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2017年7月11日火曜日

連理の翼6 第2章 アクラ王 1



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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
 狭い内海は穏やかに見えた。
 中天に昇り詰めつつある月の輝きをきらきらと映し、いくつもの小島を周囲にシルエットとして浮かび上がらせている。ちょうどこちらと向こうにかかっている光の橋のように見えた。
 向こう側にある大きな黒い塊が、吉備の児島である。

 オウスは高台に佇み、腕組みをしていた。全身に感じる緩やかな潮風が心地よかった。
 背後にかすかな人の気配を感じて振り返ると、イチフカヤが近づいてくるところだった。彼女はびくっと立ち止まった。
「見違えたぞ」と、オウスは言った。「そうして吉備の娘らしい衣装を身に着けていると」
 満月に近い月の光は、視力に優れたオウスに彼女のいでたちを確認させるのに十分だった。この時代の衣装の生地の多くは麻で作られていた。貫頭衣であることが多い。それは多くの地域で共通していたが、やはりその地域ならではの細かな意匠の違いがある。彼女は今、貫頭衣の上からもう一枚、薄い肩掛けをしていて、それを両手で胸の前でかき合わせるようにしていた。
 イチフカヤはもともと、どちらかというとはっきりとした意志の強そうな顔立ちをしていたが、その衣装と月の光が、今は熊襲の娘らしく見せなかった。
 その瞳の輝き以外は。
 いや、その瞳も揺れていた。
「あ……明日、行くの」言葉につかえながら、彼女は言った。
「ああ。もう十分に準備は整った。あとは天気次第だ」
「大丈夫なの。あの児島を支配しているアクラ王って、すごく手ごわいと……」
「武媛に聞いたのか」
「いえ、武媛様からではなく、なんとなくほかの人から耳に入ってきて」
「もともと児島は、海の民のものだった。それがこの吉備の勢力の中に組み入れられたのだが、なかなか和せぬ時も過去にはあったようだ。筑紫にいたナツソという巫女……もともとは児島に祖先があるらしいが、それが筑紫に追われたのも、そういうゴタゴタの挙句のようだ。まあ、これは吉備武彦から聞いた話だが」
「ナツソ様は昔からのこのワの国の巫女様」
「そのようだな」
「武媛様も」
「だから、安心であろう?」
 イチフカヤは沈黙した。
「熊襲も古き巫女も、もともとこの国に住まう者だ。大和はそれを力で従わせようとしている」

 それはオウスが、この旅に出る前には考えもしなかったことだった。
 父の熊襲討伐に参加した時点では、大和のことしか見えていなかった。大王たる父のマツリゴトにまつろわぬ者がいて、国に騒乱を引き起こしている、と。誅すべき悪しき者ども……それが熊襲であり、また国々を乱す辺境の部族だった。
 しかし、武彦から聞かされた歴史によれば、少しばかり事情が変わって見え始めたのだ。
 ――この海も島ももともとは我らのもの。それを泥棒猫のようにかすめ取っていったのは、貴様ら大和ではないか。
 ヒエダといった、アクラ王配下の男の言葉には、彼らがそう思うだけの理由があるのかもしれなかった。

「しかし」オウスは海を見て言った。「おれは父王の統治を乱す輩を許すつもりなど毛頭ない。アクラ王は児島を占拠し、航海する船を襲い、傍若無人なふるまいをしているという話だ。この内海の海路は、大和にとっても、ここに生きる人々にとっても生命線だ。害するものは滅ぼす」
「オウス……あなたは強い。きっとアクラ王を討ち倒せるでしょう」
 抑えられた言葉にオウスは今一度、イチフカヤを振り返った。
「ヤマトタケル……おまえの父が与えてくれた名を辱めぬように戦ってくるつもりだ」
 胸元でかき合わせているイチフカヤの両手が強く握りしめられた。それをオウスは目を細めて見た。
「おまえはもう自由だ。おまえを大和に連れて帰ることはできない。この地で吉備の民として生きるもよいだろう。武媛にお前のことはよくよく頼んである」
 オウスは歩き出し、イチフカヤのそばを通り過ぎていった。
 無防備な背を見せて。

 イチフカヤはその場に凝固していた。
 オウスが通り過ぎる一瞬だけ、ぶるっと体に震えが走ったようだった。だが、彼女は動けずにいた。
 振り返ると、月光に照らされたオウスの背中が次第に闇に溶けていくところだった。
 胸の前にあった固い手がほどけた。すると隠し持っていた短刀が、足元に落下した。
「あたしは……」
 彼女は地に伏した。月の光の中、彼女の頤(おとがい)から滴り落ちたものが足元の岩を濡らした。
「あたしは……」


 翌日、オウスらと吉備の連合軍は行動を起こした。
 陽が中天に昇るとともに、修復されたオウスらの大和の大型船は、吉備の穴海を東へ進んだ。吉備の穴海は、東の穴戸と西の穴戸がある。西の穴戸はアクラ王の勢力が海賊行為を行っており、吉備の勢力でさえ用心が必要だった。
 また後の時代には川の沖積作用や干拓によって地続きになることからもわかるように、西の穴戸付近は浅瀬が多く、岩礁も多く、大型船の航行には適していなかった。

神武天皇の東征神話も、この穴海の東側にある高島を拠点とし、そこから大和へ向かったという逸話が残されているが、その海路もまた東の穴戸からだったに違いない。
 大型船はその海路を取り、東の穴戸を抜けていった。
 対岸の児島の山頂からは、さかんに狼煙が上がっているのが見えた。むろんそれはアクラ王の配下の者が山々を通じて伝言を送っているのだ。
 オウスの船が東の穴戸から出ていった、と。

 しかし、オウスはその船には乗っていなかった。
 日没と夜の帳を待ち、オウスらは20ほどの小舟で西の穴戸に静かに向かった。吉備武彦らの案内を受け、月明かりだけを頼りに。
 大潮時の引き潮に乗り、小舟の群れは想像以上の速度で進み、児島の西岸にたどり着くことができた。
 総勢100名ほどが上陸したのは、カヨウと呼ばれる小さな港のはずれだった。
 さすがに張りつめていたものを吐き出し、武彦が漏らす。
「なんとか無事につきましたな、皇子様」
 月光の下、オウスは小さくうなずいただけだった。彼の少女のような白い面には、戦気が満ち満ちていた。武彦はそれを見て、戦慄のようなものを覚えた。
 力強い男を頼りとする女なら、みな虜にしてしまうような妖しい美がそこにあった。男であっても、何かぞくりとするような際立った魅力だった。
「武彦、地をよく知る者を先に立たせ、案内を。月の光があるうちに山を越えたい」
「は、はい――」
 この人は本物かもしれない――後に東征に付き従う武彦は、この時そのように感じたことを述懐するのだった。
 歩き出すオウスの背に引っ張られるように武彦は歩き出した。
 


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