本日の記事は、ちょっと異例です。
あるかた―Aさんとします―から、以下の記事についてメールを頂戴しました。
Aさんは長年のお客様で、とても理性的な男性です。もう長いお付き合いなので、ある意味、気心も知れているというのか、なので、今回は特別にこのメール内容を紹介させていただきます。
以下、Aさんのメールです。一部、手を入れさせていただいていますが、ほぼ原文のままです。
(ブログに転載する許可は得ています)
『信じることはすべてを認め受け入れること』
というタイトルの記事、色々なことが示唆されていて何度も読み返しました。
この記事の中で、
「かりに奥さんが私を裏切る行動を取ったとしても、自分が全責任を負って信じていたので、それでいいのです。そりゃ、悲しくは思うでしょうけど。」
という一文があります。
仮定のたとえのお話ですから、こんなことをお訊きするのは野暮なこと、とは承知しているのですが、好奇心からお尋ねします。
もし、奥さまがゼファーさんを裏切る行動をとったとき、当然、悲しい気持ちになられると思うのですが、そのとき、この悲しい気持ちを持っていることを、奥さまに打ち明けられるでしょうか?
どんな出来事も自分の全責任で引き受けた後、自分の心に自然に湧き上がる感情にどのように向き合ったらいいのか、そこが、知りたくてこのような質問をさせていただきました。
自分は、このような状況では、冷静に自分の悲しみを相手に伝えるかな、と思います。裏切りが発覚するまでは、自分の理解者であった人なので、同じように、自分の感情を理解して欲しい、という自然な欲求が生まれると思うので。
その一方で、自分の感情を相手に伝えたい、という気持ちがあるのは、ある出来事を自分の責任で100%引き受けていないからかな、という思いもあります。
気まぐれで聞いた質問です。お時間があるときに、ご意見をお聞かせいただければ、幸いです。
というメールでした。
じつは、あの記事、しかも問題になっているあの一文を書いたときに、こういった問いかけ、疑問、あるいは疑いや否定が発生することは想定していました。
そう思うかたがいるだろうな、とわかっていたのです。
で、本来はあの一文について、もう少し説明というかしていたのですが、ブログが冗漫になりすぎると判断し、カットして、シンプルに伝えたいことに絞りました。
Aさんは理解を示してくださっていますが、多くの人が思うはず。
最愛の妻が裏切ったら、そんなもんじゃすまないのでは? と。
愛していたからこそ、反転して憎しみや怒りもものすごいものになるのでは?
自分だったら絶対に許せない、というかたもいるでしょう。
男性が妻に裏切られるというので、やはりとてもダメージが大きいのは、浮気されるとか、その上で不倫相手の男性に身も心も持っていかれる、というような事態でしょうか。
これは雄として、ものすごくプライドがズタズタになる事態で、男として自分が決定的に敗北するような心地を味わうでしょう。
そのうえで、妻が相手の男性に夫婦の財産を貢いでいるとか……
最悪ですね。
いやー、考えたくないですね。(笑)
あの、私は妻のことを信頼しています。
99.9%信頼しています。
え? 100%じゃないのか、と突っ込まれそうですが、「現世の人間関係に100%」はないという前提の話で、要するに私が99.9%というのは、ほぼ絶対的な信頼を持っているということです。
信頼というか、「知っている」という感じに近いです。
というのは、私が一方的に信頼している状態ではなく、相互に信頼が成り立っているので、これを私のほうから壊さない限り、上記のようなシナリオは生じ得ません。
ただ、仮に、
奥さんが上記のようなシナリオで私を裏切った場合、やはりAさんのいうように、自分の悲しみについては妻に伝えるでしょうね。
「自分の感情を相手に伝えたい、という気持ちがあるのは、ある出来事を自分の責任で100%引き受けていないからかな」というわけではない、ということです。
私も伝えます。
ただ、ここまで構築した関係があるので、妻には伝えなくても分かっていると思います。それでも、それくらいは言うと思います。
ま、それくらいは言わせてくれ、みたいな?
あくまでも、うちに限った夫婦関係で、上記のようなシナリオが発生した場合、ですが。
妻が私を裏切ってまで、誰かを好きになったとしたら、これは私はやむなし、とするでしょう。悲しいですし、今後の生活で伴侶がいなくなるという喪失感もあるでしょう。
それから、相手の男性には慰謝料請求するでしょう。
現実的対処として、責任の所在を明確にするために。
たぶん、妻には慰謝料請求はしませんが、家の財産を使い込んでいたりすれば返却を求めます。家の財産は、ゆくゆくは子どもたちにも渡されるべきものですから。
ま、そもそも妻は、そんな愚かなことはしないですけど。
ただ、上記の記事をお読みくだされば理解いただけると思うのですが。
その人を信じるということは、その人の存在をそのまま受け入れるということ。
なのですが、要するにその人が未来にどのように変わろうが、今のその人を受け入れるということ。
今のその人を受け入れている。
そのことに、自分は全責任を負うということなんです。
これから結婚する配偶者が、本当はどのような顔を隠しているか。
10年後20年後、どのようになるか。
(それはつまり、二人の夫婦関係がどのようになるか、ということでもある)
そういうことも今の段階で受け入れる、ということ。
それが責任を負うということ。
うちの場合は、という前提ですが。
「今までの関係を壊してまで好きになったんだったら、その人のところへ行ってください(それだけ大事で特別なんだろうから)」
「どうぞ、後の人生は幸せに」
ということを、伝えるでしょうね。悲しみと共に。
そんなん、あり得ん! と思う人もいそうですけど、私はそうします。
それは、本当に妻のことを愛していないから、そんなたんたんとした態度でいられるんじゃないか、とか突っ込まれそうですけど。
そうではない。
この問題はちょっと微妙というのか、夫婦100組あれば、100通りの関係性と対処があるので、一概には言えない。
ただ、少なくとも
今、相手のすべてを受け入れ、
受け入れることに自ら責任を負うのであれば、
結果が(世間のいうところの)失敗や挫折に終わっても、
それは、自分の招き寄せた運命でもあるし、自分の選択だった、ということです。
私の場合、こういった夫婦関係の問題だけではなく、他の人生上のトラブル、苦難に関しても、同様でした。
仕事上の裏切りについても、「なるほど、ま、仕方ないかな」と受け止めてきていますし、自殺しようかと思う詰めたときでさえ、責任転嫁や恨み言はありませんでした(自殺しようかと思った原因は、現世的には自分にはない)。
これは、その頃には「すべてを受け入れる」というコンディションに近づいていたから。
じゃ、この環境の中で、何がベストか、あるいはベターか。
あるいは、
何をあきらめてしまうのが良いか。
手放すべきか。
今のすべては自分が創造し、引き寄せています。
だから、今のすべては自己責任。
他人に明らかに責任があっても。
受け入れること。
それは、イコール、
すべてを自らの責任として引き受けること。
これで、伝わったでしょうか?
……ていうか。
こういう段階に来ると、逆に「いい流れ」になりやすいというのもあります。
すべてを受け入れる
すべてが自己責任
というのは、ただのお題目じゃないんですよね。
そこへ至ったら、大きなものへ委ねることができるので、勝手に良い流れも引き寄せられることが多いという……
摩訶不思議……
じゃない。不思議でも何でもなくて、摂理……かな?
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