今朝の朝日は、どーしたの? というくらい、でかかった。
朝ご飯に、赤米が入っていました。
この中で、私は1999年に取材で籠神社の海部宮司とお話ししたときのことを書いているのですが。
これは、事実このような会話がありました。
(旧宅のどこかに取材時の録音テープか何かがあると思うけど、もはや聴ける状態かどうか分からない)
研究や伝承が真実かどうか、それはスピリチュアルな情報(信頼に足る)との両方が合致したときに、ようやく「信頼度が高まった」という状態になるわけで。
私の中で、信頼度が高いのは、素戔嗚尊=大山祇神という情報です。
これは神社伝承学の研究と、信頼できる霊的情報が一致した。
しかも、この一致だけではなく、もともと私はスサノヲ系の神社にすごく惹きつけられていた。
中学時代から、です。
早瀧比咩神社は中学の通学路にあり、どちらかというと、川を挟んだところにある素戔嗚尊神社が好きだったのです。
出雲に行くときも、八重垣神社や熊野大社や須我神社、須佐神社。
この猛烈に惹きつけられる、帰巣本能みたいな感覚がどこから来るのか、ということを考えたら、もともと生まれ育った集落の氏神様が、山村神社の大山祇神で、それが素戔嗚尊だったから、と考えたほうが、ストンと納得します。
現に今の住まいも、これはまったくはからずも、なのですが。
地区の氏神様は荒神社だった(引っ越し後判明)。
荒神様は素戔嗚尊ですから。
しかし、素戔嗚尊は、他に午頭天王と同一とされますが、それが本当なのかどうか、私も判断が付きかねています。
こういう自分の中にある感覚も、大事にすべきかなと思います。
瀬織津姫は天照大神の別名ではない、違う存在だというのも、こういう感覚に拠ったものです。なんか、違う感じ。
もちろん、神話上のこと、御神格というのも大きい。
(もともと一般的には、ほとんど接点はない)
なんで、こんなことを書いているかというと、こういう霊的なことは真実がわかりにくく、「言った者勝ち」になる可能性もあるからです。
誰かが情報発信すると、それが今では真実であるかのように受け取られる可能性もある。
今やブログやSNSでいくらでも情報発信ができる。
とくに、「よく分からない神様」というのが日本には多数、存在しておられます。
御神名は昔から知られているけど、
その土地で古くから信仰を集めているけど、
とくに神話上のストーリーもないという場合、どういう神様かさっぱり分からないわけで。
私の一昨日の記事を読んだ方が、そのまんまを受け入れてしまう可能性もある。
この点、ちょっとうかつな書き方をしてしまった。
それは、あまり良くない場合もあるだろうと思います。
あれは、あくまでも〝その当時の〟自分の得ていた情報であり、間違っている可能性もあるし、むしろ違っている可能性が高いと今は考えている、ということを訂正というか、補足記事として、本日書かせていただきました。
そもそも、丹後半島あたりの神話はすごく混沌としていて、考察の対象としてはこの上のなく魅力的なのですが、考えても考えても真相は見えてこない。
意図的に隠されている部分もある(これは確実に思える)。
そういうところに、ある程度関わっているわけで。
安直に「こうだ」と思い込まないほうが良い。
〝なんかおかしい〟
〝ちょっと気持ち悪い〟
こんな普通の感覚は大事かと思います。
この感覚は、ニュートラルであればあるほど、有効に働くと感じています。
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