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2019年5月25日土曜日

前世の導火線 part.1

ちょっとお恥ずかしい過去のことも含めた記事を書きます。
誰かの役に立つこともあるかも知れませんし。

私は自分の心を、かなりの部分、コントロールしてしまえるタイプです。

喧嘩を売られたり、挑発されたり、非難されたり、ということには、かなりの耐性があるみたいです。
まったく怒りが湧かないという意味ではなく、怒りはあっても制御するし、場合によっては怒るどころかすごく冷めた感覚になることもあります。
ケース・バイ・ケースですが、相手を突き放したり、「切る」という対応をせざるを得ない場合、怒りを装うことさえあります(つまち、本当は怒っていない)。

しかし、このあいだ、ルミネセンツァでランチをしながらの会話の中で、ふと思い出したのです。
私って、中学生の頃は、かなり喜怒哀楽が激しかった。
そして、本気で憤っていた事案がいくつもあった、と。


たとえば先生が喋っている、授業をやっているのに、教室がzawazawazawazawa……

ぜんぜん話も聞かない、授業が授業として成立しない、というような雰囲気になったときに、いきなりぶち切れていました。

「先生の話を聞け」「おまえらが騒ぐと、真面目にやっている人間が迷惑するんだよ」というような切れ方です。

周囲に怒鳴り散らし、教室がシーンとするや、座っていました。

いや、ホントに。


かといって、私が中学時代に優等生、模範生だったのかというと、んなことはあるわきゃなく。(笑)

むしろ、劣等側でした。

成績も中の下くらいでしたし。

授業中にも、自分の書いたおかしなストーリーを悪友達に回して読んでもらったり(すでに、この頃から書くことは始めていたが、とても恥ずかしい内容で、さすがに今、人には言えません)(笑)。

まったく褒められません。

ですが、よくよく思い出すと、この中学時代には、いろいろ「怒りを爆発させた」の記憶があるのです。

たとえば、同じ塾に、同じ中学の同級生が通っていたのですが。
こちらが善意で接していると、あるときその同級生が、私を見下す発言を繰り返すようになりました。

「平民が」
と。

とりあえず、彼は自分がランクが上の市民であり、私のことは「平民」「平民」と侮蔑的に連呼し続けるようになりました。
※ 今の感覚では、このようなことを学友に言えるというのは、ちょっと理解しがたい方もいらっしゃるかも知れませんが、これはリアル(現実)です。

今思い返すと、この同級生のことがいやで、私が塾をサボって、親に絞られたことがあるのですが……(笑)

この同級生に対しても、ものすごく怒りを覚えていましたし、あるときは怒りをぶつけた記憶があります。

ほかの学友との付き合いの中で、わけのわからない理不尽な対応をされたことがあり、そのときもぶち切れた記憶があります。

中学時代に、しょっちゅうこんなぶち切れをしたわけではなく、何度か、際立ったときにあった、という話です。


小学校で、私は結構いじめの対象だったのですが。

中学時代では、そういう理不尽な対応に、いえば、相手が引くくらいの怒りをぶつけたことで、そういったことはなかったように思います。
(暴力などは使っていません)

私を平民呼ばわりした同級生に対して抱いた怒りも。

今、冷静に考えると、自分が侮蔑的な対応をされたから怒りを抱いたというよりも、
彼が本質的にはなんの差もないはずの同級生に対して、差別的な態度で人をおとしめて喜びを感じているということに怒りを感じていた、
のです(この平民がぁ~、というとき、彼は侮蔑的な笑みを浮かべていた)。

つまり、世の正義に反する、という感じ方で憤っていたのです。
こりゃ、まさに火のエレメント的な怒りですよね(私は火の射手座生まれ)(火のエレメントは正義感に結びつく)。


中学時代の私の学校生活を振り返ると、劣等生的であった自分の行いと、自分が正義感を持って他者に対して行った糾弾には、厳密には矛盾があります。
おまえが言うな、といわれたら、ハイ、スミマセン……だったかも。

しかし、たぶん、この頃から、どこかで「これ以上は許されない」という線引きがあったのだろうな、と思います。

いわば、ジョークやいたずらの範疇で済むことと、そうでないこと、みたいな。
これは、当時の私の子供っぽい、勝手な判断に過ぎないと思います。
この時期のとことはいえ、この記事の中で正当化する意図はありません。

当時の本人がそう感じていたという話です。



こういった理不尽な差別や侮蔑。
あるいは力(立場とか暴力とか)で他者へ行うさまざまなハラスメント。

こういったことは、今でも自分の中に、憤りの導火線としてあると思います。

たとえば。
いじめで自殺した子が現にいて、いじめが存在している証言があっても、それをなかったことにしようとする学校側の隠蔽体質とか。
そのような報道を見ると、この導火線に火がつくことがあります。

むろん、真偽が究明されない間はグレーゾーンなので、そこで私がなにがアクションを起こすことはありません。
究明されて「いじめ」が認められたからといって、社会的制裁の尻馬に乗ることもしません。

ただ、憤りのスイッチというか、それは、そういったところにあるわけです。

その根源は、私は「冥王星」ではないかと思っていました。

冥王星こそ復讐の星でもあるからです。

……part.2に続きます。


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