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2022年6月23日木曜日

夏至の弾丸参拝 その2

弾丸参拝の疲れを取るために、昨日はジョギングをサボりました。

今朝の朝日と蟻峰山。

 

 

前の土日に田植えを終えたところが多かったようで、すっかり風景が変わっています。

 
 

  籠神社と元伊勢内宮

 

kira*kiraさんの昨日の記事。

 

 

時系列としては、私の昨日の記事と今日の記事が、本来の流れです。

kira*kiraさんの場合は、「昨日の記事」の出来事が後で、「一昨日の記事」の出来事が前です。

 

お昼の蕎麦の後で、籠(この)神社へ。

 

 
お久しぶりでございます。
お! 茅の輪を用意して下さってる!
 
もちろん、全員、ここをぐるぐると作法に乗っ取ってくぐります。
全員、くぐり終えた後、ウミネコポーズ。(笑)
私も、初めてしてみたわ。

 

籠神社の中のほうは撮影禁止なので、写真はございません。

ですが、今回初めて、ちょっとある種の方々には興味深いエピソードを語らせていただきます。

 

1999年の取材時(ミステリ・イベントの小説制作のため)。

籠神社の海部宮司様とお話をさせていただく機会がありました。

お元気にされているだろうか……

(もう代替わりされているとは思うのですが)

 

実は、籠神社。

匏宮(よさのみや)と古く呼ばれていて、匏というのは「よさ」とも「ひさご」とも読みますが、ひょうたんのこと。

ひょうたんには昔、水、酒、穀物などが入れられていました。

もちろん、水との関係が非常に深い。

 

天吉葛命(あめのよさづらのみこと)という不思議なお名前の神様がいらっしゃいます。

 

じつは、この御神名は、私にとって親しみ深いもので、よく足を運ぶ地元の早瀧比咩神社の祭神は、「瀬織津姫命 速秋津比賣命 天吉葛命」なのです。

なんだろう、といろいろ調べていたら、天吉葛が籠神社の古名である匏宮につながっていて、しかも瀬織津姫命というのは、どうやら天照大神の別な御名であるらしい。

つまり早瀧比咩神社と籠神社というのは、ほぼ「同体」と言える神様を祀っているような感じなのです。

 

その背景には、海部氏、安曇氏とか、海の氏族が深い関係を持っていて、龍神とも関係が……

というようなことを話していたら、海部宮司は驚いて、

「あんた、それをお一人でお調べなさったんか」と。

 

(はい? 調べましたけど?)

(ていうか、いろいろな先人の書物や調査結果をつなぎ合わせただけですけど?)

 

というようなやりとりがありました。( )は心の声ね。

取材時に籠神社で「元初の最高神と大和朝廷の元始」という海部穀定氏の著作を購入しているのですが、その中には、

「匏は天吉葛(あめのよさづら)のことである」

「瀬織津姫は天照大神の別名」

という記述があります。これは後で確認しました。

 

なるほど。

こういう、あまり知られていない情報を事前にリサーチして、早瀧比咩神社と籠神社、海の氏族と龍神のつながりなど言及したので、驚かれたのでしょう。

実際には、海の一族を通じて、籠神社から岡山の早瀧に繋がったのか?

あるいは天女伝説には、内海から丹後へ、みたいなルートもあったみたいなので、どっちがどうとはいいにくいのですが、少なくとも明白な歴史上は籠神社が圧倒的に古いのです。

 

それと……

これ書いていいんかな?(笑)

 

ま、余談てことで。

 

私 「では、最後に一つお尋ねしたいことがあります(居住まいを正し)。真の天照大神は岩戸の外に出ていないという話を聴いたことがあります。宮司様はいかがお考えでしょうか」

 

海部宮司は、ヒクッと片方の目尻をつり上げ、かすかにですが、表情で笑ったのです。

「若造がこしゃくなことを言いよるわ」みたいなお顔。

しかし、憎々しくも思っていない、みたいな。

 

宮司 「さあ、天照大神が岩戸の外に出ておられぬとしたら、それは大変なことですなあ」

私 「(悟りました)ありがとうございました」

 

みたいな、やりとりがあったのです。

こざかしいやつ、みたいに思われたのでしょう。

当時、私は36才。

海部宮司から見たら、ひよっこもいいところだったでしょう。

 

そんなことを思い出しつつ、真名井神社へ。

こここそが、籠神社の原型。

 

 
このように匏宮大神宮と古名が。

 

 

鳥居に横には、狛犬ならぬ狛龍が。

 

 
ここが、本来、水の神、龍神などと関連が深いことを語っています。
(中のほうは、やはり撮影禁止)
 
その後、大江山の向こう。
元伊勢内宮へ。

 

 

ちょうどご神事の終わり頃でした。

 

 

 

龍じゃん!

 

 

ご神事の炎はいいですね。

 

 

その後、天岩戸神社へ向かう途中。

日室ケ岳の遙拝所にて。

 

 
天岩戸、撮影。

 

 

ここは、いつ来てもええなあ。

 

 
初めて訪れた1999年の衝撃体験。
それ以来、私にとっては聖地です。
(前にこれをこのブログで書いたかどうか記憶が怪しいのですが、スピ鈍の私でさえ、これは神秘体験以外の何物でもないと、頭をどつかれるようなショックがありました)
(人生で初めて、リアルに〝神〟を意識して震えた瞬間だったかも)
(それについては、今日は触れません)
 

そこから遙拝所へ戻ると、すでに夏越しの神事が始まっていました。

 

終了後、日室ケ岳に光が増してきました。

 

 

 

この御山に太陽が沈むところは見たかったけど、それは叶わず。

「最強の晴れ女」の奥さんが同行しても晴れなかったというのは、やはりこの夏至の神事に特別な事情、多くの人がここへ集まるからこその、何かがあったのかな、という気がしています。

あるいは、世相に関連しているのか。
 
そうそう!
 
長年疑問に思っていたのですが。
今回、初めてそれに納得の答えを得ました。自分の中で。
 
天吉葛命とはなんなのか。
なぜ、ひょうたんに関連した御名なのか。
匏宮(よさのみや)と呼ばれたゆえん。
 
単純なのです、たぶん。
気づいてみれば、アホみたい。
 
籠神社の位置する宮津湾自体が、ひょうたんみたいな形なのです。
そして、天橋立でへだてられた外海と内海。
この構造自体が、ひょうたんです。
(天橋立の両端の山の上から視覚的にも確認できる)
 
天吉葛命というのは、この地でないと成立しない御神名なのではないか。
とすれば、この神の本質的なルーツは、やはり丹後にある。
 
また、水は人の命を繋ぐもの。
すべての源。
 
これを昔はひょうたんに入れていたわけです。
私たちは真名井神社でご神水を頂戴して帰りましたが、ペットボトルに入れて帰りました。
しかし、昔はひょうたんだったのです。
これほど重宝したものはない。
 
この地の神聖な水をいただくのに。
その水を分け与えてもらい、持って帰る。
ひょうたんが、御神名になっていったのには、そんな下地があるのではないか。
 
と、またこざかしくも考えました。
海部宮司、お笑い下さい。
 

 

 



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