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2017年5月12日金曜日

願いが叶うプロセス


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自分の願うことが、天が叶えてくれるものと一致していないことがあります。

否。

人は皆、自分で立てた魂の計画をもって生まれてくるので、じつは天が叶えてくれるとか与えてくれるとかいうふうに感じるのは、ただ本人のエゴがそう感じるだけ。
じつは、自分の魂の計画に沿って起きること。

でも、今この現実という世界を生きている私たちには、なかなかそこまでは達観できず、自分の望みが叶わない悲しさと、それを与えてくれないこの世界への恨みや誰かへの憎しみになりがちです。

これが望みなのに、なぜ自分はそこからこんなに遠ざけられてしまっているのか。

あの人にはそれが与えられているのに、なぜわたしにはそれが与えられないのか。

何も悪いことなどしてないのに。

特別なことなど望んでいない。

当たり前の幸せを願っているだけなのに。


もしその原因と呼べる存在がいるのなら、その人のことを憎むかもしれません。
特定の対象が見当たらないとしても、まるで何かの罰を与えているように思える、この世界やこの世界を作っている何者かに(運命や神とか)文句を言いたくもなる。
嘆きを聞いてほしくもなる。

それが人間です。

昨日、1992年の5月、鞍馬寺のウエサク祭に行った時の私は、誰かを憎むこともしていませんでしたし、冷静に自分の未熟さを見ようとする意志も持っていましたが……

はっきりずばり。
小説家としては、ほぼ挫折していました。そういう時でした。

このままでは妻も、すでに生まれていた長女も幸せにすることなどできない。

すでに利便のよいところからは引き上げ、体を悪くした父のそばにいるためにも、実家に戻っていましたが。
守りに入らざるを得ない状況というのがあります。そういう時でした。

私は小説家として身を立てていく、ということのみ念頭にあるわけではありませんでした。

それが根本的にダメになるのであれば、現実を採ることは、やぶさかではありませんでした。
この当時、すでにホテル勤務もしていました(アルバイトでしたが)。

このホテルで、大量の退職者が出たことがあったのですが、その時に私は契約社員と良いから雇ってほしいという要望を伝えたことがあります。
ところが、これは当時のトップ付近の判断で受け入れられませんでした。
これは1992年の少し後のことでしたが(と記憶しています)。
その頃には、私はそこそこのお客さんとのつながりを得て、勤務しているレストランやバーでも、かなり貢献できていたにもかかわらず、です。
そして私の要望は退けたにもかかわらず、その後、多くの契約社員をそのホテルでは雇用しました。

いったい、なにがしたいのか――。

いや、そのホテルではなく、私の人生をどういうふうにしたいのか、運命の神に尋ねたい気持ちでした。
ちゃんとした就労環境に移行することも許されず、そして中途半端に小説関係の仕事はあり…しかし、それだけでは生計はとても立たず。

その後、私は複数のバイトを掛け持ちしながら、極限的な努力をし、なんとか小説家としての固い扉を開こうとしました。
しかし、扉は開かなかった。睡眠時間を毎日4.5時間にし、書き続けた小説。
二度、それは潰えました。


退路は断たれていました。
そして新しい道も見えなかった。


でも。
道はあった。

ただ私のエゴによる考えでは、その道は、当時見えなかった。

それだけのこと。

何かが叶うこと。
満たされること。
自分なりの幸せを見つけること。

すべてに時があり、プロセスがあり。

そして、気づきがある。

エゴにとらわれていると、なかなかそれに気づけなかった、というお話でした。


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