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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2022年8月14日日曜日

いくつになってもお勉強

今朝の稲荷山。

 

 

ここにお稲荷様が鎮座されているはずなので、近いうちに参拝しようと思う。

 

 

  未解決事案が解明できた?

 

長年の不可解な事案について、あらためて昨日から取り組んでいました。

それは……

あきらかに幸運とされるアスペクト下で、それが不発に終わる

あきらかに幸運とされるアスペクト下で、逆に問題がいろいろ起きる

という現象です。

 

え? そんなことあるの?

と思われるでしょうね。

あるんです。これが。

 

このあきらかに幸運とされるアスペクトというのは、太陽と月に関するものだとお伝えしておきます。

この好アスペクトが発生すれば、普通

 仕事の進展・発展

 事業の立ち上げの好機

 良いご縁・出会い

 子宝を授かる

 良い転機

など、だいたいうまく行く。

これは〝全般〟をカバーするアスペクトなので、人生の中でも屈指の幸運期になるはずなのです。

(この〝屈指〟は、短期的なものではなく、3年程度の期間)

 

これが、うまく機能しないケースがある。

あった! 私にも。

 

鑑定経験上、ほぼ間違いないんですよ。

上記の幸運傾向は。9割くらい。

 

が、自分に限って不発に終わるどころか、完全に頭打ち。

とくに仕事に関しての話。

 

それから、ある友人にも同様なことが起きてました。

こちらは、次々にむしろ問題・障害が起きた。

 

これは、なぜなのか?

 

冷静に考えれば、ちゃんとホロスコープを読めば、

実は、きわめて明らか。

 

私の場合、当時の作家としての仕事の苦境の打開が当時の望みだったのですが。

きわめてニュートラルに検証すると、

「あ、これがあるから邪魔されてる。これもある! こっちもヤバそう」

というのが三つくらい見つかり、太陽と月の好アスペクトを、仕事に関しては見事に邪魔していたのです。

 

これが冷静に判断できていなかったのは、やはり自分のことで、客観性を持っていなかったのだと思います。

ニュートラルな判断ができていなかったというオチ!

なんてこった!

 

 

友人に関しても、冷静に判断すれば、起きていることは全部表示されている。

ただ、要するに「太陽と月が良いからいいはずだ!」という思い込みが優位すぎて、これもまたニュートラルな判断ができていなかった。

なんてこった……

 

きわめて当たり前のことですが。

普通に鑑定すれば、「すごく良いものがあるが、かなり厳しい条件も他にある」ということを言える。

が、自分自身や自分の家族とか、近しいものになると、

お恥ずかしい話ですが、

目が曇ってくるのですね。

(サイキン、ローガンススンデル)←そういう問題ではない。

 

ただ。

はっきりわかっていることがあります。

 

同時期に発生する吉凶のアスペクトは、綱引きされて〝相殺〟されるということはありません。

社会的に成功したいとか、そういう物質的なレベルでは相殺されたかのような結末になることはあります。私がそうでした。

 

しかし、同時期の発生する吉凶のアスペクトって、どちらも〝有効〟なのです。帳消しにはならないことが多い。

(好アスペクトをその人が使わない選択をしたら別ですが)

 

私にしても、該当時期の体験は、その時に社会的な成果には至らなかったけど、のちの占星術師としての布石、あるいは、そういう肩書抜きにして、自分の人生に大きな影響を与えたことは確かです。

具体的には、〝NGな選択をしていたので実らなかった〟ということもあるでしょうし、その時に成果を得られなくても、それは〝貯蓄〟のような形で、思わぬところで芽吹くことがありそうです。

 

この太陽と月の好アスペクトは、その時期に存在するハードな運勢から守ってくれる、ということもありそうです。

 

人間は、この物質的な次元で判断しがち。

「この運勢なら、こうなるはず」

「なんで、それが起きないの?」

「思いっきり努力してるのに!」

ところが、それは一面的な見方で、実際にはもっと多面的。

 

一番わかりやすい事例だと……

たとえば、その年に健康を害するような運勢にあるとして、

でも、トランジットの木星がネイタルの太陽にコンジャンクションとかトラインとか、

そういうすごく良いアスペクトも並立的に存在するとしたら、

もともとのヤバめな健康の問題が早期発見されたり、小さなものでとどまったり、事前に対処できてしまったり、

そうして、なんとなくそのヤバい時期を、木星の加護で過ぎていけるのですが、

木星の幸運期を期待していた当人は、

「なんでいいことないんだ! それどころか、健康面にちょっと問題が出ちゃったよ!」

という感想にしかならないわけです。

 

思えば……

1999年前後の私の〝あるはずだった幸運期〟。

これがスルーされた。

この時に、「なんで?」と思っていた当時の私。

 

未熟。

 

この当時、わからなかったのは、まあ、仕方ないわ。

本当に、その当時は、未熟そのものだったんで。

 

でも、その後、私の事例を友人の事例を、ニュートラル判定できなかったというのは、これは曇っているとしか言いようがない!

 

いかんなー。

こういう状態だから、娘から「父はあたしのこと、ちっともちゃんと見てくれない!」と言われるんだろうな。

 

なんにしても、まずいのは、

ニュートラルになることを阻害する、〝思い込み〟だわ。

 

いくつになってもお勉強。

還暦の年でもお勉強。

 

これな!

 

 

 

 



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