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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2016年4月22日金曜日

自分の枠を広げてみよう


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5月20日から4日間、関西で鑑定会を行います。
また22日はセミナーも開催いたします。
詳しくはこちらへ→関西鑑定会とセミナーのご案内

※ この鑑定会とセミナーの売り上げの一部は義援金に寄付させていただきます。

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人間というものは、どうしても狭量になりがちです。

自分の狭い了見や知識の中でしか、ものを考えにくいものです。

かくいう私も。


この自分の了見の限界というものを、この頃痛感しています。

たとえば私は、占星術を独学し、それを自分の研究と検証の中で磨き上げてきたところがあります。

自分にとって、占星術は「ウラが取れる学問」なのです。

このようなチャートだからこうなる、このようなアスペクトの時期だからこのようなことが起きる。

未来はこうなる(後にその推測が実証される)。


サインや天体、ハウスの機能などから、ある程度の可能性の幅はどうしても考慮されますが、観測されているものはほぼ確実に現実化しています。

こういう作業をしていると、占星術に対する信頼度は非常に高いものとなり、その信頼感ゆえにほかを軽んじるということも起きやすくなります。


これはこの世界だけではなく、どのような業界にも起こり得ることですよね。

誰だって自分の進んでいる道が、一番優れている道だと思いたい。

自分のやり方がほかに勝っていると信じたい。


この思いの度が過ぎると、自分を高みにおいて、「ほかを否定する」という言動になりがちです。

私はよほど目に余るケース(多くの人の幸せを損なう可能性があるなど)以外では、これまでほかを批判するということは避けてきました。
(したとしても批判です。批判は、非難ではなく、物事のよしあしを評価して判定すること

これはちょっと前にも書きましたが、私自身がよってたかっていじめられたり、ある人から強圧的な支配を受けてきた子供時代の反動でしょう。

他を否定することで自分の気持ちをよくするというのは、とても魅力的な衝動なのです、人間のエゴにとって。

他人を攻撃したり、否定したり、いじめたりする心理の裏側には、常にこの「ほかを否定することで自分を高みに置きたい」というエゴが働いています。

私も子供時代、自分が(下の子を)いじめ返せる立場になったときに、その衝動に身を委ねたことがありますが、私の場合、すぐに反動がありました。

別な角度から、自分にやっていることが間違っていると思い知らされ、自分が泣くはめになったのです。


その時以来、私は根本的に他者を攻撃したりいじめたりということは、自分の選択肢の中になくなりました。

これはこれで、何かの導きであろうと感じています。



ですから今。

今まで自分がやってきたことの、ある種の臨界に達しつつあるときに。

「これでいいんだ。自分のやっていることは間違っていない」

としがみつき、このやり方が他よりも優れていると主張することができません。


実際には占星術の学習・研究には終わりなどなく、どこまでもどこまでも究めて行けるものです。


ただ、なんというのか。

たとえば私はかつて長く飲食サービスの世界に身を置いてきましたが、あるレベルに到達した料理人が、これまでの経験や技法をさらに超えて行こうとするときに、フレンチのシェフが和食の勉強をしてみるとか、今まで知らなかった異文化の食を学んでみるとか……

そのようなことがあっていいわけです。

そうすることで、新しい地平が見えてくる。


今年から私は、そういった学びの時期にしようと考えています。


これまで存在は意識しつつ、自分の解読スタンスに取り入れては来ていたけれど、本格的に身につけるということをしていなかった技法の数々。

そこにもきっと、これまでと同じように宝の山がある。

そんな直観を得ているゼファーです。


そ、その前にミュージカルの脚本を脱稿しなくちゃ(-"-;A