〝喜び〟ある人生を生きる。
誰でもそのように生きたい。
ところが、ままならないことがあります。
というのは、〝喜び〟は自分の願いと表裏であることが多い。
要するに自分が願っていること、望んでいることがかなった状態になることが、喜びある人生ということになります。
逆に言うと、願いや望みが叶わないと、喜びがない、という状態に留まる可能性があります。
何当たり前のこと言ってんだ、と思われそうですが。
この〝当たり前すぎること〟をはっきり認識することが大事です。
なぜ自分が喜びから遠ざかっているように感じるのか。
喜び溢れる人生を生きている実感がないのか。
そのほとんどは、願いが叶わないという状況のために生まれています。
たとえば、アスリートとして一流になりたい、頂点を極めたいという願いを持って取り組んできて、しかし、いろいろと故障とか怪我とか、何らかの事情で月日を要し、気づいたらもうアスリートの頂点で競える年齢でなくなってしまうこともあります。
残酷ですよね。
こういった活動は、肉体年齢が非常にものをいうので、いかに努力と研鑽を積んでも、ある年齢を超えると、もう頂点は望めないという現実があります。
このアスリートの話は、極端に思える事例でしょうか?
たしかにトップアスリートを目指す人というのは、全人口の中できわめて少ない。
が、これは程度の問題でしかありません。
人はそれぞれの立場、環境の中から、自分の望みを実現しようとします。
それは、たんに温かい家庭を持ちたいという場合もあるでしょう。
トップまでは行かなくても、社会的に大きな業績を上げたいとか。
特定の職業に就きたい(医者になりたい、弁護士になりたい、アナウンサーになりたい、科学者になりたい、作家になりたい……無数)。
人は、それぞれの環境の中で、自分の個性の中で、なんらかの望みを抱きます。
それが、世間的な観点で大きな望みもあれば、ささやかに見える望みもある。
でもね、大きな望みもささやかな望みも、じつは、人の魂にとっては、大きいもささやかもない。
ささやかな望みが叶わない場合、とても悲劇的になります。
「こんな自分の、当たり前なささやかな望みも叶わないなんて! 自分は不幸だ!」となります。
たとえば社長になるとか、プロの作家になるとか、その人にとってビッグな望みが叶わなかった場合、当人には逃げ道がそこそこあります。
「いや、そもそも願いが大きすぎたんだ。自分がそこまでいける環境に恵まれなかった」とか、「この時期に邪魔する出来事が多かったから、達成できなかった」「成功には時の運も人の縁も、才能も必要。才能はあったけど、他が揃わなかった」とか。
これは、現実にそうかも知れませんし、客観的な事実かも知れません。
でもね。
こういう望みが、現世的に大きいかささやかか、なんていうのは、人のエゴの評価であって、魂にとってはすべての現世的な望みは、〝等価〟です。
大きな望みかささやかな望みかなど、魂にとっては無関係。
人はこの地上に、それぞれの目的を持って生まれてきます。
人がこの世に生まれる究極の目的は、〝感情〟を味わうためです。
もちろん、何らかの体験を積むということがあるのですが、なぜいろいろな体験を積むかというと、それぞれの状況や立場の中でしか味わえない〝感情〟があるからです。
その〝感情〟の中には、挫折感や絶望、失望、悲哀といった、負の感情もあります。
その〝感情〟の中には、達成感や希望、歓喜といった、正の感情もあります。
私たちはそれぞれの魂の段階で、それぞれにその時に必要とする〝感情〟を体験するために来ている。
この比率がどうかという判断はしにくいですが、ホロスコープの基本的な原則から判断すると、やはり負の感情を体験する経験のほうが多いはずです。
これは生まれ変わりの科学的な研究でも報告されていますが、現世は思い通りにならない世界で、そこへあえて思い通りにならない体験をするために、魂は生まれてくる。
とすれば、負の感情を体験しやすいのは当然ということになります。
それが、どこのスポットに当たっているか、というだけ。
つまり現世的に大きな望みか、ささやかな望みか、あるいはその中間どころか
……という無限の段階での様々な望みがあるわけですが、叶わない場合に抱く失望とか辛さとか、本当は〝感情〟が魂が求めているものなので、現世的な価値観での判断は意味を成しません。
大きな望みが叶わずにガッカリするのも、
ささやかな望みが叶わずにガッカリするのも、
魂にとっては、そのガッカリ度が同じなら〝等価〟です。
そして、魂はどうやらガッカリのほうの〝感情〟をそもそも求めやすい。
「えー?! そんなんなら、生まれたくないわ!」
「そうと知っていたら生まれんかったわ!」
ご意見ごもっとも。
まあ、魂は知っているんですけど……。(笑)
知らないのは、この物質世界に生まれた私たちの小さなエゴだけで。
でも、このようにお伝えしてくると。
望みを叶える型の〝喜び〟のほうが少ないことは、ご理解いただけるのではないでしょうか。
でもね。
この望みを叶える型の〝喜び〟って、じつは、
とてもはかない!
側面も強いのです。
なぜ、現世的な喜びですから、
・トップアスリートとして成功しても、それは長くは持続できない
・社長になれたけど、裕福になったことで、当たり前の価値観を失う
・医者になるとか作家になるとか、特定の目標は達成した瞬間に終わっている
とか、ある望みを叶えることには、常にマイナス面が表裏で存在しています。
これらは、非常に物質的な〝喜び〟に近く、そのために刹那的な側面が常にあるのです。
どれも達成しても、その場限りで、次の設定をしないといけない喜びで、それを常に体感しようとするなら、〝喜びを得るための自転車操業〟みたいな状態にもなります。
これは、逆に、いずれキツくなります。
じつは、もっともハードルが高い望みというのが、現世的にはささやかに思えるものであり、それは
・愛する人との永続的な関係
です。夫婦とか家族とか、仲間とか。
温かい家庭を築く、とかいうのは、世間的にもっとも小さな望みの一つに思えるかもしれませんが。
じつは、刹那的な望みではないので、これは達成のハードルが高い。
この望みを実現できている人、家族などはたくさんいるように思えます。
実際、かなり増えた?とも思えます(私の実感です)。
が、魂の計画で求められる〝感情〟の多くは、対人関係の中から発生し、対人関係はホロスコープでは7ハウスであり、これは結婚の部屋でもある。
結果的に、結婚相手とか、パートナーが一番の学びの対象となりやすいわけで、そこはすんなりうまく行く、というケースのほうが、絶対数としては少なくなります。
つまり。
ささかやに温かい家庭や夫婦関係を築きたい
という願いが、じつはなかなかにハードルの高いものだったりします。
逆に言えば、すごく叶いにくいものの代表格なのです。
このようなことをお伝えするのは、「ささやかな私の願いがなぜ叶わないのか」と悲嘆するケースもあるので、そこをこじ開けて次の記事を読んでいただきたいからです。
次回、できたら、誰もが喜びにいたる、ということで書きたいと思います。
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