昨夜は早めにベッドに入り、爆睡!!(笑)
だったゼファーです。
しばらくは、早朝ジョギングも熊野神社まで行けなくなった……
神様大好きな私が当分、参拝できないとは。
てか、こればっかりは仕方ないですからね!
ジョギングコースは変更し、昨日からすでにだいたい同じような距離になるようなルートにしています。
今日の蟻峰山の太陽。
喪が明けるのがいつになるか、いろいろなご意見があるのですが、失礼があってはいけないので長いものを考えています。
11月中頃にようやく参拝できるようになる、という感じです。
奥さんと五芒星参りしようと思っていたのですが、お楽しみに取っておきます。
昨日、義母(妻の母)を送ってきました。
奥さんと娘は、通夜の「寝ずの番」のため会場で過ごし、超寝不足。
(他にも実家の姪っ子さんも=娘の従姉)
私も(自宅でしたが)あまり眠れず。
というか、このところ、あまり寝ていないような気がする。
そのため、お坊様のありがたい読経が始まると、意識が……
ラリホ~
になりかけたことが、しばしば。
ゴメンナサイ (_ _)💦
気持ちは、しっかりお届けしたつもりですが。
昨日の記事に上げたような空模様で、とても清々しい日。
近いお身内のお見送りで、葬儀は滞りなく終わりました。
去年からだったか、奥さんはずっと、自身の休日の半分くらいは、実家に行っていました。全日ではないですが。
しかし、今年9月にお母様が入院され、その後、退院されてからは……ちょっと気配が変わってきました。
退院といっても良くなっての退院ではなく、無理やり本人のご意志で戻ったという状態だったので。
11日には、娘と息子を連れて、一度、会いに行きました。
もうひょっとしたら……という話だったので。
そういう話が出て、尚、10日ほどお母様は頑張ったわけです。
昨日の記事に書いたように、臨終(22日)の直前にも会いに行けました。
11日以来は、仕事終わりにも奥さんが実家に行くような状態になって、自宅にも深夜帰宅。
家のことをやっている私もそこそこキツかったですし、この3~4日ほどは、さすがにブログを書いている余裕はなくなりました。
日常の鑑定と占星術講座(9期上級と10期初級)の準備を死守する、ということで精一杯でした。
でも、奥さんに側にいさせてあげられる時間をたくさん作れて、それは自分でも〝悔いのない〟行動になった。
人生にはいろいろな局面があり、その時の選択動機も様々ですが。
プラスの方向性を持った思考と行動も役立ちますが、
マイナスのことを背景に持った思考も役立ちます。
〝後悔しない〟思考というのも、それかと。
「もし、〇〇せず、××という結果となったとき、自分は後悔しないか」
ということですね。
それは、多くは〝自分の最善を尽くす〟ということとも表裏かもしれません。
私がお母様が危ない状態でも、快く奥さんを実家に送り出さなかったら? 自分の家のことを優先したら?(そもそも思いもしませんが)
そして、お母様が亡くなる。
すると、その〝死の意味〟は私にとって変わります。
快く送り出した私には、〝最善を尽くした〟ことになり、なんの後悔もない。
が。
そうでない対応をした時には、きっとお母様の死と自分の行いの意味を結びつけ、何らかの自己正当化をしようとする。
「ああだからできなかった」とか「自分のやっていることが世間一般の基準だ」と強引に結びつけようとするとか。
この後者の心情には、すでに〝負〟が潜在しています。
もっとも、これは。
その人の置かれた状況によって異なります。
親や他者からDVやハラスメントを受け、そこに自己犠牲的な最善を尽くすことなど、これがその人の幸福になるかといえば、甚だ疑問ですよね。
そこは!
自分の状況に照らして考えましょう、です。
毒親さんに搾取され続けている人もいるわけで。
時には断ち切る勇気も必要です。
その場合、毒親さんの言いなりになって、自分の喜びもすべて捨ててしまう人生にして後悔しないか、ということを考えてみることになるかな?
これもまた、ケース・バイ・ケースなので。
とりあえず、後悔のないお見送りだったゼファーでした。
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