驚きを交えつつのご報告。
一人芝居「Bar Sidecar」の上演を終えました。
昨日は2回目3回目の上演だったのですが。
初日に比べると、格段に役者さんが良くなっていた。
もちろん初日も良かったのですよ。
私の見方が、たぶんちょっとだけ厳しめなんですが。
〝頑張っている感〟があった。
1話の女優も2話の男優も。
それでも、本当によく頑張っていて、難しい一人芝居を飽きさせることなく見させる力があった。
女優は目の演技がうまく、本当にそこにいる人物と会話している雰囲気を巧みに作り出していた。
男優も終止、一種の緊迫感があり、次の展開を楽しみにさせてくれた。
あそこまで仕上げてきたのには、演出と彼らの努力と工夫があったればこそ。
もう客観的には、十分及第点なのです。
が、2回目を観て、「あ、役と俳優がうまく一致してきた」と思ったのです。
要するに〝一つになった感〟が出てきて、無理に頑張っているような印象がなくなり、空気が変わった。
演じる、とうのではなく、自然にその役になれている、というのか。
女優さんに関しては、「もう少しこういうところが見えたらな~」というのがあったのですが、私は練習に参加しておらず、今さらそこを言うのもなあ、と思っていたら、3回目の千秋楽でそれが出てきた!
こりゃ、驚きだ。
(私は言っていません)
「Bar Sidecar」
いいお芝居に仕上がりました。
アーカイブ配信もご期待下さい。
1,200円という配信料(もともと安い)ですが、その料金を払ってもらう価値は十分にあるものでした。
昨日の2回上演の前に、会場近くの白龍稲荷神社でお祈りしてきました。
ゼファーのお芝居
☆一人芝居 Bar Sidecar アーカイブ配信→詳細はこちら
(ゼファーが第2話の台本を書き下ろしています)
街の片隅にある小さなバーでの人間模様を切り取った一人芝居。
当日チケットだけでなく、ネットでのアーカイブ配信も行います。
あなたも、どうぞ、サイドカーへお乗り下さい。
今日は、ちょっと。
余談的に、ある国のトップについての……
独り言をボソボソ……
(日本でないことだけは明言しておきます)
本来、人には運勢的な波があり、それにはなかなか抗いがたいことが多い。
ヒラリー・クリントンしかり、ドナルド・トランプしかり。
人には〝失うべき時〟というものが存在します。
〝手放す時〟といってもいいのですが。
この〝失うべき時〟をうまくやり過ごす方もいます。
たとえば、安倍晋三さんはこれをうまくやり過ごし、長期政権となりました。
(この善し悪しは論じていません)
が、彼の場合、その時期に支援される運勢的な風もあり、これは説明できました。
でも、中にはいらっしゃるように思えるのが、失うべき時なのに、何も手放さない、むしろ権力を集める(強める)動きに出る……
というタイプのかたも、国によっては存在するというのか、
たぶん国によっては存在し得る、
のでしょうね、
自分に敵対する存在を潰したり、芽を摘み取ったり。
つまり〝そういうことができる〟体制でないと、こういう運勢的な波を現世的・物質的に押し返すことはできない。
が。
どうなんでしょうね?
本来、失う、手放す、という時期があり、それをキャンセルし続けたら?
その反動は、ものすごく大きなものとなりはしないか?
ここが懸念されます。
幾度もキャンセルし続ければ、こりゃ、一市民単位の話じゃないので、
とても大きな事態を反動的に引き起こさないか?
ということです。
まあ、独裁とかいうの体制は、その独裁色が強くなればなるほど、危機的になり、やがて瓦解するというのが世の摂理です。
だってねえ?
そんなの、ずっと続けられるわけもない。
「平家物語」も、冒頭でそう言っています。
〝おごれる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし〟
〝猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ〟
人って、ある面では確かに進化し、学んでいるように思えますが。
人の愚かさもまた、昔から変わらないのですね。
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