今朝のご来光。
とっても清々しい朝でした。
カーブミラーに映り込んでいる私。
ちなみに、ですが。
昨日の朝、なかなかいい写真が撮れました。
これも同じような時刻ですが、空模様が違います。
そこへ飛び去っていくカラス。
なんかクワエトル?
稲穂が伸びている水田といい、日本らしい風景でしょ?
この国には、いろいろ欠点もありますし、問題・課題は山積みです。
それでも、この国に生まれて良かったと思うゼファーです。
てか、世界に視野を広げたら、日本は地球の中の楽園なのではないかと思うこともあります。
(見方の問題なので、異論の数々はあろうかと思います)
ところで。
人間て、〝今の暮らし〟に慣れるのが早いなあ、と感じます。
新居に移って、一年半。
僻地の山の中、限界集落で暮らしていたときは、今思えば、
ものすごく多くのものが不自由でした。
すべては〝程度の問題〟なのですが、「利便性」ということに絞ったら、今の生活はすごく快適です。
やがては、これが「当たり前」になってしまうのかな~と思う一方。
今でも旧宅に帰ると、時々、ちょっとセンチメンタルな気分というのか、切ない気持ちが湧いてきます。
昨日も、彼岸の墓参りをして、その後、旧宅周辺の草刈りをしたのですが。
作業を終えて旧宅に戻ると、夫婦生活の大半を過ごした家。
おそらく、生涯でもっとも苦しかった時期。
それを夫婦で守り抜いた。
そういう時期の、様々なことが想起されるのです。
一つ一つが、ではなく。
全部がごっちゃになって思い出されるから。
それと、ここにしかないものがあるから。
利便性など関係ない。
この感覚を失いたくないなあと思うのです。
たとえば故郷を捨て、上京し、都会の生活オンリーになり、そこで生涯を終える人もいいと思うのですが。
ルーツにあった感覚。
そこへの郷愁とか。
愛着とか。
執着じゃないですよ。
でも、〝そこで生かされていた〟体験があるのですから。
それは全部、自分の中にある(その中にはすんごい苦労もあるけど)。
これを失うと、〝今の生活だけが当たり前〟になり、逆に今の生活への感謝もなくなるかもしれない、と危ぶむのです。
むしろ、現状への不満だらけになるとか、そんな逆転現象もあり得るし、それもまたよく聞きます。
前にも書いたことがありますが、どん底を味わっているからこそ、
普通に生活できることがありがたい。
それを忘れてしまうと、たちまち今が不幸になってしまうこともある。
幸不幸は、やはり人の心が作り出す。
※
ちなみに、新生活に数時間で適応したリブラ様。
彼女を今、旧宅にちょっと連れて帰ったら、どうなるのだろう?
と思ってしまうゼファーです。
まあ、それはそれで、すぐに慣れると思うのですが。
応援よろしくお願いします。
↓
西洋占星術ランキング