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2018年12月7日金曜日

占星術のバランスと四柱推命の偏り(私のケース)

この記事は四柱推命に関する内容を含んでおりますが、浅学ですので、専門家の方は寛大なお心でスルーしてやってくださいね。
お願いいたします。

若い頃に四柱推命の学習をしました。
四柱推命にはいくつかの流派があり、目立った相違は、「空亡を採用するかどうか」「蔵干の算出の仕方」、また「日付の変わり目を夜の11時とするか0時とするか」などでも異なった立場がありますし、格局の取り方などでも異なるご意見がある。
若い時代の私の学習など、専門にやられている方からすれば、ちょっと四柱推命の入り口を覗いただけのようなものです。

その段階で私が困ってしまったのは、どのお立場の先生方も「自分のところが正しい」と主張されていて、判断がつきにくいということでした。

とことん研究すれば答えを見いだせたかも知れないのですが、四柱推命以前に占星術を学習していた私には、占星術のほうがずっとすっきりしていたため、私は占星術研究家の道を選びました。
四柱推命が、占星術に匹敵するくらい高度な占術であることは認識しつつ。

しかし、その後もケース・バイ・ケースなのですが、四柱推命の一部の知識を利用することはありました。
そうして過去、迷ってしまった区別の難しいご意見のすべてではないですが、いくつかについては「こうではないか」と自分なりの判断をするようになりました。

じつは、私の四柱推命表は、その異なる立場によって、まったく変わってしまうものなのです。
同じ人間とは思えないほど。

そのどちらなのかがわかったので、結果的に「少なくとも自分について判断するときはこれで行こう」というやり方が定まりました(この判断は、20代で一応の見極めができました)。

四柱推命では、私はある五行に偏っていて、一種の強旺格的なものに近い状態です。蔵干の出し方で、強旺格になるかどうかも違ってきます。
少なくとも「準・強旺格」的な状態であることは間違いありません。
(準なんて言い方は普通しませんが)

通常、四柱推命では五行のバランスを重視し、この五行がうまく循環すること、またその循環を支えるためにも運気がある程度強めなのを良しとする考えの方が多い。
その発想からすると、私のは偏りすぎなのです。


ところが。
ここから占星術の話なのですが。

占星術にも五行と似た考え方があり、特にエレメントには似たような傾向があります。
占星術の場合、天体の入っているサインが重要なのですが。
サインの種類も、2区分、3区分、4区分できます。その4区分がエレメントになります。火、地、風、水ですね。
それぞれにどれくらいどの天体が入っているかというのも、ホロスコープ上は重要な手がかりになります。

私のチャートは、この区分がエレメントだけでなく、どの区分も偏りがありません。
ま、エレメントである4区分が偏らないということは2区分も偏らない結果になるのですが。

この偏らないホロスコープは、四柱推命の極端に偏った状態と、当たり前に考えると相当に違和感があります。
違う占術だから仕方がない、当たり前、という考え方もありますが、占星術も四柱推命もかなり似た発想を共通して持っている部分もあります。
実際、関連性を明確に指摘されている研究家もいます。

ところで、ある五行に偏るだけ偏るとかすると、強くなりすぎるが、それはそれで安定する、強みともなる、というのが強旺格。
(逆にすごく弱いほうへ偏るのも、一つの格として安定するものもある)

私の場合、強旺格になるかどうかは怪しかったのですが、一応これはどうやら「成格」していると見ていいのではないか。
とか。
その場合は、魁罡星だよな。
とか。
そうでないと説明できない人間関係があるな。
とか。


いろいろとつながって来ます。

何が言いたいのかというと、要するに、西洋由来であろうと東洋のものであろうと。
こういう研究は面白い、ということだけです。

すみません。
独り言でありました。




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