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2018年10月2日火曜日

政治家もいろいろ

7月の西日本豪雨災害のときに、非常に強く感じたのですが。

都道府県、市町村。
そういった各自治体・地区の長は、県知事とか市長かと、町長とか。
そういう人たちになるのですが。

ものすごく明暗を見てしまった気がします。

これははっきりとその人物を特定したほうが誤解を与えないと思うので、この記事の中で少なくともプラス評価の方については、はっきりと明言したいと思います。

このような災害が起きたとき、本当の意味で心を痛める方。
これは、倉敷市長の伊東香織さんでした。
これは災害直後の会見なども、
え? どうしたの?! というほど顔色が悪くやつれていました。
これはその当時の報道をご覧になった方なら、同様かそれに近い印象を受けられたのではないでしょうか(ほかの地区・地域で、伊東市長の普段の顔を見ていない方でも)。

これがただの演出ではないことを、私はある筋からの情報で知っています。
市長は、災害直後から市庁舎に泊まり込み、ろくに眠らず、過ごされていたそうです。女性なのに、ろくにお風呂も入っていなかった可能性もあります。

本当に市民のことを考え、長としての責任を背負い、日々を過ごされていたのだと思います。

実は、今回の倉敷の大被害を出した真備町は、そもそもハザードマップでも危険が警告されていた地域でした。
そして、そのハザードマップが、そのまま反映された被害となりました。

だからこそ、その地区の方からは、「どうしてもっと早くに対策をしてくれなかったのか」というような非難も、市長には投げかけられたそうです。

しかし、このハザードマップの原因であった河川の改修工事は、その上の段階、県や国の意志や手続きも必要となり、どっちかというと、その遅延のために先送りされていました。

つまり市長の裁断などの問題ではないのです。
むしろその責任は、県以上のレベルにある。

しかし、被災された市民は、訴えかける相手は「市」がもっと近いところになります。「町」もありますが、町は同じように被災したその場所です。

このような時期に、伊東市長のようにげっそりとやつれたお顔で出てこられる方と、同じように責任を負う立場でありながら、災害直後でも、睡眠も食も十分ですというようなお顔で登場される方もいて……

これは、もう。

もう。


そのマイナス・イメージについては、誰ということは申し上げません。


伊東市長も、最近はちょっと顔色も良くなっています。
さすがに市長職は、ちゃんと健康を保っていただかなければ、務まるものではありません。大変に多忙です。



こういった成り行きを見ているなか、新しい内閣が組閣されました。

まあ、それは良いのです。

ちゃんとお国のための仕事をしていただければ。


その一方で、やはり思います。
何事かあったとき、国民市民の気持ちにより添える政治家であっていただきたい、そういう方々に政治を担っていただきたいと。
本当に切に願います。

じつは。

この傾向が顕著なのは、政治家よりも



天皇陛下であったりします。



こういうことをいうと、おかしな誤解を招く可能性もあるのですが。
私が右寄りとか。
そうではありません。

この判断は、ホロスコープに由来しています。

国民の心に寄り添う、というお言葉は、ただのお題目ではないと感じています。

ホロスコープというのはその人が認識する世界です。
この世界は意識で構築されています。

意識とホロスコープはリンクします。


天皇陛下がどのような存在であろうと、国民のためにお気持ちを砕き、寄り添う方であれば、それはホロスコープに出ていて当然なのです。
国の上の方のお立場であれば、それはよけいに明白のはず。

出ていない方がおかしい。


今回。
大災害があったのに、顔色が悪くもならずに過ごしておられた方と
安倍首相
にまったく同一のアスペクトがあったことには、ちょっと……
くらっときました。
(これはネイタルの話ではなく、特殊な見方の話です。ある程度中身のある学習をされた以外の方の予断はお控えください)

むろん、このホロスコープ状況が、安倍首相やほかの方の内面をどこまで表示しているかは別問題です。
実際のところ、仮に私がそのエリアの長であった場合、私はこういったことへの一種の免疫を持っていて、食べるものは食べ、寝るかもしれないのです。
むしろ乱世向きなところがあり、そういうときこそ、自分がしっかりしなければと思う傾向もあります。

それこそ、私のネイタルにその要因があります。

それと同じようなタフさを、その政治家の方々がもっていれば、それはそれで良いのです。
そういう方なのであろうと。

しかし。

それだけではだめだなと、感じるのです。

やはり同じよう
に痛みを感じ、共有する政治家。

それもなくてはならないと、強く感じています。


国の中にも、そのような方がいれば良いのですが。



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