いや~。
花粉が絶好調っぽいですね。
目がかゆいゼファーです。
早朝のジョギングも、これまでとは別な意味でマスクが外せません。(笑)
今日は日差しの中で、河津桜も楽しそうでした。
時間は遡って。
昨日、山村神社に行きました。
先日の写真は業者の方から送られてきたもので、やっぱり自分お目で確認したいので。
畳が新品になると、やっぱり匂いがぜんぜん違う!
あのかび臭さが、ずいぶん軽減していました。
境内のアクラの木からは妖精でも舞い降りてきそうな気配でした。
毎日毎日、コロナのことばかり話題になるもうんざりでしたが。
今はウクライナとコロナの二本立て。
むしろ、コロナのことが(意識の上で)消し飛んでしまうような戦争の話題ばかり。
こういうときに、一緒に落ち⤵ないことが大事です。
私たちはできることをしましょう。
私たちが気分的に落ちたところで、何も良いほうへ向かいません。
むしろ、心霊的には、そういう私たちが落ちることを喜ぶグループもありそうです。
コロナもそうですが、恐怖や悲しみで人を縛りたい、落としたいという、集合意識もあるはずなので。
すごく善意の人は、「ウクライナの子が泣いているのに自分が楽しむ」ということに罪悪感を抱くケースもあろうかと思います。
側にいるのなら、一緒になって寄り添い、泣いてあげることもいいかもしれません。
悲しみには寄り添うことが一番です。
しかし、私たちには〝肉体的に寄り添う〟ことはできません。
物質的な支援か、もっと他の手段しかありません。
寄付や物資は一つの形です。
残るは心(精神)なのですが。
心で支援を送るには、自分が同じような悲しみに沼に沈んでいては為せません(為しにくい)。
そして、この地球には、〝全体を悲嘆に沈ませたい〟というような力も働いていて、今はメディアやネットの情報が世界の隅々まで広がっているので、実はそういう力にとっても有利なのです。
簡単に世界の人々を悲しみにベクトルに引っ張り込める、わけです。
情報で。
私たちは、発信されている情報に理解を持つことは必要です。
でも、発信される情報に〝汚染〟されないように気をつけるべきです。
これはある勢力だけの情報だけではなく、もう少し大局的な理解があったほうが良いのですが、気持ち的、情緒的に汚染され、絶望や悲嘆に傾かないように気をつけて下さい。
私は、このところ、神棚や神社で天津祝詞を奏上するときに、
やはり、ウクライナやロシアのことを思い浮かべます。
それらの土地、そこに光が広がるようにイメージしながら唱えています。
(当然、この問題に関わる人物たちにも)
これは、今に始まった話ではなく、時には日本列島を光で包むようにイメージし、時には世界にそれが広がるようにイメージしてやってきました。
コロナ禍でも。
それ以前には、たとえばイスラム国の戦乱が広がったときにも。
それがなんになる? と言われたら、何の立証もできませんけど。
なにせ、物理的な〝為すこと〟ではないので。
その効果を計量しろ、といわれたら、できません。
でも、きっと、通じる人には通じる。
わかる人にはわかる。
私は筋金入りのスピ鈍なので、霊的な感覚はないのですが。
でも、〝わかる〟ことがあります。
理屈ではないというところがミソで、この〝わかる〟というのも説明しにくいのです。
でも、わかる人でネットワークを紡いで行けたら。
世界の軌道を変えることもできるのではないか。
私は〝人の意志〟がいかに強いか知っています。
それはときに、運命を超える。
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