ご訪問ありがとうございます。
こちらはZEPHYRのメインサイトです。
amebaのZEPHYRとは姉妹ブログになっております。


作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2016年3月9日水曜日

新月の雨に想う

新月なのであります。

岡山では雨が降っております。


昨日、奥さんはお休みだったのですが、勤め先の同僚の方からお父様がご逝去されたとの訃報が。

もうすでにずっと闘病生活で、そのご同僚の女性は、お父様のお世話でかなり大変な思いをなさってきたのですが、このところご病状も思わしくなく、それらしいお話をお医者様から聞かされていたようで、もうすでにお覚悟はあったようですが……

思いもかけぬほど急転なさいました。

ご冥福を心からお祈りしたいです。


このところ個人的に訃報をよく耳にします。

昨年秋くらいからですが、ご家族やかわいがっていたペットの他界など、悲しみのお知らせをよく受けます。


2012年、私も父を見送りました。

それ以来、時々ですが、父の夢を見るようになりました。
むろん生前はそんなこと、記憶にある限り一度もありません。

亡くなって間もないころは父が少しずつ浄化されていくのではないかと推察されるような…そのために過去、我が家で亡くなった曾祖父母や祖父母などもそれに参加して助けているような…。

一番、最近見た夢では、なんか父は私に「もうお前には頼まん!」とか不平を漏らしていました(笑)

とりあえず好きだったお酒を仏壇に上げていたのですが、その後、墓掃除に行きますと、卒塔婆を立てているあたりが荒れてたので、それだったのかな…とか。
(霊的に鈍感人間なので、親父、スマン)

亡くなる前の数年は、もうあまり人間らしい感情のやり取りもできにくくなっていたのですが、亡くなってからそこが解消したかのような気もします。


霊能力を持たれている方とか、純粋な子供とか、普通にそういった存在が見えるというご報告もよく聞きます。

どう考えても自分のことを思いながら亡くなったとしか思えないその人が、そばに来て泣いているのが見えるとか。

犬や猫でも、かわいがっていた子は、ちゃんと主人のそばに、想えば来るようです。

占星術で検証しても、そのペットはまるで結婚するような運勢で自分のもとを訪れている、というようなことも確認できることがあります。
特別なペットというのもいるのですね。


霊魂があるとかないとかいうのは、もう手垢どころかカビの生えるような議論なのですが、自分の目で見ないことには頑として信じない方もいらっしゃいます。

べつにそれは、今回の人生ではリアリストとして生き、それでないと感じられない世界観があるからそのような計画をなさっているので、それはそれでいいんです。

私も自分の目では何も見えない人です。
が、多くの事例には遭遇していて、いわゆる魂と呼ばれるものはあると信じていますし、それがないかもと疑ったこともありません。

普通の感覚でそこにあるものと認識しています。



生きている人間同士で、意識が繋がることがあります。

別にスマホで話しているわけでもないし、コードでつながっているわけでもない。

ですが、なんとなくその人のことがわかったり、気持ちが伝わってくるということが、私たちには当たり前にあります。

生きている人間同士なら、同時に同じことを考えたり、離れた場所で同じ行動をとっていたりすることを、「不思議だねー」と言いながら、それでも受け入れているものです。

皮膚感覚のようなものでは、人は肉体だけの存在だけではなく、それ以外でもつながりあえるということを、本能的にわかっています。

あきらかにそれは肉体や物質の作用ではないことがはっきりしている。

ではなぜ、死後、肉体以外の存在としての意識や魂がないと言えるのか、むしろそちらの方が不思議だったりします。


生前ですらそうだったのですから、肉体という枷が外れたなら、こちらの思うことはもっとストレートに伝わるのではないか、とさえ思えます。

話せばわかってくれるし、想えば伝わる。

私はそう信じているし、そのほうが人生やこの世界が楽しいと思えるのであります。

少なくとも失われたらそこですべてゼロになる世界よりも。