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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2019年12月2日月曜日

流れに身を任せれば幸せになる

昨日の朝、ジョギングをして神社にたどり着き、静かな境内に立ったとき。
ちょっと不思議な感覚になりました。

ふと今の自分の状況に感謝を覚えました。
生かされている喜びというのか。
当たり前に生活できている幸せというのか。
(過去には、極限的な修羅場もあったので、当たり前に家族で生活できているだけでありがたいと思ってしまう)

と同時に、いろいろなことが頭を巡りました。

それを一言で言うと、
流れに乗って生きていればいいんだ
というようなことでした。

それは「流されて生きる」ということとは違います。
周囲に迎合したり、自分を見失って、ではない。

おそらく、誰にもその人なりの「流れ」がある。
それはきっと、水がいろいろな形状の大地の合間を、自然に流れ落ちるようなもの。
「正しい流れ」というと、何やら道徳とか倫理とか、そんな感じになっちゃうので、「本来の自然な流れ」「摂理の流れ」というべきかな。


Kazuyakoさんによる写真ACからの写真 

ところが、人間にはエゴがあるので。
個人の想い、願い、欲、場合によっては打算なんかで、その流れからあえて外れようとしちゃう。
こうしなきゃいけないという固定観念であったり(親や他者からすり込まれたものだったり)、自分のコンプレックスを覆すためであったり、何らかの自己評価を得たいがためであったり。
あるいは恐れからであったり。
他人との比較であったり。

諸々……
その人の事情の中で、この流れに逆らったり、そこから逸れようとしたり。

そうすると、かえってうまく行かない。
幸せから、逆に遠ざかる。

というようなことが起きるのだな、過去の自分にもそういうことがあったな、というようなことを実感として持ったのです。

むろん、逆らうことあがくことも、プロセスとしてあっていい。
また戻って来られる。
戻ってきたらいい。

思えば……

これをいうと、衝撃の事実かも知れないし、「嘘言うな!」と非難されそうなんですが。

じつは、昨日の朝、私は
自分の人生で、自分のエゴの思い通りになったことなどないのではないか
と気づきました(物質的な小さなことを除く)。

……

いや、それはないだろう。
お前は前に有名な小説の賞だって取っている。それは思い通りだろう。
今だって占星術研究家として、そこそこいいセンじゃないのか。

というご批判が聞こえてきそうなのですが。

あ、これ、一応、私の個人体験ですので。
どんな人にも当てはまるかどうかは別ですので。
そのご理解のもと、読みたい人は読み進めてくださいね。


作家のことですが、よくよく考えたら、まあ、確かになりたいとは考えていたのですが、プロになる前に自分が抱いていた想いというのは、
「なりたいという欲望」ではなく、どっちかというと、
「自分は作家になるだろう」という一種の確信とか予感とかいうものでした(これは前にも書いたことがあると思います)。

つまりがっつり作家になりたい欲求で動いていたのではなく、自分の中にあった予感に突き動かされていただけ。
何らかの賞を得るということも、そのプロセスの中で、場合によってはそうなるかもしれない、というような感覚でした。

結局、よくよく精査すれば、私はこの作家の部分についても、「流れの中にいた」のです。それを感じ取っていて、そのための行動を起こしていた。

作家として凋落し、なんとか復活しようとあがき続けた時期もありましたが、これこそがエゴというのか、まあ、エゴの欲とかいうよりも、生活のための切実なものだった感じですが、
こういうふうにあがいていて、うまく行ったためしがない。

長くホテルでアルバイトで働き、お客さんもついたりして、ある程度貢献している状態で、もう作家の扉は再び開きそうもないとわかりかけていたとき。
ホテルで大量に退職者が出て、人手が足りていないのに、「せめて契約社員にして欲しい」と願い出たら……

却下!(笑)

うそ、なんで……???

