ここ2日間
インプレッサ納車の日に、kira*kiraさんにイタリア産のスパークリングワインをお祝いとして頂きました。
もちろん、ありがたく飲ませて頂きました。
ウメー(*~o~)
しかし、スパーキリングワインって、滅多に飲まないので、その日は轟沈してしまいました。
あらたに我が家の駐車場に収まったインプレッサ君ですが。
納車の当日乗って帰って以来、また一度も動かせていません。(笑)
ちょっと仕事が過密で、それどころじゃなかった。
熊野神社前の池は、今、いろんな花が咲き誇っています。
目を楽しませてくれます。
継続性の大きな力
ここ数日は、何かと気づきが多かった。
一つは、占星術と四柱推命の関連での符合というのか。
こういう新しい発見は、いつも〝喜び〟ですね。
こういうことって、〝継続〟の先にしか生まれない。
毎日毎日、ある観点では〝同じ作業〟をしているわけです。
たとえば鑑定でも、占星術の講座でも。
こういったものって、やり始めたときには新鮮味が強く、発見することも多い。
ホロスコープ上の何かを発見するだけでなく、教えること、伝えることの新鮮味もあります。どうやったらいいのか、というのも、常に気づきがあります。
この〝そうか、わかった〟という感覚は喜びなんですよね。
でも、何年も続けていると、その感覚は薄れてきて、やっていることの喜びは減ってくるものです。
気づくことや喜びを体感をすることも減ります。
でも、そういう状態を単なるマンネリズムとか、良くない状態だと、一概に思い込む必要はありません。
これは人それぞれです。
対比的に解説すると、一番わかりやすいのは、牡羊座や火星の性質を持つ人で、これらの星座や天体は、新しい体験を常に求めますから、新鮮さがなくなると興味も衰えます。平均的な水準以上に。
これは熱しやすく冷めやすいという性格になります。
牡羊座や火星が強い場合、この〝新しい体験〟〝新しい環境〟みたいなものを求めるということが、その人の魂にとって役立つ可能性があります。
こういった特質を強く持つ人がいないと、人類は与えられた環境だけに満足して、新天地を求める意欲がなくなってしまいます。
一方、ルーティン的な作業や繰り返しが性に合う人もいます。
こういった一見、硬直した繰り返しは土星的です。
こういったタイプの運勢や性格は、まさに継続性が重要なのですが。
では、こういう傾向は必ずプラスに働くかというと、そうでもありません。
継続できることは貴いのですが、ただ惰性のように継続するだけだと、そこには喜びがありません。
継続することの中に、より深みや、違った視点からの発見があれば、その継続はよりその人にとって価値あるものとなり、さらに人生に意味を与えてくれる。
つまりその作業が好きだとか、精神的に求めるものがあれば、ルーティン的な繰り返しは、より創造的になります。
たとえば、陶芸家は毎年毎年、土を用意してこねて、造形し、窯に火を入れて陶器を焼きますが。
これはいかにも土星的な繰り返しです(ちなみに土星は土で、陶芸などには関係しやすい)。
しかし、すべてが毎年同じになるわけもない。
同じ土が毎年寸分違わず用意できることもないし、同じ釜でも、その年の気候によっては火の入り方も違う。
窯の中の火など、人間が全部コントロールすることなど不可能です。
同じように作ったつもりでも、ある年はダメで、ある年はいい出来になることもある。
これを営々と繰り返す中で、何かをつかむ。
理解する。
新しい何かを工夫することもできる。
私はひょっとすると、こういう継続性の中に身を置きつつあるのかな、という気がします。
占星術やタロットの練度を上げていく。
継続性の中で、より〝何か〟を見つけていく。
これは刹那的な快感を求めていてはできません。
その一方。
前述の牡羊座や火星の傾向なのですが。
このタイプの運勢や性格のほうが、外見的には継続性を持っていません。
外見的には。
こういう運勢や性格のほうが、劣るのかというと、そういうことではありません。
次々に新しいことにトライしていくといっても、実際には過去の体験がその人の肥やしになっているはずです。
このタイプの性格や運勢が、外見的に継続性を持っていないとしても、その人の中では体験の積み重ねの中で、実は「いろいろやっているようでいて、深いところでは通底しているものがある」こともまた多いのです。
あることでやったことは、どこかで別な何かでも通用したり、本質的には同じだったりします。
新しいことにトライするタイプの人は、この別な観点での〝継続性〟〝共有〟などに意識を向けられたらいいでしょう。
新しいことをどんどんやっていい。
でも、そこに通じているものを見つけ出していけば、その発見自体が喜びになるはずです。
これもまた違った形での継続性です。
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