにした」
 イチフカヤの唇から漏れた言葉は、冬の冷え込んだ大気の中で、真っ白だった。
「あれは! あれはヤマトのやつらとの戦いで、やむなく!」
「違う!」
 イチフカヤは絶叫した。
「おまえは自分だけが可愛いんだ! 母様は助けられた! だけど、おまえは母様を見捨てた! その証拠に、今はほかの女を愛している!」
 タケルは眼を、先ほどまで自分のそばにいて酌をしていた女に移した。
 その女は身ごもっていた。

 タケルは沈黙の後、じわじわと苦笑に似たものを浮かべた。
「我が身から出た錆か……」
「覚悟せよ」
 タケルの剣を拾い上げ、それを構えて少年が告げた。それに反応するように、周囲のヤマトの兵たちが、少年を守るために配慮し、身構えた。あきらかにクマソの民から、少年を守ろうという意図が見えた。それを見たタケルが言った。
「待たれよ」
「なんだ」
「どちらの童男か」
「ヤマトの童男である」
「ヤマトの……」
「我が名は、ヤマトの大王、オオタラシヒコオシロワケの子、小碓(おうす)」
「なんと……」
 タケルは驚き、そして首を振った。
「ヤマトの皇子がこのような場に……このような姿に身をやつして。父王はおまえにそのような無理難題を望んだのか」
「いや」
 オウスは否定した。
「自ら望んだ」
「なにゆえに」
「父の宿敵、クマソの猛き王の顔を見てみたかっただけ」
 あっけにとられ、タケルは凝固していた。が、やがて笑い出した。
「なんとも、かような少女のごとき身で、なんとも剛毅な……」
 はっはっは、と乾いた笑い声が響いた。それが静まったときには、皮肉げな笑みが顔元に残っていた。
「ヤマトの童男よ。聞いてほしい」
「なんだ」
「俺はこのツクシに並ぶ者のない強者(つわもの)と自惚れていた者。それがこのような子供に負けた……。いや、おまえはとてつもなく強い。ゆえに、もし許されるのなら、強いおまえに名を授けたい」
「名を?」

 カワカミタケルは言い放った。
「ヤマトの猛き皇子。ヤマトタケル――!」

「…………」
「いかがかな」
「良き名だ。その名、もらおう」
 カワカミタケルは、ゆっくりと立ち上がった。
「では、ヤマトタケルよ」
 彼は両手を迎え入れるように開いた。

 直後、オウスの手にした剣が真一文字に走った。
 首の付け根から胴へ、子供の力とは到底思えぬ裂け目を作り出し、オウスの全身は血に染まった。
 悲鳴が上がった。
 父を憎んでいたイチフカヤの叫びだった。