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2021年8月29日日曜日

日本の注意点 結ぶこと分離の狭間で

昨日の続きです。

 

 

135度文明=融合の文明の中心として、今後日本は重要な役割を果たすと思われます。

が、二つ、注意しなければならないことがあります。

一つは、前にも別な記事で書きましたが、ナショナリズムが強まる可能性です。

つまり、

「日本すげー」

「こんなに世界に影響を及ぼす我が国」

これらがある程度、良い意味でのプライドで留まれば良いのですが、行き過ぎると、かならず

〝選民思想〟

という、過大な国家的民族的なエゴとなります。

 

戦前にあった「神国日本」みたいなものも、たぶん今一度立ち上がってきますが、こういった旧来のものとは別に、おかしな意味でニューエイジ神国日本的なものが生まれてくる可能性もあります。

 

国家も民族も、個人と同じです。

あなたのお隣に、エゴを肥大化させて、

「私ってすごいでしょ」

「ほら、こんなにすごいんだよ」

「他よりも断然、うちが上。それはね……(云々かんぬん)」

みたいな言動に終止する人がいたら、嫌になりますよね?

 

国も民族も同様で、テンションが上がっているときは自覚しにくい。

でも、周囲からは非常に冷めた目で見られます。

また、時間の経過と共に、非常に客観的な評価が下されてしまいます。

 

そもそも、この自分(のところ)がすごいんだというアピールは、融合の文明から離反します。

融合は、他を尊重し、認め、受け入れます。

でないと、融合など起きえない。

 

自分や自国に誇りを持つことと、他を貶めることは違います。

自分だけがすごいと訴える心の裏側には、そうせずにはおれないコンプレックスや強迫観念、心の傷、何かで埋め合わせたいという欲求などが存在します。

だから、過剰アピールになる。

 

良いものは、当たり前に受け入れられ、広がっていく。

それが普通というか、水が高いところから低いところへ流れるのと同じ自然の摂理です。

私たちはその摂理に任せておけばよいのであって、自分を高みに上げるために、他を落とす必要などどこにもない。

他を落としていると、自分がいつの間にか落ちている現実に気づくでしょう。

 

これは国家間の有り様だけの話ではありません。

融合のサイクルへ向かっているのは、全人類なので、私たち個人個人も「他人を落として自分を上げる」みたいなエゴによる操作は意味がないどころか、大きなマイナスとなります。

 

今、「差別」ということが、多方面で非常にクローズアップされています。

発信した本人にしてみれば、おそらく些細な言動が火種になって、ものすごく叩かれるという現実が起きています。

この差別は、日本人も他人事ではなく、他民族や他国家をさげすみ、貶めることは、過去からずっと行われてきました。

また日本国内でも、特定の集落や個人に、なんらかの烙印を押して差別してきました。

 

こういった行いは、本質的に〝実は自分が幸せでないから起きる〟のです。

本質的な幸福を得ているのであれば、このような行いをする必要がありません。

何が何でも「自分より下の人間を設定しなければ、自分が救われない・満たされない」と感じるから行う。

 

誰もが、胸に手を当ててみる必要がある。

 

 

もう一つの注意点ですが。

前記事で、日本の当たり前が世界のスタンダードになる可能性について書きました。

というか、これは、今世界に出ている多くの日本人が、その役割を担っているし、今後そういった事例は格段に増えると思われます。

 

日本の当たり前が、世界の人々に驚かれることの中に、

・鉄道が非常に正確に運行される

・宿泊施設や個人のホスピタリティ(おもてなしの心)が強い

・財布などの貴重品を落としても、すぐに拾って届けてくれるか、無事に返ってくる

・コンビニのサービスと商品が充実している

・災害時にも規律を守り、他者と共存する

……

といった、ここには書ききれないものすごく多様な事例について、今は報告するサイトや動画があります。

 

こういったものの根底にあるのは、日本が融合のエネルギーが強いポイントにあり、そのために、この地に生きる人々が、融合の特徴である他を「尊重する」「認める」「受け入れる」といった方向へ傾きやすく、それに沿った意識の在り方を、古代から連綿と受け継いできたからと考えられます。

 

いや、それは違う!

今の日本の教育制度だ!

