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2021年10月12日火曜日

ホロスコープは生きている(運勢のアップデート)

占星術を学んでいるかたに、よく見受けられるのですが。

ネイタルチャート(出生図)を、誤認していることがあります。

 

え? 誤認? どういうこと?

何か見間違えている、ということ???

 

いろいろ疑問が湧いてくると思いますけど。

誤認という言い方が悪ければ、〝偏った認識〟を持っているということです。

出生図に限らないのですが、まあ、出生図で説明するのがわかりやすいかな?

 

これは、占星術を学んでいる人だけでなく、占い全般に興味を持つかたも、たぶん参考になると思います。

 

ホロスコープのことを知り、その影響力の大きさを知るようになると、

たいがいの場合、ホロスコープという一枚の紙切れに印刷された絵図が、すごく絶対的な力を持っていると思いやすい。

 

そのときに、同時に、ホロスコープという一枚の絵図が、頭の中で〝固定化〟を起こします。

出生図というのは、生まれた瞬間、その土地で作成するものですから、もう完成されています。

 

このホロスコープが完成された瞬間、その人の全人生が決まってしまうかのような〝錯覚〟にはまるのです。

そして、そのホロスコープは変化しませんから、変更不能だと、脳内で〝固定化〟してしまうのです。

 

つまり人の運命が変更不能のように感じてしまう。

あたかもホロスコープに支配されているように感じる。

 

こういう妄想にとりつかれてしまうと、占うほうも占われるほうも、厄介なことになります。

 

ホロスコープを変更不能の静止画と受け取ると、運命も静止(死)画になりかねません。

 

そもそも、ホロスコープというのは、〝動的〟なものです。

常に星々は、黄道を中心にダイナミックな運動を行っています。

それは静かな公転運動ではない。

チャート上は、強弱を繰り返し、また他の星々と火花を散らすアスペクト上の衝突や交叉を繰り返しています。

時には絶妙なハーモニーを共に奏でます。

 

こういう運動は、今も、昔も、未来も、

そして、あなたが生まれた瞬間にも行われていた。

あなたが生まれた瞬間は、その動的な運動のある瞬間を切り取ったものに過ぎず、それは確かに一枚の固定された図だが、映画のフィルムのたった1コマを切り取っただけのもので、本当はその前後の、大きな運動エネルギーの凝縮されたものが、あなたのネイタルなのです。

 

私は、占星術ネット講座で、第1期の頃から、このホロスコープを動的に見るということを、生徒さんに伝えてきました。

そのときに解説したのが、私のネイタルの水星のことで、

私が生まれる瞬間の水星というのは、非常に多くのアスペクトを持つ、アスペクト主星となっていました。

 

これをたとえば、私が生まれる5日くらい前からホロスコープを観測したら、水星は、

・天王星とトラインを結ぶ 木星やキロンとセクスタイルを結ぶ

・上記に加え、冥王星ともトラインになる

・上記に加え、土星、木星+キロンとセミヨッドになる

・上記に加え、海王星ともセクスタイルになる

という、非常に絶妙な瞬間だったのです。

この1日後には、セミヨッドが消滅し、さらに1日後には天王星とのトラインも消滅する……という流れなので、私の出生時の水星は、

1962年12月限定で考えた場合、いろいろな天体のアスペクトが複合的に集中する瞬間だった、わけです。

 

このようなことを、講座で説明し、だからホロスコープというのは、動的な流れの中で認識しなければならない、そうしないと、その人に与えられたその星がどういうコンディションであるのか、あるいはホロスコープ全体の命運についても、正確な判断ができない、ということをお伝えしたら……

 

当時の受講生の一人が、

「こんなこと、他のどんな講座でも教えてもらえない」と発言し、この観点でホロスコープを見ることを、「チャート・ダイナミズム」と命名してはどうかと提案してくれました。

 

その人は他の講座も学んだ人だったのですが、まあ、数多(あまた)ある講座を隅から隅まで知るはずはないので、他の講座でも教えているところはあったかもしれません。

でも、おそらく当時は、ほとんど知られていないというか、体感的に持っている人でも、教えるというところまでしてなかった観点かもしれません。

 

でも、ホロスコープを本当に見てきて、体感的なものまで持っている人なら、静止画であるネイタルを見て、その前後の星々の動的なものまで、視野にあるというのか、認識を持っていると思うのです。

だから、チャート・ダイナミズムは、私だけが使っていたようなものではないはず。

 

つまり、こういう体感を得ている場合、ネイタルは静止画ではなく、動画の一部としてみられるように見られるようになるのです。

 

それは、そのネイタルを持つ人が、どういうエネルギーを持つのかという理解にもつながりますし、その人の未来もまた視野に入ってきます。

 

この感覚が、私に身についたのは、人のネイタルを見ていたからではなく、ずっと前から地震発生とホロスコープの星の動きの関連性を、動的に確認するという作業をずっと行っていたからです。

 

その一部は、先日の

 

 

でも触れています。

ああいう動的な見方をすることで、「焦点」が絞られていくのです。

 

こういう観点だけではない。

 

人の人生というのは、ネイタルに上書きされる情報というのがあります。

鑑定でもよく使う説明なのですが。

「PCなんかでも、Windowsがアップデートされるでしょう?」

「あれと同じです。あなたがもともとWindows10だったというのが、初期の状態でネイタルです」

「でも、Windows10もその都度更新されていく」

「場合によっては、その次のヴァージョンのWindows11になることもある」

「そういう運勢的な変化もある」

 

これは、ただの気休めではありません。

 

私は今、日常的な鑑定でも、ネイタル、太陽回帰、土星回帰、木星回帰など、複数の超短期のアップデート情報を持って、その都度、臨機応変に対応しています。

 

もちろん、ネイタルがそもそもの基礎にあることは間違いありません。

ただ、それを静止(死)画とするか。

いや、そうではない。

生きているダイナミズムの表現だと捉えるか。

 

それでもう、運命解読の視点は、根本的に異なります。

 

そして、占星術を学んでいない人、占いを受け取る側の人にも知って欲しい。

いや、べつに占いを受ける受けないではなく。

毎日を懸命に生きる人には知って欲しい。

 

自分がどこまで上がれるか(社会的ステータスではなく)、どういう変化を迎え、いくつかある選択肢の中で何を手にできるか。

そういったことは、ネイタルを静止画にしてしまうかどうか、ということにも、深く関係しています。

 

人の生まれ、その環境。

これまでの経緯。

 

それを、あなたは静止画にしますか?

 

思い通りにならない人生の中で、家庭や環境、経緯のせいにすることは簡単です。

それらを恨んだり憎んだり、呪ったり、妬んだり。

これもまた、人がはまりやすい。

 

そうなると、過去は静止画。

もはや変えがたい。

現実がどうこうではなく、あなたの認識の中で。

 

もっと自由になっていい。

離れていい。

手放せばいい。

 

離れ、捨てる。

意識の中で、整理する。

 

それができたなら、もはや過去は静止画ではない。

そうすること、アップデートはいくらでも起きる。

 

チャートの節目で。

いや。

それ以上の段階でさえ。

 

 

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