今朝は、ちょっと普段と違ったことをやってみました。
いつもよりも寝坊してしまい(この頃、なんかよく寝る)、出発時刻も違ったので、
その時刻に良い方位へのジョギング
に切り替えてみました。
そこで、浮かび上がったのが、新居の地区の氏神様である荒神様。
ジョギングでお参りするのは初めて?だったかな。
それから、いつもと同じくらいになるように、ぐるりと走ってきました。
ちょっと、このパターンで走るルートを日替わりにしてもいいかも。
(実験です)(笑)
オリンピックをずっとは見ていられないのですが、情報番組やネット情報で見ていて……
思うこと。
人には、しばしば、〝理不尽な〟運勢が襲います。
本人に、道義的にも、現実的にも、なんら〝非〟はないのに、降りかかってくる災厄というのか、
「なんで?」と思うような出来事。
運勢には、実は
〝内的な動き〟の結果、人生上に現われるもの
〝外的な動き〟で降りかかってくるもの
があります。
私の場合、近年、これを強く感じたのは、ある年の1~2月でした。
このとき、私にはトランジットの土星がまる乗り状態で、
「おいおい、なにやらせてくれとんよ」
というような状態で、仕事上も極限、メーターが振り切れるくらいの集中と労力の注ぎ込みが必要でしたが。
まあ、私はそもそも「土星」には、相当な抗体がある人間で、やれちゃうんですよね。
ただ、究極の理不尽は、やっぱり〝人〟として出てきました。
たとえば、災害とかで被害を受けるのは、理不尽ですが、受け取るしかないじゃないですか?
でも、そのきわめて迷惑な現実をもたらしたのが〝人〟の場合、
そして、その人によって自分が理不尽な仕事をしなければならないとしたら?
これは、納得はしにくい。
ましてや、私の場合、極限的な努力をして、それをクリアにした直後だったので、たいていのことは受容できる自分でも、さすがにこれは……
感情に火がつきました。
あ、あれこれ書いていますが、べつにいまだに感情的に根に持っているとかではないんです。
ただ、トランジット土星は、いかに耐性を持っていても、
しばしば、その人なりの受け入れがたい理不尽さを突きつけてくることがある、ということを申し上げたいわけです。
土星は、この世に規則や制限、義務、あるいは「権威」なども表現します。
たいがいですが、この世の中で、きわめてリアルで強制的で理不尽な圧迫を加えてくるのは、「土星」です。
たとえば、パワハラとかセクハラなど、ハラスメントには土星が関与することが多いのですが。
土星が悪いわけではない。
土星には、この星でなければ果たせない、ある意味で現世ではもっとも重要な役割がある。
が
が!
オリンピック・シーンでまで、このような理不尽さを見たくないな~と思います。
夢の場じゃないですか。
アスリートたちの夢だけではない。
私たちだって、夢を託しているんですよ。
そこに、なにか現世の思惑をあちこちに介入させて、
選手たちにとっては、その選手生命にも関わるような、致命的な傷を負わせる。
そういう意図があるなしに関わらず、そのように解釈されかねない介入の仕方をする。
こんなことで負けないでほしい。
私たちの夢まで背負って、これからも翔んでほしい。
次の扉を開いてほしい。
それはね、オマエが開けなくていい扉ですよ。
なぜなら、野菜室なので、オマエが好きなものは、何も入っていないのです。
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