― the field for the study of astrology and original novels ―
作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として
心の泉から溢れ出るものを書き綴っています
今年の太陽回帰
神仏の加護のあるなし
よく鑑定で、あるいは講座なんかでもそうですが。
どうしたらこの星、このアスペクトを
緩和できますか?
よりうまく使えますか?
というようなご質問を受けることがあります。
もちろん、そのたびに、そのアスペクトや星の配置などの特徴を説明して、アドバイスは致しますよ、ハイ。
とくに厄介なのは、トランスサタニアンたちで、天、海、冥王たちは、ハードアスペクトやコンジャンクションの時は、とてもとても、穏やかとは言えません。
これらも、それぞれに対処法みたいなものはありますが、個人のチャートの特徴に沿った解釈でないと、正確さは欠きます。
あまり定理というか、
マニュアルみたいには行かない。
でも、この頃、思うのです。
もちろんホロスコープのネイタルの特徴を生かすとか、
その時のアスペクトや配置を利用したり緩和したり、
そういうアドバイスも有効なのですが……
神仏に守られている人とそうでない人は、同じレベルのものでも、吉凶が相当違うのでは?
ということを、感じることが増えてきました。
というか、これ、考えてみれば〝当たり前〟の話で。
私は個人的に、神仏の導きみたいなものは感じることがあります。
そう考えないと説明がつかないような、不可思議な巡り合わせとか、何かを回避できたとか、そういう体験です。
前述の冥王星のヤバい太陽回帰の年でも、私は自分が大切にしてきたというか、執着してきたあるものを〝捨てて〟います。
そして、無償で多くの人とシェアした。
この発想がなかったら、冥王星の年はそれなりに危なかったかも知れないのですが、
その発想に至ったのは、ふいっと、そういうものが降りてきたからで、
人間を助けて下さっている上の世界の存在というのは、そういう形で〝良いほうへ〟軌道修正して下さっていることが多いように思います。
危ないときは、対処のための良いアイディアを湧かせるとか、
あるいは行動にストップをかけるとか。
その〝働き〟は多様で、フレキシブルなものです。
そういう一種の恩寵を受けさせていただいてきたので、ここしばらく危なっかしい運勢の時も、うまくクリアしてきたのではないか。
冥王星の時以外にも、2017~8年あたりも、相当にハードな星巡りだったのが、大過なくクリアしてきている。
旧宅にいた頃から、毎日のジョギングで氏神様へ行っていました。
もっとそれ以前から、若い頃から神社が大好きで、いろいろあちこち行きました。
神社に行けば、そこの神様が小さな厄みたいなものを祓って下さるでしょうし。
行かない場合は、小さなものでも、そうした厄が残ってしまったり、蓄積されてしまったり? ということもあるかもしれない。
基本的に神仏は、人を助けてくれようとしていると思うのですが、
その援助の手が届きにくい場合もあるかもしれません。
日頃からあちこち参拝に行き、神様大好き波動を出していれば、援助の手もキャッチしやすいのは当たり前では?
加護も受けやすい。
でも、そういうものとまったくご縁がない生活だと、キャッチしにくくなるのではないか?
意外にと言うか、
私が想像していた以上に、自分は守られてきていたのではないか?
そして、占星術のアドバイスはもちろん有効だけど、
それとは別に何かの凶を緩和して下さっていたり、
また占星術のアドバイスの有効性を頼高める援助をして下さったり、
……
そもそも、加護を受けられているのなら、占星術のアドバイスみたいな方向へ、その人自身が自然に誘導されていたり、自分の発想で「こうしたら良いのでは」とか思いついている。
そうして考えると、やはり神仏と親しみ、ご縁をいただいて生活する方が、絶対、オトクですよ!
(損得優先じゃないけど)(笑)
そういったものに目覚めて生きることができれば、
つまり本当の意味でスピリチュアルな生き方ができれば、
占星術なども、とくには必要なくなるのかも知れません。
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