京都での鑑定会を終えた翌日、14日。
私は霊峰、伊吹山へ取材に向かいました。
この日に取材を行ったのは、ヤマトタケル終焉の地に関わる三カ所の神社と、ヤマトタケルの死の原因となった伊吹山。
実はこの御山、今年金沢に行ったときに、高速道路上から見て気になっていたのです。
なんとなく、「ああ、あれが伊吹山だなあ」と認識していたのですが、まさかそのときはいくらも経たないうちに訪れることになるとは思いもよりませんでした。
ナビ君がおかしなところを案内してくれて、そのときに撮影した伊吹山の全景です。
これは滋賀県側からのものです。
圧倒されるような偉容です。
このときから感じていたのですが、伊吹山ドライブウェイにたどり着き、御山を登り始めて、これはとてつもない山だと感じました。
山頂近くまで道路は整備されているのですが、ワインディング・ロードが半端ではない。
飽きるほどステアリングを回さねばなりません。
まだかまだか、という感じ。
それくらい曲がりくねった道が長い、ということは、もちろん小さな山ではないということもそうなのですが、ものすごく険しい山だということなのです。
ようやく頂上付近の駐車場にたどり着きました。
恵まれていたのは天候で、鑑定会もそうだったのですが、雨に見舞われませんでした。
伊吹山は標高が1377メートルもあり、へたをすればすぐに雲の中です。
しかし、青空が広がり、眼下に琵琶湖も青々と見えていました。
山頂までの登山道のうち、普通40分程度かかる道を歩きました。
登山道は大勢の観光客でいっぱい。
時間的な制約もあったので、私はかなりがんばって山頂へ向かいました。
途中、出会ったカメラマンが教えてくださったのですが、伊吹山は希少植物がいっぱいで、この山にしか咲かない草花もあるそうです。
この日も、天気の良い日にしか咲かない、可憐な白い花が咲いていました。
それだけ守られてきた御山だということ。
大切な大切な、古代から続く自然がここにはあります。
山頂にはヤマトタケルの像が。
ちょっといかめしいお姿で、登り来る観光客たちを見守っています。
喉がからからだったので、少し喉を冷やすものを頂き、私はすぐに駐車場に降りていきました。
帰りのルートは最も短い急斜面の階段が多いものを選びましたが、その途中にも多くの草花が、そっと咲いています。
本当は、いい加減な気持ちでほいほい来るところではない。
そんな気がします。
現代で、車を使用してさえ、かほどの苦労がある。
この御山は、本来なら安易な人の侵入を拒むはずです。
そんな一種の恐ろしさや厳しさがあると感じます。
軟弱な現代人は、観光バスで乗り付けて、大挙して頂上を極めますが、本当はそんなお気楽な御山ではない。
本来は、精進潔斎して、心身を浄めて臨まなければならないような場所です。
幸いだったのは、この御山ではゴミなど一つも目にすることがなく、案内表示の注意書きにあるように、きれいに保たれている様子が見て取れました。
しかし、本当はこの御山だけではなく、日本の至る所に、神聖な御山がある。
地球がガイアという大きな生命だとしたら、御山はそのガイアの、きわめて大事な場所のはずです。
天と接している場所。
地の隆起している場所なのですから。
地の隆起している場所なのですから。
軽い気持ちでハイキングしてゴミを残したり、俗な言葉や思いで汚すべきではない。
富士もそうですし、阿蘇や浅間や御岳もそうでしょう。
一昨年、全容は見えませんでしたが、富士の裾野に至ったとき、その圧倒的な力に畏敬を覚えました。
そんな御山は、ごく身近な小さな山にもきっとある。
大きなもの。
自然。
古から在るもの。
そんなものへ、私たちはもっともっと謙虚に関わるべきではないか。
恐れを抱くべきではないか。
恐れを抱くべきではないか。
そんなことを痛感した御山でした。