これも、「あがき」の一つでしたが、なぜか通らない。
これも「流れ」じゃなかったんでしょうね。
今にして思えば。

占星術研究家、占いのプロとして旗揚げしたのも、むろん無償で鑑定することはどうなんだ?という状況もあってのことですが、こういうあがきの作業の果てに、もう他に自分にやれることといったらこれくらいだよな、という選択でもあった。
占い師になって儲けてやろうとか、有名になろうとか、そんなことは、まったく夢にも思っておらず。
にもかかわらず、やり始めたら、思いがけず、周囲にいた人が多く支援してくれ、縁も得て、広がっていき、ブログも読んでいただき、今日に至るわけです。

つまり自分のエゴ的な欲とか望みでは、何も成就していない。
むしろ、そんなものと無縁であったときのほうが、うまい具合に「流れ」に乗っているのです。

これは前述のように、私個人の体験する感覚なので、他の方も同様とは考えません。
とことん自己のエゴの発する欲求や成し遂げたいことに突き進み、成果や達成、勝利を得る目的の人生(魂の計画)もあるはずだからです。

ただ、自分の場合は、ああなりたい、こうしたい、では解決しなかったということなのです。
そして、同様なパターンの方は、おそらく相当な数、存在しているはずなのです。

このようなチャートの特徴は、完全ではないですが、ネイタルで読み取れます。
いくつかの複合アスペクトやある傾向の天体の影響が強い場合、こういった一種の「強制力」が発生します。

強制力というのは、ああしたいこうしたいというエゴにとっては、事態や人物を突きつけてくるので、そのように感じられるだけです。
実際には、これらの多くは、大きなパワーが潜在しており、恩寵もある。

この恩寵というのが、「流れ」に沿った行動を取れたときに発生します。
もしかすると「流れ」が、たまたまエゴの望みや衝動に合致することもあるのかもしれませんが、ただ、研究を重ねるほどに、たとえば大きな成果、成功を収めている人ほど、この「流れ」に身を任せているのではないか……
という感触は得ています(むろん、そのための努力は惜しまない)。

またこのような奇跡的な「流れ」が、ネイタル以外の後天的なある時期に発生することもあります。

何かがうまく行っていない。
どうしても望んでいることが叶わない。

そのような状態は、誰にも起きえますが、そのようなときは一度、自分の抱えている望み、執着、あるいは考え、こういった膠着したものを、一度捨ててしまうことが有効だと思われます。
(これについては、過去、同様な主旨の記事を書いたことがあります)

しょせん、なるようにしかならない。
いや、本来、なるようになるものを、逆に遅らせているのは自分かも知れない。

もっとも、あがくことも無駄ではない。
と思っています。
「あがいても無駄」と知ることが「無駄ではない」場合もあります。

でも、本当に、私の人生は
なるようにしかなっていない
自分のエゴの意志など、結局通っていない
のです。

で、それでいいいんだと胸落ちしたした次第です。

あ、いや。
私にもエゴを通したことはありますよ。
たとえば、バイクの「カタナ」が欲しいとか。
このようなもっとも物質的な部分は、エゴは通しやすい。
だって、そのための対価を稼げばいいんですから。

ここで問題にしているのは、もっと大きな人生の道筋とか、本質的な喜びとか、そういうところにつながるためには、という一つの提言です。
あくまでも、「一つの提言」ですから。

これが絶対に正しいわけでもないと思います。

皆さんにも、それぞれの「流れ」があるはずです。

その流れに乗ってください。
そのためには、その「流れ」がどこにあったのか、思い出す必要があるかも知れませんし、見つける必要もあるかもしれませんが……
何よりも

本来の自分に戻ること。
考えすぎていたのなら、考えないこと。
感じること。
喜びとすることを行う。

そんな中に、カギはあるように思います。


令和の最初の12月。
「12月の日本と全体傾向」の中で触れた、新しいサイクル。
そこで皆様が、ご自分の流れに入っていけますように。


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