と異論を唱えるかたもいるでしょうが、現代よりも過去に遡ったほうが、日本はより融合的でした。

今でも地方では残っているし、都会でも地域によってはあり得るのですが、自宅の出入り口に鍵をかけなくても安心という文化です。

 

これは昔からそうでしたが、今やそれはなかなか現実にそぐわなくなっています。誰もが出かけるときに鍵をかけます。

 

その地域、コミュニティの中で、私たちは〝細胞〟のように生きてきた。

どうやら、これが縄文時代に遡れば遡るほど、そうであったらしい。

 

image

 

「0フォース」に報告されていますが、縄文時代の円形集落から発掘される骨には、戦争などの殺傷人骨がない(円形集落以外にはある)。

弥生時代以降には、争いで死んだ人骨が発掘されるようになる。

弥生時代以降の、九州などの遺跡からは、殺傷人骨が非常に多く出ていることは、よく知られています。

そして、同地域からは、鉄器(剣など)も多く出土する。

 

つまり、

真に〝共生〟を実現できていたのは、なんと私たちが「野蛮な時代だと思い込まされていた」縄文時代だった!!

と、思われるのです。

 

鉄器がなかったから、という考え方もあろうかと思いますが、それ以前でも少なくとも「青銅器」「石器」があったわけで、争いが弥生時代と同様にあったのなら、やはり損傷した人骨が発見されてしかるべきでしょう。

 

現代日本人である私たちが、一番イメージしやすいのは、自然と共に生きたアイヌの人々かも知れません。

でも、もっともっと1万年という歴史を持つ縄文時代にこそ、地上のユートピアのような生き方があった。

 

今、よく〝共生〟という言葉が言われます。

共生とは何なのか?

それは、もちろん〝共に生きる〟ことなのだけれど、私たちがこの地球上で、ありとあらゆる人々が〝共に生きる〟ためには何が必要なのか?

 

0度文明の分離、差別ではあり得ません。

 

相手を認めるということは、自分と異なる相手を尊重するということ。

違っても認める。

そして受け入れる。

 

そういう生き方もあるんだな、そういう考え方もあるんだな。

そんなやり方も時には必要かもしれないな。

 

それが135度の日本の根底にある文明のはずで、そこに根本的に回帰する、あるいは掘り起こして我が物とする必要があるのではないか。

つまり縄文の復活です。

 

image

 

これ……

〝縄文〟じゃね?

 

たまたま、間に羽黒神社の記事を挟みましたけど。

〝むすびの松〟

 

え?

なんで、このタイミングで、この神社へ行く気になったんだろう……

 

結びついている。

こめんなさい。

今、書きながらふいに思い出して、驚いています。

 

えっと……

 

だから、二つ目の注意点ですが。

 

「日本の当たり前」の本質は、この地で古代から培われてきたものの中にあり、「日本の当たり前」が世界に新しいスタンダードとして波及していくからといって、

有頂天になるな!

それは私たちの何千年何万年の先人たちが培ってきたもの。

私たちはそれを受け継いでいるどころか……

 

ものすごく希釈化してきた。

薄まってしまった。

 

他からの流入によって。

 

 

それは弥生時代にあった。

が、幕末~明治にもあった(これはガイアの法則的には、日本のマイナス面になる時だった)。

そして、敗戦後、欧米の思想と価値観に染まった。

 

もう、けっこう、ぐずぐずじゃん!(笑)

みたいな状態。

 

繰り返しますが、私が回帰すべきと思うのは、戦前戦中の思想や生き方ではない。ナショナリズムは、融合に背きかねない。

 

じゃ。

現代に生きる私たちは、どうしたらええんですか?

 

みたいな話になると思います。

 

ちょっと、インターバルを取ります。

少し、フォースを貯めて、このへんのことをお伝えしようと思います。

来月あたりから?

 

 

最後になりますが。

現在の新型コロナウイルスと、その災禍ですが。

 

このコロナウイルスの果たしている「役目」は、世界中をバラバラにすることです。

このコロナ禍の性質から見て、私はこれは天災にせよ人災にせよ、天王星的な力の最後の抵抗だとみています。

つまり、分離の力です。

 

「日月神示」には、〝悪の御用〟というものがあります。

それもまた、摂理か?

 

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